創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

青春18きっぷの旅 高松(4)

2007-03-21 18:20:51 | 旅行
実に分かりにくい場所だった。彼女がいなければ行き着けなかっただろう。茸狩りした山はあれだ。寮の2階から眺めた食堂は食品店になっていた。2階の踊り場に便所があった。朝、Kさんが独占していた。寮のおばさんは、多分もうこの世にいないだろう。おにぎり屋はなくなっていた。かすかな期待は消えた。会って何を話すつもりだったのだろう。思い出の町を歩きながら、帰るための細いすべも消えてしまったのが無性に寂しかった。悲しかった。二度とここを訪れることはない。僕の中で永遠に失われた。迷った後、もう一度薬局により、「見つかりました、ありがとうございました」と、深々と頭を下げた。顔を上げると、「よかった」、彼女の顔に笑みが弾けた。

青春18きっぷの旅 高松(3)

2007-03-21 18:18:02 | 旅行
出張所の場所も変わり、電話で古い場所を尋ねたが分からなかった。35年の年月は重い。頼りはたった一枚の自分の名刺だった。ネットで場所は簡単に見つかった。すぐに見つかるだろうと安直に考えていた。でも、簡単ではなかった。何人に尋ねただろう。みんな真剣に考えてくれるのだが、行き着かない。ネットで、昼食はここにしようと考えていた讃岐うどんの上原屋本店は突然現れたが…。ここまで来て、帰れないなあ。35年経っていると言っても、お前は住んでいたんだろう。頭、悪いなあ。自己嫌悪。
苦し紛れに調剤薬局に入った。若い女性が僕を椅子にかけさせて、分厚い地図を繰り出した。一介の旅人にそこまでしてもらったら悪いなあ。「Oアパートですね」「はい」。彼女はコピーを取る。コピーをカッターで切る。セロテープで貼る。出来た地図でわかりやすく説明してもらった。僕は恐縮しながら頭を下げた。地図は今も僕の引き出しの中にある。

青春18きっぷの旅 高松(2)

2007-03-21 18:15:52 | 旅行
車中、高松での思い出が駆けめぐる。一人一人の顔まで、昨日会った人のようにはっきりと思い出せる。みんな凄い個性の人々だった。所長でも30才少しの若さだった。高松での研修期間、昼食は開店直後の「おにぎり屋」に通った。若い姉妹が切り盛りしていた。店がいっぱいな時は、奥の座敷に上がらせてもらった。九官鳥がいたなあ。僕は妹の方に好意を感じていた。山で茸を探した時何分か二人きりになった。二人とも黙って茸を探していた。大阪へ帰る時、姉が何度呼んでも彼女は出てこなかった。やっと出てきた時、姉が奥に消えた。僕は「一緒に実家へ行こう」という言葉を飲み込んで、「サヨナラ」と言った。彼女はうつむいて黙っていた。簡単に振られたかも知れないけれど、もし、彼女がついてきたら、人生は変わっていた。人生は偶然の連続だろう。でも、過ぎ去ればそれは必然になる。

青春18きっぷの旅 高松(1)

2007-03-21 18:13:44 | 旅行
M製薬に入社したのは1970年。辞めたのも同年だった。勤務地は高知。寮は高松にあった。一度訪れたいと思いながら、36年経った。四国には青春の残渣に似たものがある。それを畏れたのかもしれない。定年の今年、初めて買った青春18きっぷ(JR発足20周年で今回は8千円)とともに高松へ。とても便利なおでかけネット。。出発駅(大阪)、到着駅(高松)を入力。新幹線、特急等のチェックを外し、回答数を最大の5にして、普通自由を選び、GO。往復9千円。なんと、一回で千円のおつりが出た。午前8時新快速で相生(乗り換え)→、岡山(マリンライナー)→高松。姫路から前4両が切り離されるで、5号車より後ろに乗るのが正解。今回は1号車から移動しました。→3月3日のダイヤです。十分日帰りが可能でした。長い旅の友には、重い小説がいい。「カラマーゾフの兄弟2」「グレート・ギャツビー」の二冊を持って行った。

テクノラティ

2007-03-21 17:22:27 | Weblog
テクノラティ(ブログの検索サイト)に登録しましたが、プロフィールの自己紹介文とブログの説明文が入力できない。誰か教えて。ちなみに、ブログ紹介は
「小説、シナリオ、戯曲、ラジオドラマと幅広く書いています。2007年3月定年。往復三時間の通勤時間。激務(?)から解放され、薬剤師を卒業してライターに。今年は書きまくるぞと思っています。ブログには、読書、グルメ、料理、旅、身辺雑記と満載です。それと、連載小説も」と…。