読書ノート6
村上春樹は「海辺のカフカ」の後に、正確に言えば2004年に「アフターダーク」を書いている。これはとても不思議な作品で、視点は映画のカメラのようだ。シナリオのト書きのようにシーンの説明だけが語られる。
1Q84・Book1/Book2は三人称で書かれていて、一見普通である。だが、名字で書かれた三人称と、名前で書かれた三人称があるのにすぐに気づく。青豆は名字で今のところ名前は書かれていないと思う。天吾は名前で一ヵ所川奈というが名字が書かれている。仕方なく書いたというように。名字は個人を規定しない。一つの社会と言ってもよい。作者も、青豆という名前は少数だがあると書いている。天吾は個人である。このことが何を表すのか私には分からない。ただ作者は視点について重視しているのは今までの作品からも明らかである。「ぼく」とか「わたし」の視点で書いてきた作者が「海辺のカフカ」以降変わった。視点が長編の世界を構築するのにとても重要な要素であると気づいた。Book1を読み終えて、1ヵ所だけ青豆と天五の視点を離れる箇所がある。Book1の途中の人はお楽しみに。
村上春樹は「海辺のカフカ」の後に、正確に言えば2004年に「アフターダーク」を書いている。これはとても不思議な作品で、視点は映画のカメラのようだ。シナリオのト書きのようにシーンの説明だけが語られる。
1Q84・Book1/Book2は三人称で書かれていて、一見普通である。だが、名字で書かれた三人称と、名前で書かれた三人称があるのにすぐに気づく。青豆は名字で今のところ名前は書かれていないと思う。天吾は名前で一ヵ所川奈というが名字が書かれている。仕方なく書いたというように。名字は個人を規定しない。一つの社会と言ってもよい。作者も、青豆という名前は少数だがあると書いている。天吾は個人である。このことが何を表すのか私には分からない。ただ作者は視点について重視しているのは今までの作品からも明らかである。「ぼく」とか「わたし」の視点で書いてきた作者が「海辺のカフカ」以降変わった。視点が長編の世界を構築するのにとても重要な要素であると気づいた。Book1を読み終えて、1ヵ所だけ青豆と天五の視点を離れる箇所がある。Book1の途中の人はお楽しみに。