創作日記&作品集

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(霊媒の話より)題未定・安部公房著

2013-03-21 15:01:33 | 読書
(霊媒の話より)題未定・安部公房著
十九歳の処女作。図書館で借りたが、しおりが新品のカーブを描いていた。私が最初の読者であるらしい。嬉しかったが少し寂しい気もした。久しぶりに安部公房を読む。至福の時だ。期待通りの作品である。ページを繰る手が止まらなかった。今は、新作を心待ちにする作家は少なくなった。昔は、沢山いた。三島由紀夫、ある時期の大江健三郎、吉行淳之介、つげ義春、丸谷才一、そして、安部公房。今は村上春樹ぐらいになってしまった。その新作が出ると聞いてすぐに予約した。それまでは、「(霊媒の話より)題未定: 安部公房初期短編集」を読むのが楽しみになった。1985年におこなわれた 「安部公房 NHKインタビュー」が私に与えたインパクトも大きい。ネットで探すと、映像は全部停止されていた。当たり前だと思いながら、残念。内容には行き着くことができた。全集にも収録されているらしい。

安部:だからぼくはね結局文学作品というのは、ひとつのもの生きているものというか……。世界。極端に言えば世界ですね。小さいなりに生きている世界というものを作って提供する。そういう作業だと思っていますけどね。だから、お説教や論ずるということは、小説においてあまり必要ないと思う。いわゆる人生の教訓を書くなんてことは論文やエッセイに任せればいい。小説というのは、それ以前の、意味にまだ到達しないある実態を提供する。そこで読者はそれを体験するというもんじゃないかと思う

インタビュアー:それを割合わたしなんか意味を読んでしまうと、やはり迷路に入るということ‥

安部:いや、迷路でいいんです。迷路というふうに自分が体験すれば迷路なんです。それでいいんです。終局的に意味に到達するのは間違いですね。これは日本の国語教育の欠陥だと思う。ぼくのもなぜか教科書に出てるんですよ。見ていったら「大意を述べよ」と書いてある。あれ、ぼくだって答えられませんね。ひと言で大意が述べられるくらいなら書かないですよ。

あの時もその通りと、テレビの前で叫んでいた。嫌いだったなあ。「作者の言いたいことを20字以内にまとめなさい」という問題。あれは小説を読む楽しみを奪うもの以外の何ものでもない。
また、安部公房はワープロで小説を書いた最初の作家だと思う。その時、彼は言っていた。「ワープロは推敲の道具ですよ」。彼が今生きていれば、電子書籍に喜んで挑戦しただろうと思う。