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コーヒーブレーク。
角田光代さんは、あとがきで、『源氏物語』に特別な思いはないと述べている。
ひょっとすれば、全段読み通したことがないのかもしれない。
私は、大塚ひかり全訳『源氏物語』で初めて読み通すことが出来た。
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窯変『源氏物語』橋本治著(図書館に14巻揃っていた)も少しだけ読んで、あまりの長さに諦めた。
そうまでして何故『源氏』を読もうとするのだろう。
それは私の場合、日本古典文学の最高峰という「ブランド」である。
一度は全部読み通さなくてはいけないという、脅迫概念のようなものでもある。
角田光代さんは現代語訳する「立ち位置」が分からなかったと言う。
それが分からなければ膨大な現代語訳は出来ないだろう。
そこで見つけたのは「読みやすさ」である。
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それを見事に具体化したのが角田光代訳源氏物語であると思う。
簡単なことではない。
至難の技である。
見事にやってのけた感じがする。
様々な名場面がワーッと読める現代語訳の中から蘇る。
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