ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.3.5 花粉の季節

2010-03-05 20:43:13 | 日記
 昨日は寒かったのに、今日はいきなり春爛漫?というほどとても暖かくなった。職場である大学内でもマスクをしている方の姿がとても目立った。今日はかなり多く飛んでいるのだという。

 私と夫は今のところ無事なのだが、息子はもう花粉症暦10年を越えた。スギ、ヒノキ、イネ、ブタクサすべて2+、3+とひっかかっているので、息子はほとんど1年中鼻炎状態だ。中学受験にチャレンジしたのには、その頃(2月1日前後)ならまだ症状が出ていないだろうけれど、高校受験のシーズン(2月10日以降)では既に危ないかもしれない、ということも理由の1つにあった。
 とにかく抗アレルギー薬を飲むと、ボーっとしてしまい、注意力が散漫になる。

 年がら年中鼻をかむことになるから鼻血は出るし、目は真っ赤でかゆいので汚い手でこするから爛れるし、落ち着きがなくなっていらいらして、本当に端で見ていて可哀想なくらいだ。「なんでボクを花粉症に産んだんだ」と何度も言われた。「ママには花粉症の辛さなんかわからない」とも。

 生後59日から保育園児だから、バギーに乗せられてそれはそれはよくお散歩に連れて行って頂いた。多分、全身でうんとたくさんお日さまの光と同時に花粉も浴びたんだろうなあと、振り返って思う。
 2,3歳頃から春先になると、目が真っ赤になり、鼻血が酷くなった。落ち着きがないのはそれだけのせいではなかったのだろうけれど。そしていよいよ(これは花粉症ではないか)ということで、4歳で血液検査をし、「花粉症」のお墨付きを頂いた。
 以降毎年、2月からゴールデンウィークが空ける頃まではひたすら鼻水、鼻づまり、目のかゆみ、と戦ってきた。マスクやめがねをさせるのだが、どうしてもうっとうしいと取ってしまい、そのおかげで症状が悪化する、という悪循環だった。

 今から5年前は花粉が非常に多く飛散した年だった。当時小学校3年生だった息子は、体育の授業でマスクもめがねもしないで校庭を走り回ったことがあった。その日の夕方にはそれはそれは症状が酷くなり、とりあえず行かせた塾から「お迎えに来てほしい。花粉症がひどくてとても授業どころではありません。」と電話があった。
 私はちょうどその頃、初発の手術後の放射線治療中で家にいたので、何とかお迎えに行けたのだが、職員室で休ませてもらっていた息子は、まさにお岩さんのような顔をしており、目が開かなくなっていた。鼻はつまり、食べ物の味も全くわからなかったようだ。

 その足でクリニックに滑り込んだけれど、さすがにそこまで酷くなってしまうといつもの薬では効かず、強い薬を出して頂き、症状の沈静化までにかなりの時間を要した記憶がある。本人もこの経験で観念したらしく、「学校に行っていろいろ言われるから・・・」と嫌がっていたマスクとめがねをしていくようになった。

 そんなわけで去年までは、生後2ヶ月からお世話になっている近くのクリニックで花粉症も診て頂いていた。目薬、点鼻薬、飲み薬、と何種類も処方して頂き、効かなくなると別の薬を試し、ということを繰り返していたが、昨年は耐性が出来てしまったのか殆ど効果がなく、ようやく重い腰をあげて専門の耳鼻咽喉科に連れて行った。そこで頂いた薬はあれ、っと思うくらい良く効いて、ずいぶん症状が軽減した。

 今年は迷わず最初から耳鼻咽喉科に行った。幸いまだ症状が出ない2月の初めから薬を飲み始めることができた。先手必勝とはこのことか、と思うくらい効果がある。飛散後1ヶ月ほど経つのにほとんど症状が出ていないという。
「今日は“非常に多い”予報が出ているからマスクをしていくように」と言ったけれど、「大丈夫、大丈夫」と出かけてしまった。

 花粉症の症状は出る前に薬を飲み始めるほうが症状が軽くすむと言われていたのに、これまでいつも後手後手に回っていたことが悔やまれた。
 果てさて、今日は無事に帰ってくるだろうか。来週から学年末試験なので、症状が出ないで集中力が少しでもあると良いのだが。

 幸い「鼻は少しつまるけれど、目は痒くない。」ということで今しがたようやく勉強部屋に行った。

コメント
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