ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.3.23 ハーセプチン86回目

2010-03-23 19:39:33 | 治療日記
 今日は3連休の後で、混雑を覚悟していつものとおり病院に入った。
 皮膚科では30分ほど待って手の爪、鼻孔縁、まぶた、足の爪を診て頂く。とりあえずまだ頂いた薬はあるのでこのまま足の親指の爪が伸びてくるのを待つことにし、今回で卒業、ということになった。足の爪は剥離した所から幅が狭くなって変形しているが、切っていないので様子をみるしかないようだ。御礼を言って内科へ移動した。
 内科でも中待合で30分ほど待って診察室へ。「先週末仕事で荷物を持ったり走ったりしたのでちょっと息苦しくなることがありましたが、それ以外は特に変わりありません。」とご報告して処置室へ移動した。
 「今日は今年になってから一番患者さんが多いのよ。」と看護師さんが言っていたが、何とか滑り込みセーフで点滴椅子を確保。いつものとおり刺針、検温、血圧測定後、お昼前に点滴開始となった。

 今日は2冊読めた。1冊目は島田裕巳さんの「葬式は、要らない」(幻冬舎新書)。日本の葬儀費用が諸外国に比べて高いのだ、と再認識。子どもの頃に「(祖父母の)戒名が院居士・大姉で○○万円だ」と親たちが話していたのをぼんやり聞いていた覚えがあるが、私は出家しているわけでもないので、戒名は要らないな、と思う。もちろんお別れのけじめは必要だとは思うけれど。
 2冊目は米原万里さんの「終生ヒトのオスは飼わず」(文春文庫)。猫4匹、犬3匹の家族たちに対する、著者の母のような愛情に心動かされた。解説で宇野淑子さんが書かれておられるとおり、「ヒトのオスは割り込む隙がなかったのだ」という言葉にとても納得した。

 昨日、東京でも桜が開花したとニュースで聞いた。
 気のせいかもしれないけれど、通院日はいつも天気があまり良くない。今日も花曇で薄ら寒かった。その週がおおむねずっと天気が悪いならばあきらめもつくけれど、1回崩れるときはどうも通院日にあたるようだ。雨だったり、雪だったり、霙だったり。なかなか傘の準備がいらない身軽ないいお天気、という日がないように思う。

 ただでさえ気が重い通院がますます・・・になってしまう。5年前、初発後の放射線治療初回の時を思い出す。
 3月の大雪で、それは大変だった。病院に着くまでに雪だるまになりそうだった。(先行きを暗示しているのでは、)と思ってしまったほど。それでも検査技師さんたちは「よく来ましたね、来ただけで偉い。」と言ってくださった。救われた。

 これも発想の転換で、(こんなにいいお天気なのになんで私は通院?)というよりも“今日はお天気も悪いから遊びにも適さない。だから観念して通院!”の方がいいのかもしれない。
 ただ調子がいいときにはそう言ってしまえるけれど、やはり体調が悪いときに足元が悪いのは辛いものだ。贅沢を言えば暑すぎず寒すぎず傘もいらず、が一番いいのかも。だから今日はいい通院日だったのかもしれない。

 今朝の新聞で、あけぼの会千葉で活動していらした小倉恒子先生が亡くなったとの訃報を見つけた。
 その昔、秘書の仕事を経験して以来、新聞では真っ先に訃報欄を見る癖が抜けない。しかも5年前に発病して以来、新聞や雑誌のどんなに小さい字でも「乳がん」とか「がん」の字はあたかも合格発表時の自分の受験番号のように目に飛び込んでくる。
 恒子先生のブログは3月7日が最後の更新で、具合が悪いのかと、とても気になっていた。34歳で乳がんを発病し、再発を繰り返しながらも現役で耳鼻科医を続けておられた。著書も数冊読み、いつも元気をもらっていたのでとてもショックだ。


コメント
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