先日「健康自慢」と書いた義母が、義妹宅に帰宅した翌々日、夜中にトイレに起きた時に布団に躓いて転び、背中を強く打ったという。その場は我慢して朝を迎えたが痛みが強く、義妹が仕事を休んで病院に連れて行ったそうだ。
レントゲン検査の結果、7番目の背骨の圧迫骨折。医者からは入院を勧められたが、本人が自宅安静を強く希望し、義妹は入院するように説得したが、しきれずに夫(兄)にSOS連絡してきた。
連絡があった時には痛みが酷くて食事もろくにしていないし、風邪もひいている、とのことだった。夫も医者の言うとおり入院することを望んでいると話すように伝えたらしいが、その後、義妹と直接電話で話したところ、入院紹介状を持っていった先の医者から「高齢なので、環境が変わると認知症になる人もいる。病院でも治療は安静と痛み止めの座薬の投与だけしかない。それを承知で入院するならどうぞ」と言われたそうで(他に言い方はないものだろうか、と思うが・・・)、「それでは困る」と義母は断固自宅療養を主張して帰宅したようだ。
何年か前にぎっくり腰だといって自宅療養していたのも実は3番目の背骨の圧迫骨折だった、ということを今回の診察で義妹は初めて知った、と言って憤慨していた。前回も書いたように生まれてこの方入院したこともない人で、病院とは無縁なのでとにかく「入院だけはイヤ」と黙っていたらしい。結局2ヶ月くらい痛いままで放置したっきり無治療だったらしいとのこと。
何しろかつて庄内で一人暮らしをしていた時、玄関のあがりかまちで転び手首をぶつけ、曲がったからといって自分で“ぐぐっと”曲げて治した(本人談)という超人的なエピソードを持つ人である。(結局これも骨折で翌日腫れが酷くなり、整形外科に行って医師に怒られたそうだ。今もどうもその時の無理がたたって、少し曲がっているらしい。)
もちろん背骨の痛み以外は全く元気なので、口の方は相変わらずのマシンガントーク(義妹談)のようだ。義妹宅に同居するときに「もし介護が必要、という事態になったらそのときはフィフティフィフティで」と言われていたし、私が病気になって以来すっかり任せっぱなしであったことで、義妹にもその連れ合いにも申し訳ない・・・という負い目があって、長男である夫と長男の嫁である私の2人で頭をかかえてしまった。
背骨を骨折すればそれは当然かなり酷い痛みだろう。
昨年、実家の父が背骨の2箇所を圧迫骨折して一時動けなくなったと、これまた母から後で聞かされた。母が洋服の着せ替えから何から何までやっていたが、朝起きる時がとにかく一苦労で、身支度に何時間もかかっていたそうだ。実際、父とは先日、伯父の法事で2年ぶりに会ったが、173センチだった身長がずいぶん縮んで背中が丸くなっていた。171センチの孫(我が家の愚息)よりも小さくなっていたと思う。
私も骨転移の進行抑制のためゾメタの点滴を開始して既に2年以上経つので、転移した骨の溶解はある程度抑制されているのだろうけれど、それでも転倒して骨折という事態には本当に注意しなくては、と心している。歩けなくなったりしたら、それこそ大変だ。
義妹宅には、再発以来ずっとご機嫌伺いにも行っていなかったが、さすがに今回は観念して、今日、往復6時間かけて夫と二人で様子見兼お見舞いに行ってきた。甥たちも皆入れ替わり立ち代り顔を出してくれて、久しぶりに大人数の茶の間を囲んできた。義妹夫婦には「くれぐれもよろしくお願いいたします。」と頭を下げて。
それにしても本当に人間は生身だ。明日はわが身、健康自慢もいつどうなるかわからない。心して日々大切に生きなければ、と改めて思う。
ようやく満開となった桜も今日の冷たい雨でもう散り始めるのだろう。夫と2人でこの街に引っ越してきた17年前はまだ若木だった桜並木が今やすっかり立派になった。道すがら夜桜を見ながら帰宅した。桜が好きな日本人のご多分にもれず私なりに桜に対する想いがあり、心安らかに、と努めながらも何かざわめくものがある。
“ねがはくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃”と、こよなく桜を愛した西行法師の歌ではないが、来年もまた元気に桜の季節を迎えたい、と強く思う。
レントゲン検査の結果、7番目の背骨の圧迫骨折。医者からは入院を勧められたが、本人が自宅安静を強く希望し、義妹は入院するように説得したが、しきれずに夫(兄)にSOS連絡してきた。
連絡があった時には痛みが酷くて食事もろくにしていないし、風邪もひいている、とのことだった。夫も医者の言うとおり入院することを望んでいると話すように伝えたらしいが、その後、義妹と直接電話で話したところ、入院紹介状を持っていった先の医者から「高齢なので、環境が変わると認知症になる人もいる。病院でも治療は安静と痛み止めの座薬の投与だけしかない。それを承知で入院するならどうぞ」と言われたそうで(他に言い方はないものだろうか、と思うが・・・)、「それでは困る」と義母は断固自宅療養を主張して帰宅したようだ。
何年か前にぎっくり腰だといって自宅療養していたのも実は3番目の背骨の圧迫骨折だった、ということを今回の診察で義妹は初めて知った、と言って憤慨していた。前回も書いたように生まれてこの方入院したこともない人で、病院とは無縁なのでとにかく「入院だけはイヤ」と黙っていたらしい。結局2ヶ月くらい痛いままで放置したっきり無治療だったらしいとのこと。
何しろかつて庄内で一人暮らしをしていた時、玄関のあがりかまちで転び手首をぶつけ、曲がったからといって自分で“ぐぐっと”曲げて治した(本人談)という超人的なエピソードを持つ人である。(結局これも骨折で翌日腫れが酷くなり、整形外科に行って医師に怒られたそうだ。今もどうもその時の無理がたたって、少し曲がっているらしい。)
もちろん背骨の痛み以外は全く元気なので、口の方は相変わらずのマシンガントーク(義妹談)のようだ。義妹宅に同居するときに「もし介護が必要、という事態になったらそのときはフィフティフィフティで」と言われていたし、私が病気になって以来すっかり任せっぱなしであったことで、義妹にもその連れ合いにも申し訳ない・・・という負い目があって、長男である夫と長男の嫁である私の2人で頭をかかえてしまった。
背骨を骨折すればそれは当然かなり酷い痛みだろう。
昨年、実家の父が背骨の2箇所を圧迫骨折して一時動けなくなったと、これまた母から後で聞かされた。母が洋服の着せ替えから何から何までやっていたが、朝起きる時がとにかく一苦労で、身支度に何時間もかかっていたそうだ。実際、父とは先日、伯父の法事で2年ぶりに会ったが、173センチだった身長がずいぶん縮んで背中が丸くなっていた。171センチの孫(我が家の愚息)よりも小さくなっていたと思う。
私も骨転移の進行抑制のためゾメタの点滴を開始して既に2年以上経つので、転移した骨の溶解はある程度抑制されているのだろうけれど、それでも転倒して骨折という事態には本当に注意しなくては、と心している。歩けなくなったりしたら、それこそ大変だ。
義妹宅には、再発以来ずっとご機嫌伺いにも行っていなかったが、さすがに今回は観念して、今日、往復6時間かけて夫と二人で様子見兼お見舞いに行ってきた。甥たちも皆入れ替わり立ち代り顔を出してくれて、久しぶりに大人数の茶の間を囲んできた。義妹夫婦には「くれぐれもよろしくお願いいたします。」と頭を下げて。
それにしても本当に人間は生身だ。明日はわが身、健康自慢もいつどうなるかわからない。心して日々大切に生きなければ、と改めて思う。
ようやく満開となった桜も今日の冷たい雨でもう散り始めるのだろう。夫と2人でこの街に引っ越してきた17年前はまだ若木だった桜並木が今やすっかり立派になった。道すがら夜桜を見ながら帰宅した。桜が好きな日本人のご多分にもれず私なりに桜に対する想いがあり、心安らかに、と努めながらも何かざわめくものがある。
“ねがはくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃”と、こよなく桜を愛した西行法師の歌ではないが、来年もまた元気に桜の季節を迎えたい、と強く思う。