今日は3月から毎週開催されることになった「あけぼのハウス・第7回」の4月講演会に参加した。「虹のサロン」でご一緒したSさんとKさんと最寄り駅で待ち合わせして行った。
今日のテーマは『乳がんと心のケア』。講師は埼玉医大国際医療センター精神腫瘍科の大西秀樹先生。先着順、定員72名だったが、会場は満席だった。
日本では腫瘍内科と同様、精神腫瘍科医(サイコオンコロジスト)-がん患者の心のケアを専門にする医師―は本当にまだ少数だ。そのため、精神腫瘍科の先生のお話が直接聴ける、ということで今日はとても楽しみだった。大西先生(昨年9月より日本サイコオンコロジー〔精神腫瘍学〕学会代表理事に就任)によると、今年ようやく「登録精神腫瘍科医制度」の認定が始まり、第一期生が出るのだという。
13時から始まった講演はたっぷり1時間半。その間、先生の穏やかだけれどとてもユーモラスで暖かい語り口にすっかり魅了され、たくさん癒されて、たくさん笑って、たくさん頷いて、たくさん涙ぐみそうになった。これまでに出会われた症例を複数出されて、具体的で実にわかりやすいお話だった。
患者のほぼ2人に1人が精神科の対象になるそうだ。適応障害やうつ病。さらに2年後は当初対象外であった人たちの2割がうつ病になる、とのことだ。病院ではうつ病の患者は1割、さらに終末期になると2割になるという。一般にとても苦しいと言われている化学療法よりもずっと苦しい精神症状だという。治療をしていく上で、悪いこと(○○が出来なくなったなど)でなく、一日ひとつでも良かったこと(空気が美味しかったなど)を思い浮かべるだけで辛い症状が改善していくのだというお話にとても納得した。
その後1時間にわたって質疑応答。どんどん手が挙がった。まだ告知されて間もない方、手術を目前にしてとても不安な方、とりあえず10年経過したけれど、これからどうしたら・・・という方、等等いずれの質問もその方のお気持ちが良くわかり、その頃の自分に照らし合わせながら何度も何度も頷いた。
私はようやく今の状況を受容するしかない、という気持ちになったけれど、こうなるまでには実にいろいろあったと思う。それでも先生の「人には立ち直る力がある」という言葉に大変励まされた。そう、浮き沈みがあって当然なのだという。逆に(病気のことを)何も考えない、というのは「否認」であり、それはそれでまた危険なことなのだ。だからこそ、これからもまた何度も落ち込むこともあるだろうけれど、またきっと這い上がることが出来る、と思う。
そしてどれだけ家族が(特に夫が)メンタルヘルスの面では『第二の患者』なのか、ということも痛感した。自宅で「私は患者なんだから!」といばっていてはいけない、夫や息子のメンタルケアもしなければなあ・・・と反省しきりである。
その後、「乳がんディクショナリー」の改訂版の打ち合わせ。年末から関わってきたが、ようやく初校が上がってきた段階だった。今日、新たに2人の方がお手伝いしてくださることになり、編集長の事務局Tさんと私を含めて4人の『編集委員会』が立ち上がった。
次回5月の「あけぼのハウス・講演会」も予約して、帰り道Sさんと30分ほどお茶をして帰宅した。
今週もまた土・日に好きなことをして出歩いてしまった。そんなわけで今日も結局外食になってしまったけれど、こうして私のわがままを許してくれている夫にも息子にも改めて感謝、感謝・・・である。
今日のテーマは『乳がんと心のケア』。講師は埼玉医大国際医療センター精神腫瘍科の大西秀樹先生。先着順、定員72名だったが、会場は満席だった。
日本では腫瘍内科と同様、精神腫瘍科医(サイコオンコロジスト)-がん患者の心のケアを専門にする医師―は本当にまだ少数だ。そのため、精神腫瘍科の先生のお話が直接聴ける、ということで今日はとても楽しみだった。大西先生(昨年9月より日本サイコオンコロジー〔精神腫瘍学〕学会代表理事に就任)によると、今年ようやく「登録精神腫瘍科医制度」の認定が始まり、第一期生が出るのだという。
13時から始まった講演はたっぷり1時間半。その間、先生の穏やかだけれどとてもユーモラスで暖かい語り口にすっかり魅了され、たくさん癒されて、たくさん笑って、たくさん頷いて、たくさん涙ぐみそうになった。これまでに出会われた症例を複数出されて、具体的で実にわかりやすいお話だった。
患者のほぼ2人に1人が精神科の対象になるそうだ。適応障害やうつ病。さらに2年後は当初対象外であった人たちの2割がうつ病になる、とのことだ。病院ではうつ病の患者は1割、さらに終末期になると2割になるという。一般にとても苦しいと言われている化学療法よりもずっと苦しい精神症状だという。治療をしていく上で、悪いこと(○○が出来なくなったなど)でなく、一日ひとつでも良かったこと(空気が美味しかったなど)を思い浮かべるだけで辛い症状が改善していくのだというお話にとても納得した。
その後1時間にわたって質疑応答。どんどん手が挙がった。まだ告知されて間もない方、手術を目前にしてとても不安な方、とりあえず10年経過したけれど、これからどうしたら・・・という方、等等いずれの質問もその方のお気持ちが良くわかり、その頃の自分に照らし合わせながら何度も何度も頷いた。
私はようやく今の状況を受容するしかない、という気持ちになったけれど、こうなるまでには実にいろいろあったと思う。それでも先生の「人には立ち直る力がある」という言葉に大変励まされた。そう、浮き沈みがあって当然なのだという。逆に(病気のことを)何も考えない、というのは「否認」であり、それはそれでまた危険なことなのだ。だからこそ、これからもまた何度も落ち込むこともあるだろうけれど、またきっと這い上がることが出来る、と思う。
そしてどれだけ家族が(特に夫が)メンタルヘルスの面では『第二の患者』なのか、ということも痛感した。自宅で「私は患者なんだから!」といばっていてはいけない、夫や息子のメンタルケアもしなければなあ・・・と反省しきりである。
その後、「乳がんディクショナリー」の改訂版の打ち合わせ。年末から関わってきたが、ようやく初校が上がってきた段階だった。今日、新たに2人の方がお手伝いしてくださることになり、編集長の事務局Tさんと私を含めて4人の『編集委員会』が立ち上がった。
次回5月の「あけぼのハウス・講演会」も予約して、帰り道Sさんと30分ほどお茶をして帰宅した。
今週もまた土・日に好きなことをして出歩いてしまった。そんなわけで今日も結局外食になってしまったけれど、こうして私のわがままを許してくれている夫にも息子にも改めて感謝、感謝・・・である。