今日が最後の合唱単独練習になった。会場は2月の練習場と同じ。受付で出席簿に○をして、ステージオーダーのため、身長と当日履く予定のヒールの高さをプラスした数字を書き込む。追加でお願いしていたチケットを受け取り、前回のオケとの合同練習時に取材があった記事が掲載された新聞のコピーも頂いた。4月9日(金)の朝日新聞東京版。カラー写真入りの5段記事だった。“中高年「第九」に熱き心。来月5日、400人で演奏会”の見出しだ。次回の練習では、作成することになったDVDのために練習風景の撮影もあるとのこと。いろいろな嬉しい仕掛けがあって、毎回実に元気を取り戻し、練習にも熱が入る。
それでも歌い出しは諸注意を忘れることも多く、全身全霊でお願いをなさる指揮者には申し訳ない限りだ。今日は往復の車内で予習復習をした。次回は月末にオケとの第2回目の合同練習。次々回は演奏会前日のゲネプロ。泣いても笑っても本番まで残すところあと2回だ。当日の栞も頂き、いよいよ・・・、という感じである。
帰宅してからの夕食の支度は勘弁してもらい、職場である大学内に新しくオープンしたレストランで3人で待ち合わせた。内装もとても素敵で、ランチが充実していたので夫や息子に話したところ、「是非行ってみたい。」というので、日曜日なら知り合いにもそれほど会わないだろう、と予約してこっそり出かけた。先客が一組で後は私たち3人だけだったので、お店の方たちの人数の方が多く、話も聞こえてしまうような気がしてちょっと落ち着かない感じだったが、前菜、メイン、デザートもとても美味で、珍しい食材も使われており、地元でこんなに本格的なフレンチが食べられるとは・・・と、とても満ち足りて帰宅した。
今日は1冊読んだ。二神能基さんの「希望のニート」(新潮文庫)。息子にはせめて何とか自分できちんと食べていけるようになって欲しいと願って育てているつもりだが、「誰もがニートになりうるー。労働環境が悪化の一途をたどる現代の日本で若者たちはどう生きていけばよいのか。「自立の呪縛」から、親と子はどうすれば一歩を踏み出せるのか。」と裏表紙に書かれているとおり、実に重い話だ。まじめな親が子どもを追いつめ、糊しろのない生真面目さがいったん悪循環にはまってしまうと親子ともども、かぎりなく息苦しくなってしまう・・・。というくだりにため息が出た。
3月に頂いた中2最後の通知表には、担任から「学校生活は楽しそうですが、本業は勉強です。」とのコメントがあった。全くその通りなのだが、今回改めて監督が足りなかったという事実が突きつけられた。
中1に上がってからは親べったりの勉強姿勢から脱却して、なるべく一人立ちしてほしい、自主的にやってほしいと考えていた。しかしそれはあくまで理想論で、「受験勉強が塾からのオーダーを受身でこなすという姿勢だったのに、進学して授業進度が速いのにいきなり親が手を引いて自主管理させるのはとても無理でしょう。」という個別指導塾の先生からの助言もあり、やむなくかなり手間隙かけて日々の宿題や小テストの面倒までみていた。(実際、教科書以外にもらってくるプリント類の大きさもばらばらでとても多く、本人一人ではまともにファイリングすら出来なかった。)。
中2に進級したとほぼ同時に私は体調が本調子でないまま復職し、その後の生活を軌道に乗せるのに精一杯だったのと、「中学の定期試験等も一通りすべて経験して、いつまでも親がかりではやはりまずいだろう。痛い目にあうなら早いうちにあわせて自覚させた方が良い。」という夫の意見もあり、なるべく口を出さずに任せてみることにした。
結果、成績は確実に下がっていったが、当然のことながら息子は都合の悪いテストやプリントは自分からは見せなかった。秋の保護者会では担任から「中2はこれまでまじめに勉強していた子も勉強しなくなる中だるみの時期で心配だとは思うが、やみくもにいろいろ言っても決して良い方向にはいかない。ただ時にはかばんを開けてノートやプリントの捜索をして様子を見ておいてください。」と言われていた。息子はかばんを勝手に触るととても怒ったので(漫画だのカードだの持ち込み禁止のはずのものもいろいろ入っていたようだ。)、こちらも関係が険悪になるのは疲れるし、体にも良くないので少し遠慮していたこともあった。
ただ、部屋に入って勉強しているのかと思うと、大体はベッドに突っ伏して寝ており、何の勉強をやっていたのか聞いてもやった痕跡は何も残っていなかった(ただ教科書なり参考書を眺めているだけの様子)。手を動かさずにいては眠くなって当然なのだが、何度も「書く」なり「声を出して読む」なり五感を使って勉強するように言ってみたところで、全く改善が見られなかった。
やむなくこれまでのノートを総ざらいしてみたところ、なんと中2になってからのノートは表紙すらろくに記載がなく(何の科目のノートなのかすら不明で)、中味は最初の1ページか2ページで終わっていた。結局中2の1年間でまともに使ったノートは一冊もない、という卒倒しそうな事態が判明した。
私がいくら言っても埒が明かないので、今回もまた夫の出番となった。若い頃は“瞬間湯沸かし器”と呼ばれていた夫が、息子と対面しながら1冊1冊確かめつつ、隣で見ていても実に我慢強く本人から事情聴取をし、今後どうしたらよいか一緒に考えて対応してくれて、とてもありがたかった。
息子いわく「忘れたから別のノートに書いた、結局どれがどのノートかわからなくなって、忘れ物が多いのでルーズリーフにした(!)」と言うのだが、数年来口をすっぱくして何十回何百回言っても「月日」のメモすら書かないので、そのノートのメモがいつのものなのかもさっぱりわからない。ばらばらで散逸していてもこちらは順序良く並べ返すことすら出来ない。もらってくるプリントもしかりで、いつもらったものなのか全く不明である。“中3男子”の整理能力というのは本当にこんなものなのだろうか・・・、と恥をしのんでいろいろなご家庭に聞いてみたいほどだ。
とにかく今日、新しくファイル等を用意して与えた。
先週金曜日から中3の授業が開始したが、心機一転で来週から板書をきちんと書く(こんなことは小学生の時は出来ていたことなのに・・・)、家庭学習でも専用ノートを作って「書く」ということを約束した。
中3にまでなって親が勉強に介入する、というのはいかにも過保護で、我が家の恥をさらすようだが、当分の間はフォローをしていかなければならない、と思っている。
それでも歌い出しは諸注意を忘れることも多く、全身全霊でお願いをなさる指揮者には申し訳ない限りだ。今日は往復の車内で予習復習をした。次回は月末にオケとの第2回目の合同練習。次々回は演奏会前日のゲネプロ。泣いても笑っても本番まで残すところあと2回だ。当日の栞も頂き、いよいよ・・・、という感じである。
帰宅してからの夕食の支度は勘弁してもらい、職場である大学内に新しくオープンしたレストランで3人で待ち合わせた。内装もとても素敵で、ランチが充実していたので夫や息子に話したところ、「是非行ってみたい。」というので、日曜日なら知り合いにもそれほど会わないだろう、と予約してこっそり出かけた。先客が一組で後は私たち3人だけだったので、お店の方たちの人数の方が多く、話も聞こえてしまうような気がしてちょっと落ち着かない感じだったが、前菜、メイン、デザートもとても美味で、珍しい食材も使われており、地元でこんなに本格的なフレンチが食べられるとは・・・と、とても満ち足りて帰宅した。
今日は1冊読んだ。二神能基さんの「希望のニート」(新潮文庫)。息子にはせめて何とか自分できちんと食べていけるようになって欲しいと願って育てているつもりだが、「誰もがニートになりうるー。労働環境が悪化の一途をたどる現代の日本で若者たちはどう生きていけばよいのか。「自立の呪縛」から、親と子はどうすれば一歩を踏み出せるのか。」と裏表紙に書かれているとおり、実に重い話だ。まじめな親が子どもを追いつめ、糊しろのない生真面目さがいったん悪循環にはまってしまうと親子ともども、かぎりなく息苦しくなってしまう・・・。というくだりにため息が出た。
3月に頂いた中2最後の通知表には、担任から「学校生活は楽しそうですが、本業は勉強です。」とのコメントがあった。全くその通りなのだが、今回改めて監督が足りなかったという事実が突きつけられた。
中1に上がってからは親べったりの勉強姿勢から脱却して、なるべく一人立ちしてほしい、自主的にやってほしいと考えていた。しかしそれはあくまで理想論で、「受験勉強が塾からのオーダーを受身でこなすという姿勢だったのに、進学して授業進度が速いのにいきなり親が手を引いて自主管理させるのはとても無理でしょう。」という個別指導塾の先生からの助言もあり、やむなくかなり手間隙かけて日々の宿題や小テストの面倒までみていた。(実際、教科書以外にもらってくるプリント類の大きさもばらばらでとても多く、本人一人ではまともにファイリングすら出来なかった。)。
中2に進級したとほぼ同時に私は体調が本調子でないまま復職し、その後の生活を軌道に乗せるのに精一杯だったのと、「中学の定期試験等も一通りすべて経験して、いつまでも親がかりではやはりまずいだろう。痛い目にあうなら早いうちにあわせて自覚させた方が良い。」という夫の意見もあり、なるべく口を出さずに任せてみることにした。
結果、成績は確実に下がっていったが、当然のことながら息子は都合の悪いテストやプリントは自分からは見せなかった。秋の保護者会では担任から「中2はこれまでまじめに勉強していた子も勉強しなくなる中だるみの時期で心配だとは思うが、やみくもにいろいろ言っても決して良い方向にはいかない。ただ時にはかばんを開けてノートやプリントの捜索をして様子を見ておいてください。」と言われていた。息子はかばんを勝手に触るととても怒ったので(漫画だのカードだの持ち込み禁止のはずのものもいろいろ入っていたようだ。)、こちらも関係が険悪になるのは疲れるし、体にも良くないので少し遠慮していたこともあった。
ただ、部屋に入って勉強しているのかと思うと、大体はベッドに突っ伏して寝ており、何の勉強をやっていたのか聞いてもやった痕跡は何も残っていなかった(ただ教科書なり参考書を眺めているだけの様子)。手を動かさずにいては眠くなって当然なのだが、何度も「書く」なり「声を出して読む」なり五感を使って勉強するように言ってみたところで、全く改善が見られなかった。
やむなくこれまでのノートを総ざらいしてみたところ、なんと中2になってからのノートは表紙すらろくに記載がなく(何の科目のノートなのかすら不明で)、中味は最初の1ページか2ページで終わっていた。結局中2の1年間でまともに使ったノートは一冊もない、という卒倒しそうな事態が判明した。
私がいくら言っても埒が明かないので、今回もまた夫の出番となった。若い頃は“瞬間湯沸かし器”と呼ばれていた夫が、息子と対面しながら1冊1冊確かめつつ、隣で見ていても実に我慢強く本人から事情聴取をし、今後どうしたらよいか一緒に考えて対応してくれて、とてもありがたかった。
息子いわく「忘れたから別のノートに書いた、結局どれがどのノートかわからなくなって、忘れ物が多いのでルーズリーフにした(!)」と言うのだが、数年来口をすっぱくして何十回何百回言っても「月日」のメモすら書かないので、そのノートのメモがいつのものなのかもさっぱりわからない。ばらばらで散逸していてもこちらは順序良く並べ返すことすら出来ない。もらってくるプリントもしかりで、いつもらったものなのか全く不明である。“中3男子”の整理能力というのは本当にこんなものなのだろうか・・・、と恥をしのんでいろいろなご家庭に聞いてみたいほどだ。
とにかく今日、新しくファイル等を用意して与えた。
先週金曜日から中3の授業が開始したが、心機一転で来週から板書をきちんと書く(こんなことは小学生の時は出来ていたことなのに・・・)、家庭学習でも専用ノートを作って「書く」ということを約束した。
中3にまでなって親が勉強に介入する、というのはいかにも過保護で、我が家の恥をさらすようだが、当分の間はフォローをしていかなければならない、と思っている。