ひとつを選ぶことはそれ以外のことを捨てること。
限りある人生を進めていく上では、あらゆることを取り入れることは到底出来ないから、何かを選ぶことはイコール何かを捨てること、ということは残念ながら致し方ないことだ。進学しかり、就職しかり、どんな人も岐路に立った時に、ひとつの道を選ぶことでそれ以外の道を捨ててきているはずだ。その時その時自分にとってベストだと思ったことを選んで。
もちろん超スーパーマンで気力・体力・精神力・財力が人並み以上の方は、複数かけもちが出来るのかもしれないけれど、私のような凡人は1つが精一杯。自分にとっての優先順位がきちんとしていてブレることがなければ、のちのちいろいろ後悔することも少なくなるのだろう。
特に最近そう思うことが多い。不思議と再発後は自分が選んだことについて、あまり後から思い悩むことがなくなったように思う。自分にとって、何が今一番大切なのか、何をなすべきか、はたまた何をあきらめるべきか、わりとすんなり決められるのだ。後から(やっぱりああすればよかった・・・)と思わなくなった。その時、ベストだと思って選択したことがちゃんとベストのままでいてくれる感じ。こう思えることはとても幸せで嬉しいことだ。(それしか選びようがない・・・、ということかもしれないけれど。)
ちょっと無理すればこちらの方がいいかもしれない、でもそれは後で自分の首を絞めることになりそうだからやはりこちらにしておこう、というような勘が“動物的”という言葉がしっくりくる感じで働くようになった。人付き合いも同じで、無理しても行くべき集まりかどうか、体調優先で失礼してもよいものかどうかがスルリと決められるようになった。それに従っておくとミスチョイスがない、と思う。
今の状況で、八方美人でいるのはとてもじゃないけれど難しい。だんだん自分にとって本当に大切なものだけが残っていくのだろう。
先日患者会の友人とおしゃべりしたとき、彼女もそう言っていた。
患者としては私より5年も先輩だけれど、再発したのはほぼ同時期。転移の部位は異なるけれど、今では同じ様な治療を続けてきている同い年だ。
やはりずっと仕事を続けているのだが、当然休職したり短時間勤務をしたりと、体調に応じてやりくりされているので、人事査定の評価が厳しくなっているという。「毎日フルタイムで普通に頑張っている人が普通の評価なのだから、休んでいる自分がそれより低い評価を受けるのは当然なんだ、とわかっている。わかっているけれど、やっぱり悔しい・・・」と言っていた。彼女の心の叫びに体ごと共鳴した。それは私もまったく同じ。実に同感だ。「今まできちんと仕事をしてきた人であれば、今の状況が悔しいのは至極当然のこと。私も本当は今の役職について降格を申し出た方が良いのかもと思うことがある。」と話した。
なりたくて病気になったわけでもないし、行きたくて毎週通院しているわけでもない。それでも治療を続けなければ命をつないでいけない、という厳然たる事実。私たち患者はエンドレスに続く治療を受けながら、少しでも長く高額な治療費を支払い続けられるように、仕事も続けたいのだ。そして少しでも長く普通の生活を送りたい。それは単にわがままで迷惑なことなのだろうか。もちろん職場に迷惑をかけたくないし、かけるのは良くない、そう思ってもいるのは当然だ。
それでも人間は生身。元気で活躍している職場の同僚もいつ同じ立場になるかは神のみぞ知るだ。
情けは人のためならず、困ったときはお互い様・・・の雰囲気がいろいろな職場にもう少しあれば、病気を抱えている私たち患者だけでなく、子育て中の人も介護中の人もみんながもっともっと働きやすくなるのに、と強く思う。もちろん現在のように不況で就職難の厳しい現実の下、病気を抱えつつ、通院休暇を取得しつつ、こうして働き続けられるということだけでも感謝しなければならないことは間違いないのだが。
今、私がこの状況で職場を退職してしまったら、再就職することは年齢的にも健康上も望むべくもない。ブログのタイトルでは「再び誇り高く美しく、を目指す日々」と謳いつつも、哀しいかな、現実は見苦しいのは承知で、みっともなくしがみつく生き方・・・をしてしまっているなあと思う。
さて、もともとタバコの煙は大の苦手。禁煙席でもただスペースを分けただけのものではだめで、しっかり別室になっていないと長居は出来ない方だ。
先日、どうしても禁煙席に空席がなく何分待つかわからないと言われ、見たところ喫煙中の人がいない席だったので、やむなくそこに座った。すると、隣の若者がとんでもないペースで喫煙を始めた。もちろん喫煙席なのだからそこにいる人たちは吸うのが当然だし、そこで嫌だ、と言ってみても始まらないのは承知の上なので、そそくさと食事を済ませて逃げるように立ち上がった。
が、その後、ひどい咳き込みが始まり、何度深呼吸をしてみても、夜ベッドに入ってからもずっと肺に空気が入っていかない感じで、どちら側に寝返りを打っても息苦しく肺がつぶされたような感じでずっと寝付けなかった。呼吸が出来ないって本当に苦しい。息を引き取る、というのは決して眠るように静かに、とはいかないよなあ、としみじみ思った。
そのことを話したら「普通でない(両肺に転移がある)体なんだからそんな場所に座る自分が悪い。」と夫に叱られてシュンとした。
そう、自分の身はちゃんと自分で守らなければ、と反省した。今後は喫煙席には近づかない、喫煙が予想される会合には自分からは出ていかない、と決めた。残念ながら、また選択肢が減ってしまったけれど。
限りある人生を進めていく上では、あらゆることを取り入れることは到底出来ないから、何かを選ぶことはイコール何かを捨てること、ということは残念ながら致し方ないことだ。進学しかり、就職しかり、どんな人も岐路に立った時に、ひとつの道を選ぶことでそれ以外の道を捨ててきているはずだ。その時その時自分にとってベストだと思ったことを選んで。
もちろん超スーパーマンで気力・体力・精神力・財力が人並み以上の方は、複数かけもちが出来るのかもしれないけれど、私のような凡人は1つが精一杯。自分にとっての優先順位がきちんとしていてブレることがなければ、のちのちいろいろ後悔することも少なくなるのだろう。
特に最近そう思うことが多い。不思議と再発後は自分が選んだことについて、あまり後から思い悩むことがなくなったように思う。自分にとって、何が今一番大切なのか、何をなすべきか、はたまた何をあきらめるべきか、わりとすんなり決められるのだ。後から(やっぱりああすればよかった・・・)と思わなくなった。その時、ベストだと思って選択したことがちゃんとベストのままでいてくれる感じ。こう思えることはとても幸せで嬉しいことだ。(それしか選びようがない・・・、ということかもしれないけれど。)
ちょっと無理すればこちらの方がいいかもしれない、でもそれは後で自分の首を絞めることになりそうだからやはりこちらにしておこう、というような勘が“動物的”という言葉がしっくりくる感じで働くようになった。人付き合いも同じで、無理しても行くべき集まりかどうか、体調優先で失礼してもよいものかどうかがスルリと決められるようになった。それに従っておくとミスチョイスがない、と思う。
今の状況で、八方美人でいるのはとてもじゃないけれど難しい。だんだん自分にとって本当に大切なものだけが残っていくのだろう。
先日患者会の友人とおしゃべりしたとき、彼女もそう言っていた。
患者としては私より5年も先輩だけれど、再発したのはほぼ同時期。転移の部位は異なるけれど、今では同じ様な治療を続けてきている同い年だ。
やはりずっと仕事を続けているのだが、当然休職したり短時間勤務をしたりと、体調に応じてやりくりされているので、人事査定の評価が厳しくなっているという。「毎日フルタイムで普通に頑張っている人が普通の評価なのだから、休んでいる自分がそれより低い評価を受けるのは当然なんだ、とわかっている。わかっているけれど、やっぱり悔しい・・・」と言っていた。彼女の心の叫びに体ごと共鳴した。それは私もまったく同じ。実に同感だ。「今まできちんと仕事をしてきた人であれば、今の状況が悔しいのは至極当然のこと。私も本当は今の役職について降格を申し出た方が良いのかもと思うことがある。」と話した。
なりたくて病気になったわけでもないし、行きたくて毎週通院しているわけでもない。それでも治療を続けなければ命をつないでいけない、という厳然たる事実。私たち患者はエンドレスに続く治療を受けながら、少しでも長く高額な治療費を支払い続けられるように、仕事も続けたいのだ。そして少しでも長く普通の生活を送りたい。それは単にわがままで迷惑なことなのだろうか。もちろん職場に迷惑をかけたくないし、かけるのは良くない、そう思ってもいるのは当然だ。
それでも人間は生身。元気で活躍している職場の同僚もいつ同じ立場になるかは神のみぞ知るだ。
情けは人のためならず、困ったときはお互い様・・・の雰囲気がいろいろな職場にもう少しあれば、病気を抱えている私たち患者だけでなく、子育て中の人も介護中の人もみんながもっともっと働きやすくなるのに、と強く思う。もちろん現在のように不況で就職難の厳しい現実の下、病気を抱えつつ、通院休暇を取得しつつ、こうして働き続けられるということだけでも感謝しなければならないことは間違いないのだが。
今、私がこの状況で職場を退職してしまったら、再就職することは年齢的にも健康上も望むべくもない。ブログのタイトルでは「再び誇り高く美しく、を目指す日々」と謳いつつも、哀しいかな、現実は見苦しいのは承知で、みっともなくしがみつく生き方・・・をしてしまっているなあと思う。
さて、もともとタバコの煙は大の苦手。禁煙席でもただスペースを分けただけのものではだめで、しっかり別室になっていないと長居は出来ない方だ。
先日、どうしても禁煙席に空席がなく何分待つかわからないと言われ、見たところ喫煙中の人がいない席だったので、やむなくそこに座った。すると、隣の若者がとんでもないペースで喫煙を始めた。もちろん喫煙席なのだからそこにいる人たちは吸うのが当然だし、そこで嫌だ、と言ってみても始まらないのは承知の上なので、そそくさと食事を済ませて逃げるように立ち上がった。
が、その後、ひどい咳き込みが始まり、何度深呼吸をしてみても、夜ベッドに入ってからもずっと肺に空気が入っていかない感じで、どちら側に寝返りを打っても息苦しく肺がつぶされたような感じでずっと寝付けなかった。呼吸が出来ないって本当に苦しい。息を引き取る、というのは決して眠るように静かに、とはいかないよなあ、としみじみ思った。
そのことを話したら「普通でない(両肺に転移がある)体なんだからそんな場所に座る自分が悪い。」と夫に叱られてシュンとした。
そう、自分の身はちゃんと自分で守らなければ、と反省した。今後は喫煙席には近づかない、喫煙が予想される会合には自分からは出ていかない、と決めた。残念ながら、また選択肢が減ってしまったけれど。