昨日の朝刊に東京マンモグラフィキャンペーンの一面広告が載った。あけぼの会ワット会長さんの「母の日だから考えよう 私たちの『乳がん』のこと」という熱い想いだ。
今日は、東京支部でも新宿と府中の2箇所で街頭自己検診を促すティッシュや自己検診グラブを配布するキャンペーンを張り、その後お食事会とのこと。私があけぼの会に入会したのは去年の6月半ばだったので、5月の母の日キャンペーンは知らなかった。本当なら今年がキャンペーン・デビューとなるわけだが、残念ながら学校行事があるため、今回は参加を見送った。来年は参加してみたいと思っている。
昨年のキャンペーンから「お母さん、乳がんで死なないで!」という、実にストレートでショッキングなメッセージのもとに実施されているという。昨年10月の全国大会の時には、スクリーン一杯に北は北海道から南は沖縄まで全国36支部のキャンペーン参加者の皆さんの様子がスライドショーで映し出された。
先日、去年の全国母の日キャンペーンと『母の日市民フォーラム』報告冊子が届いた。去年の母の日には、『今日は母の日。お母さんがいて、みんながいる。』と、全国各地の7名の会員が代表して新聞に家族と一緒の写真入りで紹介されていた。どの写真もお母さんの笑顔が中心の家族だった。
さて、私が母になって早くも14年と3ヶ月ちょっとが経った。“母は強し”とはよくいったもので、オバタリアンよろしく、息子のことになると今まで(恥ずかしくて)憚られていたことや言えなかったことが、自然に出来たり言えたりするようになった。(その時は必死で、気がついたら出来ていたとか、言えていた、というのが正しいのかもしれない。)
我が家の母の日のことであるが、息子のお小遣いはいつも漫画と鉄道グッズと飲み食いに消えてしまっているようなので、また今年も夫がお金を足して(または全面的に補助して)何か買ってきてくれる、ということになるのだろうか。それより何より、ちょっぴりでも“感謝してくれている”という気持ちを伝えてくれれば、それが一番嬉しいのだけれど。これもあまり望んではいけないことか。
二人の母(二人は70代と80代、特にこのもうすぐ90歳は至って元気なのだ!圧迫骨折もすっかり良くなった様子だ。脅威の回復力にひれ伏してしまう。)、今日の午前中に到着するように季節のお勧めのお茶とお菓子を贈った。ゆったりとしたティータイムを過ごしてくれれば良いと思う。
子どもにとって親というものは、生きていてくれるだけで感謝なのだ、ということに我が家の息子が気づくにはまだ時間がかかるのかもしれない・・・・。
“サプライズ!!”
アップロードする前に居間に戻ってみると、テーブルの上に私の好きなラベンダー色の額紫陽花の鉢。「おかあさんありがとう」の立て札がついてピンクのリボンでラッピング。いったいいつ買いに行ったのか。やられたなあ・・・と思う。昨日の夕食では「えっ、明日母の日って、みんな大変だねえ。僕、何もないよ。」と言っていたくせに。
ありがとう!
今日は、東京支部でも新宿と府中の2箇所で街頭自己検診を促すティッシュや自己検診グラブを配布するキャンペーンを張り、その後お食事会とのこと。私があけぼの会に入会したのは去年の6月半ばだったので、5月の母の日キャンペーンは知らなかった。本当なら今年がキャンペーン・デビューとなるわけだが、残念ながら学校行事があるため、今回は参加を見送った。来年は参加してみたいと思っている。
昨年のキャンペーンから「お母さん、乳がんで死なないで!」という、実にストレートでショッキングなメッセージのもとに実施されているという。昨年10月の全国大会の時には、スクリーン一杯に北は北海道から南は沖縄まで全国36支部のキャンペーン参加者の皆さんの様子がスライドショーで映し出された。
先日、去年の全国母の日キャンペーンと『母の日市民フォーラム』報告冊子が届いた。去年の母の日には、『今日は母の日。お母さんがいて、みんながいる。』と、全国各地の7名の会員が代表して新聞に家族と一緒の写真入りで紹介されていた。どの写真もお母さんの笑顔が中心の家族だった。
さて、私が母になって早くも14年と3ヶ月ちょっとが経った。“母は強し”とはよくいったもので、オバタリアンよろしく、息子のことになると今まで(恥ずかしくて)憚られていたことや言えなかったことが、自然に出来たり言えたりするようになった。(その時は必死で、気がついたら出来ていたとか、言えていた、というのが正しいのかもしれない。)
我が家の母の日のことであるが、息子のお小遣いはいつも漫画と鉄道グッズと飲み食いに消えてしまっているようなので、また今年も夫がお金を足して(または全面的に補助して)何か買ってきてくれる、ということになるのだろうか。それより何より、ちょっぴりでも“感謝してくれている”という気持ちを伝えてくれれば、それが一番嬉しいのだけれど。これもあまり望んではいけないことか。
二人の母(二人は70代と80代、特にこのもうすぐ90歳は至って元気なのだ!圧迫骨折もすっかり良くなった様子だ。脅威の回復力にひれ伏してしまう。)、今日の午前中に到着するように季節のお勧めのお茶とお菓子を贈った。ゆったりとしたティータイムを過ごしてくれれば良いと思う。
子どもにとって親というものは、生きていてくれるだけで感謝なのだ、ということに我が家の息子が気づくにはまだ時間がかかるのかもしれない・・・・。
“サプライズ!!”
アップロードする前に居間に戻ってみると、テーブルの上に私の好きなラベンダー色の額紫陽花の鉢。「おかあさんありがとう」の立て札がついてピンクのリボンでラッピング。いったいいつ買いに行ったのか。やられたなあ・・・と思う。昨日の夕食では「えっ、明日母の日って、みんな大変だねえ。僕、何もないよ。」と言っていたくせに。
ありがとう!