先日、職員向けのサイトを見ていたら、社会のために活動したいという人に向けた呼びかけ文章に目が留まった。
■管理職の方■
最近、自分を磨くことを怠っていませんか?肩書を外した場合でも、組織や社会で魅力ある人材といえる自信がありますか?組織の肩書を外していただき、自由な議論ができる場を提供しています。そこでは最高の講師陣と意識あるメンバーとの交流から大きな刺激を受けられます。若い方の参加が多いため、管理職の方の豊かな経験と組織を変える力を特に必要としています。
■中堅職員以上の方■
仕事でもプライベートでも充実していますね。でも「子育てが大変だ」とか「いい仕事を任されているから」と言って、自分を成長させない言い訳にしていませんか?家族はあなたの努力や頑張っている姿を期待しているかもしれません。グループツールで情報交換などにより、忙しい方でも参加できますし、ライフスタイルに合わせて参加できます。将来のために自分を磨き、今のうちに社会変革のための経験・実績や今の仕事では得られない人脈を作っておきませんか?
と。
特に“肩書きをはずした場合でも、組織や社会で魅力ある人材と言える自信がありますか?”の部分でひっかかった。私も仕事上の名刺を持ってはいるけれど、殆ど渡していないので、今の肩書きはあくまで直接仕事をする人たち用のごくごく最小限のものだ。
かつて参加した同窓会等のプライベートの集まりでどんどん名刺を配られたりすると、ちょっと引いてしまうこともあった。もちろん民間企業に勤めていたり、自らが起業家だったりという立場と、私のような公務員という立場は全く異なるので比べようもないのだが。
ふと、自分に引き寄せて考える。
これまで仕事とは一切関係のない肩書き不要の交流というと、居住団地での役員や、保育園、小学校、学童クラブという息子を介してのつながりだけだった。 そして、もう一歩踏み込んでプライベートでもお付き合いをしていこう、という方とは残念ながら出会わなかった。(出会っていたのかもしれなかったけれど、それを深めていく時間も余裕もなかった、というほうが正しいのかもしれない。)中学入学後は、それこそ息子が地域と離れてしまったので、身近にいろいろ情報交換できるお母様はいないに等しい。
が、最近「患者会」という新たな交流の場が出来た。
これには当然肩書き不要。今、何をしていようとこれまで何をしてこようと基本的に一切関係ない。軸は同じ病気の患者であるということ。患者として魅力ある人材、というのも変な話だが、実に皆さん活動的で魅力的。身の処し方など学ぶところが一杯ある。中にはちゃんと患者会としての名刺を作ってお渡し下さる方もいて、すごい・・・、とびっくりした。
誰しも当然いろいろな顔を持っているし、いろいろな交流の場とつながっていたいのだろう。人間は決して一人では生きられないのだから。
この病気になるまでは、仕事プラス息子中心で、自分のこと(可哀想ながら夫も含む。)は知らず知らずに後回しになっていた。 さすがに最近は自分の時間、自分の好きなことに使う時間を大切にさせてもらうようになったから、いろいろなことを我慢している、というストレスは殆どない。もちろん治療のためにあきらめなければいけないことは沢山あるけれど、それは致し方ないことで、ストレスとはまったく別のものと受け止めている。
(病気になる前には)このまま定年になって地域とも殆どつながりがないと、定年後長い時間を過ごす居場所がなくなる働き蜂の男性と全く変わりない、いや、かえって女性であるから(女性はきちんと地域で根を張っている人たちが多い中で浮いてしまうということで)より性質(たち)が悪いかも・・・と思うこともあった。
逆に、今はやりたい放題やっているな・・・、という(家族に対する)負い目がちょっとだけある。それでも、ストレス一杯で眉間に皺をよせて無理やり頑張ってキリキリ、イライラしているより、家事や雑事はうまいこと放り投げてでも、ニコニコ笑っているほうが家族ともども免疫力アップなのだろうな、と勝手に都合の良い解釈をしている。
今では、これまで生きてきて好きでやってきたことの中から、体調と相談しつつ細々と再開を考えている合唱もそうだし、患者会とのつながりもそう。もちろん仕事も家族も私にとって掛け値なくとても大切なものだけれど、それだけで100パーセントにはしないつもりだ。
新しいことを始めること、自分を磨くことをあきらめず、もちろんあまり頑張りすぎず、ちょっぴりだけでも欲張る気持ちを保ちながら、少しでも楽しい毎日を送ることこそ、今の自分にとって一番ストレスのない大切な生活だ、と思っている。
■管理職の方■
最近、自分を磨くことを怠っていませんか?肩書を外した場合でも、組織や社会で魅力ある人材といえる自信がありますか?組織の肩書を外していただき、自由な議論ができる場を提供しています。そこでは最高の講師陣と意識あるメンバーとの交流から大きな刺激を受けられます。若い方の参加が多いため、管理職の方の豊かな経験と組織を変える力を特に必要としています。
■中堅職員以上の方■
仕事でもプライベートでも充実していますね。でも「子育てが大変だ」とか「いい仕事を任されているから」と言って、自分を成長させない言い訳にしていませんか?家族はあなたの努力や頑張っている姿を期待しているかもしれません。グループツールで情報交換などにより、忙しい方でも参加できますし、ライフスタイルに合わせて参加できます。将来のために自分を磨き、今のうちに社会変革のための経験・実績や今の仕事では得られない人脈を作っておきませんか?
と。
特に“肩書きをはずした場合でも、組織や社会で魅力ある人材と言える自信がありますか?”の部分でひっかかった。私も仕事上の名刺を持ってはいるけれど、殆ど渡していないので、今の肩書きはあくまで直接仕事をする人たち用のごくごく最小限のものだ。
かつて参加した同窓会等のプライベートの集まりでどんどん名刺を配られたりすると、ちょっと引いてしまうこともあった。もちろん民間企業に勤めていたり、自らが起業家だったりという立場と、私のような公務員という立場は全く異なるので比べようもないのだが。
ふと、自分に引き寄せて考える。
これまで仕事とは一切関係のない肩書き不要の交流というと、居住団地での役員や、保育園、小学校、学童クラブという息子を介してのつながりだけだった。 そして、もう一歩踏み込んでプライベートでもお付き合いをしていこう、という方とは残念ながら出会わなかった。(出会っていたのかもしれなかったけれど、それを深めていく時間も余裕もなかった、というほうが正しいのかもしれない。)中学入学後は、それこそ息子が地域と離れてしまったので、身近にいろいろ情報交換できるお母様はいないに等しい。
が、最近「患者会」という新たな交流の場が出来た。
これには当然肩書き不要。今、何をしていようとこれまで何をしてこようと基本的に一切関係ない。軸は同じ病気の患者であるということ。患者として魅力ある人材、というのも変な話だが、実に皆さん活動的で魅力的。身の処し方など学ぶところが一杯ある。中にはちゃんと患者会としての名刺を作ってお渡し下さる方もいて、すごい・・・、とびっくりした。
誰しも当然いろいろな顔を持っているし、いろいろな交流の場とつながっていたいのだろう。人間は決して一人では生きられないのだから。
この病気になるまでは、仕事プラス息子中心で、自分のこと(可哀想ながら夫も含む。)は知らず知らずに後回しになっていた。 さすがに最近は自分の時間、自分の好きなことに使う時間を大切にさせてもらうようになったから、いろいろなことを我慢している、というストレスは殆どない。もちろん治療のためにあきらめなければいけないことは沢山あるけれど、それは致し方ないことで、ストレスとはまったく別のものと受け止めている。
(病気になる前には)このまま定年になって地域とも殆どつながりがないと、定年後長い時間を過ごす居場所がなくなる働き蜂の男性と全く変わりない、いや、かえって女性であるから(女性はきちんと地域で根を張っている人たちが多い中で浮いてしまうということで)より性質(たち)が悪いかも・・・と思うこともあった。
逆に、今はやりたい放題やっているな・・・、という(家族に対する)負い目がちょっとだけある。それでも、ストレス一杯で眉間に皺をよせて無理やり頑張ってキリキリ、イライラしているより、家事や雑事はうまいこと放り投げてでも、ニコニコ笑っているほうが家族ともども免疫力アップなのだろうな、と勝手に都合の良い解釈をしている。
今では、これまで生きてきて好きでやってきたことの中から、体調と相談しつつ細々と再開を考えている合唱もそうだし、患者会とのつながりもそう。もちろん仕事も家族も私にとって掛け値なくとても大切なものだけれど、それだけで100パーセントにはしないつもりだ。
新しいことを始めること、自分を磨くことをあきらめず、もちろんあまり頑張りすぎず、ちょっぴりだけでも欲張る気持ちを保ちながら、少しでも楽しい毎日を送ることこそ、今の自分にとって一番ストレスのない大切な生活だ、と思っている。