ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.5.16 将来の夢

2010-05-16 09:35:27 | 日記
 息子も中3になり、今年はキャリアデザインのための進路アンケート等があるという。将来彼が何の職業に就くかはわからないが、「子どもの頃、何になりたかった?」と聞かれて思い出してみた。

 小学校の高学年から中学校に入った頃、恥ずかしながら漫画家になりたかった。本を読むのはもちろん好きだったけれど、少女漫画が好きで毎週発売日に本屋さんに飛んでいっては大事に抱えて帰り、家で時間も忘れて読んでいた。幼稚園の頃から読んでいたから、難しい漢字や言葉も、結構漫画から覚えたように思う。
 お絵描きから派生したレベルだったのでお目目ぱっちり、お星様きらきらのイラストを描いていた。雑誌の読者からのお便り頁のイラスト(はがきの裏に描く程度)には何度も投稿し、ほぼ毎回掲載されていた。はがきを出すと掲載されるのが待ち遠しくて、発売日になると本屋さんに飛んでいって、載っていることがわかると、にやにやしながら買って帰り、ちょっとした図書券とか記念品が贈られてくるのも嬉しかった。
 当時、私とあまり年の違わない中学生、高校生の若い漫画家が多くデビューしており、今考えれば笑えるほど甘ちゃんであるが、なんだか自分にも出来そうな気がして、後にも先にも1度だけ16頁を書いて、ある出版社に送った。当然何の賞にも入らずに没。その後オリジナルなストーリーも浮かばなかったし、それっきりになった。

 やはり中学生の頃、小説家になりたい・・・というにはおこがましいけれど、ちょっとした物語を書いていた時期もあった。
 あの時のノートが見つかったら、恥ずかしくて舌でも噛みそうで、どうしてよいかわからない、という感じ。まさか実家には残っているまい、と思うのだが、若干不安である。(というのも、先日第九の演奏会で着た黒のロングスカートは、なんと高校時代から大学時代に着ていた当時のもの。実に30年選手である。なんとも物持ちの良いエコな母である。「もしかして、(あのスカート)まだおいてある?」と聞く娘も娘なのだが・・・。)

 いずれにせよどちらの職業に就くにも、才能も努力も圧倒的に不足していたので、今に至っている。

 思うに、哀しいかな、オリジナリティはないけれど、やはり何か“書く”ことに関わっていたかったのだな、と思う。レベルも形も全く違うが、この年齢になってこうして治療日記を中心とした身辺雑記を書く機会を得られたことは、やはり夢が叶ったことなのだと思う。幸せなことである。

 オリジナルな小説は書けなくとも、誰しも書こうと思えば随筆もどきは書ける、ということか。負け惜しみで一番好きなことは職業にしない方がいい、などと言ってみたこともあるが、やはり産みの苦しみに携わる職業は本当に大変だ。自分を晒し、文字通り心血を注いで身を削って書くのだろう。

 もちろんどんな職業にも貴賤はないし、その大変さにおいて変わりはないと思う。ただ、やはり“自分が好きなこと”に少しでも関われていれば辛いときでも頑張れるのかな、とも思う。“自分としてはそれほど苦しまずなぜか上手にできること”と、“仕事としてきちんと努力して続けられること”は違う、というのも事実だけれど。

 息子には彼の好きなことにちょっぴりでも関わりつつ、そしてそれを少しでも活かせる仕事に就いて貰えればこんなに嬉しいことはない。
 それには、地味な小さな努力を厭わずに愚直なまでにやっていく、という日々の積み重ねが何より大切なのだと思うけれど。いかんせん“努力が嫌い”と大きく顔に書いてある息子である。
 中間試験10日前というのに、今日は大荷物の応援グッズとともに、東京ドームまで野球観戦に出かけてしまった。

 一昨日、鈴木俊一元都知事が亡くなった。享年99歳。
 健康に何よりも気を使い、ご夫妻揃ってお元気でいらっしゃると伺っていたので、11月の100歳の誕生日を迎えられるのだろう、と思っていた。
 もう20年以上前、2年ほど近くでお仕えてしていたことがある。高校の大々先輩でもあり、“地方自治の神様”と称される方だったが、身近にいるととてもシャイで寡黙で、それでもごくたまにお見せになる笑顔がとてもチャーミングな方だった。まだ大組織のイロハのイもわかっていなかった私にとって、この組織において意思決定がどのように行われるのか、幹部たちの謦咳に触れることが出来たのは、やはり何ものにも変え難い貴重な経験であった。
 昨年白寿のお祝いの会のお誘いを頂いたが、体調と相談して欠席していた。もしかするとこうした集まりも最後かもしれない、とは言われていたのだけれど。
 最後にお目にかかったのは10年以上前。勤務先の大学に視察にお見えになった時だった。10年以上も経って私の顔をご覧になり、「おや」というお顔をされた。その時は少し足取りはゆっくりになっていたが、矍鑠と歩いていらした。

 ひとつの時代が終わったような気がする。合掌。

コメント
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