再発治療開始から無事4年1カ月が経過しようとしている。
途中、半年間の休職をしたにせよ、今では日々仕事を続け、週1回の通院日と、その後の数日間の副作用による不調を除けば、おかげさまでごくごく普通の生活が続けられている。が、ついつい、その有難みを忘れてしまう罰当たりな自分がいる。
思えば、初発の手術をした病院で再発を告げられた時、ぼんやりと(私にあと残された時間は5年くらいだろうか・・・)と思ったことは以前にも書いた。何の根拠もなかったけれど、当時、再発乳がんの10年生存率が5%と言われていたから、では何とかその半分くらいは頑張れるのではないか、とでも思ったのだろうか。
予後の長い短いは再発部位にもよるのだろうけれど、私の場合は胸骨・鎖骨、両肺多発、縦隔リンパ節のトリプル遠隔転移プラス局所再発のおまけつき、だったから、今、冷静に考えてもそれなりに深刻なものであったと思う。もちろんその後、乳がん治療は日進月歩で、使える薬も増えているので、10年生存率が今ではもっと上がっているということは周知のとおりだ。
本当に“あと5年”だったとすれば、4年1カ月が経過して、残された時間はあと1年足らず。
そう考えると、正直ちょっとたじろぐ。今年の桜は見られても来年の桜は見られない、ということではないか。
今の私は、それがとても現実的だとは思えない、と言うほどずうずうしくなっている。このまま地道に治療を重ねて行けば、きっと息子の高校卒業式にも出席出来て、成人式を迎えることも夢ではない、と願っている(信じている)自分がいる。もちろん神のみぞ知る、であるのだが・・・。
こういう気持ちにさせて頂けたのは、何よりこれまで治療が奏功してきたからであり、こうして命を繋げているのは何より主治医、看護師さんたち、そして家族、友人の支えの賜物なのだ、という感謝の気持ちを忘れてはならない、と改めて自戒する。気付けば、副作用がどうたらこうたら、と弱音や文句を吐いているのだから。
先日、プチ虹のサロンのSさんが帰り路におっしゃった言葉が耳を離れない。
「(がん細胞が)消えてしまうことがなくても、皆が、本当にこのまま変わらずにいられたらいいよね。」と。
同感だ。本当にしみじみそう思う。
皆が、各々自分が納得いく治療を、副作用と闘いながら続けている。その中で月に一度、体調を整えながら、お互いの元気を交換し、チャージするために、集うことが出来ている。
いつもお世話になっているレストラン等で、私たちの途絶えることのない笑い声とお喋りを漏れ聞いているお店の方たちは、私たち全員がⅣ期の進行・再発がん患者だ、などとは決して思っていないだろう。「元気一杯な女子会」と思われているかもしれないな、と苦笑する。もちろん、給仕の際にちょっと耳を傾ければ、抗がん剤の名前やら副作用やら、かなりシビアな話が飛び交っているのだけれど。こちらも個室なのでついつい大胆に話し込む。
今の私の状況を思えば、がん細胞は、画像上で消えていることすらなく、しっかりくっきり鎮座ましましているわけだけれど、暴れてはいないから、こうして普通の生活を送ることが出来る。つまりは共存出来ているということだ。
そう、こうして治療を続けながらも共存が出来れば、ある意味十分“Win-Win”なのだろう。
この後、がん細胞が暴走して、宿主の私の息の根を止めてしまうことになれば、がん細胞ももはや生き延びることは出来ないのだから、これでは“Lose-Lose”である。
だから、「“消えてくれ”とまでは言わないからどうかこのまま不変で、“Win-Win”で行こうよ。」と自分の中の細胞に話しかけてみたりするわけである。
今日も寒かった。今夜未明からは雪の予報。明日の朝は積もっているとのこと。
明日は通院日。心して早目に出かけなくては・・・。
途中、半年間の休職をしたにせよ、今では日々仕事を続け、週1回の通院日と、その後の数日間の副作用による不調を除けば、おかげさまでごくごく普通の生活が続けられている。が、ついつい、その有難みを忘れてしまう罰当たりな自分がいる。
思えば、初発の手術をした病院で再発を告げられた時、ぼんやりと(私にあと残された時間は5年くらいだろうか・・・)と思ったことは以前にも書いた。何の根拠もなかったけれど、当時、再発乳がんの10年生存率が5%と言われていたから、では何とかその半分くらいは頑張れるのではないか、とでも思ったのだろうか。
予後の長い短いは再発部位にもよるのだろうけれど、私の場合は胸骨・鎖骨、両肺多発、縦隔リンパ節のトリプル遠隔転移プラス局所再発のおまけつき、だったから、今、冷静に考えてもそれなりに深刻なものであったと思う。もちろんその後、乳がん治療は日進月歩で、使える薬も増えているので、10年生存率が今ではもっと上がっているということは周知のとおりだ。
本当に“あと5年”だったとすれば、4年1カ月が経過して、残された時間はあと1年足らず。
そう考えると、正直ちょっとたじろぐ。今年の桜は見られても来年の桜は見られない、ということではないか。
今の私は、それがとても現実的だとは思えない、と言うほどずうずうしくなっている。このまま地道に治療を重ねて行けば、きっと息子の高校卒業式にも出席出来て、成人式を迎えることも夢ではない、と願っている(信じている)自分がいる。もちろん神のみぞ知る、であるのだが・・・。
こういう気持ちにさせて頂けたのは、何よりこれまで治療が奏功してきたからであり、こうして命を繋げているのは何より主治医、看護師さんたち、そして家族、友人の支えの賜物なのだ、という感謝の気持ちを忘れてはならない、と改めて自戒する。気付けば、副作用がどうたらこうたら、と弱音や文句を吐いているのだから。
先日、プチ虹のサロンのSさんが帰り路におっしゃった言葉が耳を離れない。
「(がん細胞が)消えてしまうことがなくても、皆が、本当にこのまま変わらずにいられたらいいよね。」と。
同感だ。本当にしみじみそう思う。
皆が、各々自分が納得いく治療を、副作用と闘いながら続けている。その中で月に一度、体調を整えながら、お互いの元気を交換し、チャージするために、集うことが出来ている。
いつもお世話になっているレストラン等で、私たちの途絶えることのない笑い声とお喋りを漏れ聞いているお店の方たちは、私たち全員がⅣ期の進行・再発がん患者だ、などとは決して思っていないだろう。「元気一杯な女子会」と思われているかもしれないな、と苦笑する。もちろん、給仕の際にちょっと耳を傾ければ、抗がん剤の名前やら副作用やら、かなりシビアな話が飛び交っているのだけれど。こちらも個室なのでついつい大胆に話し込む。
今の私の状況を思えば、がん細胞は、画像上で消えていることすらなく、しっかりくっきり鎮座ましましているわけだけれど、暴れてはいないから、こうして普通の生活を送ることが出来る。つまりは共存出来ているということだ。
そう、こうして治療を続けながらも共存が出来れば、ある意味十分“Win-Win”なのだろう。
この後、がん細胞が暴走して、宿主の私の息の根を止めてしまうことになれば、がん細胞ももはや生き延びることは出来ないのだから、これでは“Lose-Lose”である。
だから、「“消えてくれ”とまでは言わないからどうかこのまま不変で、“Win-Win”で行こうよ。」と自分の中の細胞に話しかけてみたりするわけである。
今日も寒かった。今夜未明からは雪の予報。明日の朝は積もっているとのこと。
明日は通院日。心して早目に出かけなくては・・・。