一昨日から一体何時間寝たものやら・・・というほどベッドに長くいたけれど、今朝も寝覚めはすっきりせず、いつも通りの起床時間が何とも辛い。
フラフラしながら朝食と息子のお弁当づくりだけこなして、2人が出かけるのをリビングで横になりながら見送った。
それにしても、職住近接で、徒歩で職場に通えるからからこそ、こうした体調不良の日にも休まないでいられるだけで、これが電車通勤だったら間違いなく休暇願いの電話をするところだ。いつまで働くことが出来ることやら・・・とついつい弱気になる。
今日はやむなく力仕事もした結果、胸部の痛みがまた出てきてしまった。
さて、土曜日のことだ。
夫が見舞いに出かける前に義妹から電話があった。義母に拘束衣を着せることについて同意書にサインしてもらう必要があるのでよろしく、とのことだった。おむつが気持ち悪いらしく、どうしても手を入れてしまうので、汚れて大変だから、ということらしい。
標題の「どんどん壊れていく・・・」は、その時に言った義妹の台詞だ。
何とも切ないことだ。
息子は前日の金曜日、TDLから殆ど午前様ギリギリの帰宅だった。土曜日は夫と2人でお見舞いに行く予定だったのだが、「さすがに疲れがとれなくて、今日は辞めておく。再来週お母さんと一緒に3人で行くことにする。」という。
先日聞いた認知症判定テストの結果のとおり、大分症状が進んでいるようだ。もし、だんだんと自分のことを認識してもらえなくなっているのだとしたら、少しでも早く行ってあげた方がいいのでは、と言ったのだけれど。息子は息子で、「(そういう祖母を見るのが)可哀想で(いやだ)」という。
物ごころついた頃からずっと、きちんとフルメイクして朝から素顔を見せなかった祖母が、今では髪も染めず、入れ歯もお化粧もせずにベッドで寝たきりでいる姿は、出来れば見ないであげたい、と思う息子の気持ちももっともだ。
けれど、人が老いて病んでいく、ということは紛れもなくそういうことなのだ、ということから目を背けずに見ておくこと、知っておくことは、大人になっていく上で必要なのではないか。
もう16歳だ。残酷かもしれないけれど、そういうことが分かる歳でもあると思う。かくいう私だって、僅か2日寝込んだだけで髪の毛は爆発、スッピンで目の下クマの酷い顔である。いずれやって来る終末期には、見せたくなくともそういう姿を晒さざるを得なくなるのだろうから。
疲れた顔をして「それでも、だんだんと壊れて行くことは必要なのかもしれないな。」と夫は言う。
「私が朝、化粧をしなくなったら死ぬ時だと思ってちょうだい。」と言っていたほどプライドが高かった義母が、そうした姿を私たちに見せることは、決して嬉しいことではないだろう。むしろ意識がしっかりしていたら、とても耐え難いことなのだろうと思う。
だからこそ、だんだんと分からなくなっていく方がきっと幸せなのだ、と。
病床のトンネル内で光が見えない実母、土日とも体調不良で家事が満足に出来ない妻・・・夫の気持ちは晴れないだろう。
実家の両親もいつどうなるか分からない。何とかして介護の期間がずれてほしい、と祈るばかりだ。
何とも重い話である。
フラフラしながら朝食と息子のお弁当づくりだけこなして、2人が出かけるのをリビングで横になりながら見送った。
それにしても、職住近接で、徒歩で職場に通えるからからこそ、こうした体調不良の日にも休まないでいられるだけで、これが電車通勤だったら間違いなく休暇願いの電話をするところだ。いつまで働くことが出来ることやら・・・とついつい弱気になる。
今日はやむなく力仕事もした結果、胸部の痛みがまた出てきてしまった。
さて、土曜日のことだ。
夫が見舞いに出かける前に義妹から電話があった。義母に拘束衣を着せることについて同意書にサインしてもらう必要があるのでよろしく、とのことだった。おむつが気持ち悪いらしく、どうしても手を入れてしまうので、汚れて大変だから、ということらしい。
標題の「どんどん壊れていく・・・」は、その時に言った義妹の台詞だ。
何とも切ないことだ。
息子は前日の金曜日、TDLから殆ど午前様ギリギリの帰宅だった。土曜日は夫と2人でお見舞いに行く予定だったのだが、「さすがに疲れがとれなくて、今日は辞めておく。再来週お母さんと一緒に3人で行くことにする。」という。
先日聞いた認知症判定テストの結果のとおり、大分症状が進んでいるようだ。もし、だんだんと自分のことを認識してもらえなくなっているのだとしたら、少しでも早く行ってあげた方がいいのでは、と言ったのだけれど。息子は息子で、「(そういう祖母を見るのが)可哀想で(いやだ)」という。
物ごころついた頃からずっと、きちんとフルメイクして朝から素顔を見せなかった祖母が、今では髪も染めず、入れ歯もお化粧もせずにベッドで寝たきりでいる姿は、出来れば見ないであげたい、と思う息子の気持ちももっともだ。
けれど、人が老いて病んでいく、ということは紛れもなくそういうことなのだ、ということから目を背けずに見ておくこと、知っておくことは、大人になっていく上で必要なのではないか。
もう16歳だ。残酷かもしれないけれど、そういうことが分かる歳でもあると思う。かくいう私だって、僅か2日寝込んだだけで髪の毛は爆発、スッピンで目の下クマの酷い顔である。いずれやって来る終末期には、見せたくなくともそういう姿を晒さざるを得なくなるのだろうから。
疲れた顔をして「それでも、だんだんと壊れて行くことは必要なのかもしれないな。」と夫は言う。
「私が朝、化粧をしなくなったら死ぬ時だと思ってちょうだい。」と言っていたほどプライドが高かった義母が、そうした姿を私たちに見せることは、決して嬉しいことではないだろう。むしろ意識がしっかりしていたら、とても耐え難いことなのだろうと思う。
だからこそ、だんだんと分からなくなっていく方がきっと幸せなのだ、と。
病床のトンネル内で光が見えない実母、土日とも体調不良で家事が満足に出来ない妻・・・夫の気持ちは晴れないだろう。
実家の両親もいつどうなるか分からない。何とかして介護の期間がずれてほしい、と祈るばかりだ。
何とも重い話である。