愛読している朝日新聞医療サイトアピタルが昨日からリニューアルされた。
いつかもご紹介したことがあったかと記憶しているが、小笠原先生の連載の最新号を抜粋してご紹介させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
診療所の窓辺から ことばは無料 もっと伝えよう 小笠原望(2012.12.1)
(前略) 子育てや介護の場面で、夫をはじめ家族のねぎらいのないのが辛(つら)いという話をよく聞く。ぼくは言う。「『わたしって、よくやっていると思いませんか』、胸を張ってそう言ったらいい。ねぎらいは待っていたらいかん。もらいたいときには、要求したらいい」。それにつけ加えて、「あなただからできるんですね」「よう辛抱していますね」と、ぼくは惜しみなくねぎらいを繰り返す。
ひとことのねぎらいがどれほどこころを軽くすることか。「お母さんは喜んでますよ。家で最期を迎えるのは最高の贅沢(ぜいたく)です。ようやった。ここまではなかなかできませんよ」と、認知症の在宅介護をやり遂げた家族に、ぼくは言葉をかける。
いろいろな今までの嫁姑(しゅうとめ)の問題を聞く。「人間のこころはそんなにきれいじゃない、それでいい。憎しみを持ちながら介護するのも人間らしくていい」と思うようになってきた。夫婦も親子も同じ、きれいな関係はそう多くない。いろいろごちゃごちゃありながら、「ありがとう、世話になるねえ、すまんねえ」と、お互いにねぎらいを口にしたい。
ねぎらいの不得意な人がいる。「その照れを捨てたら楽になりますよ」とぼくは勧める。「言葉は無料、ただです。相手を思い切りよいしょしたらいい。言わないと伝わらないことがいっぱいある。相手を想う気持ちは当たり前と思わないで口にしたらいい」と続ける。ぼくの父は晩年、母へのねぎらいの言葉を口にしだした。元来口数の少ない父は、「のぞみ(ぼくです)に影響された」と笑っていた。表現は変えることができる、父を見てそう思った。
ひたすら手紙を書き送る、片思いの時代がぼくにはあった。「想いは伝えないとわからない」、いい歳(とし)になったが、その気持ちはぼくの臨床の現場で生き続けている。
(転載終了)※ ※ ※
本当にそうだ。さまざまな場面で以心伝心が有効であれば、それは素晴らしいことかもしれないけれど、世の中そうはうまくいかない。お互い自分の事情と理屈があるから、やはり口に出してきちんと意思を伝えないと、思いもしなかった痛い目やら肩すかしに逢うことだってある。
そして、ひとことのねぎらい、ひとことの感謝の気持ち、それが素直に表せたらきっと世の中はもっと生きづらさから解放されて、人間関係がもっともっとスムーズにいくのだろう。
言葉は無料、けれどお金で買えないほどの大きな力を持つと思う。両刃の剣だから、当然凶器にもなり得る。一度口に出してしまった言葉は取り返しがつかないのだから。
けれど、ねぎらいの言葉、感謝の言葉を言われて、はたまたヨイショだな、とわかっていてもそうされて嫌な気持ちになる人はおるまい。
だからこそ、お礼の気持ちはうんとしっかり伝えたい。沈黙は金などと言っていないで、家族に対しても誰に対しても、感謝とねぎらいの想いは照れずに口にしたい、と思う。
帰宅すると、今月第1回目のお花が届いていた。ピンクと白のストックが2本ずつ、オレンジ色の薔薇が3本、ワックスフラワーが3本。それぞれ花言葉は「思いやり」「愛らしさ」「可愛らしさ」だそうだ。前回のお花も、前々回のお花もまだ十分元気で、花瓶を彩ってくれている。
2週間後のお花で、今年も最後である。
そして、お名前はわからないのだが、患者会の方からお葉書を頂いた。赤いヨーグルトと乳酸菌飲料をダブルで飲んで白血球が1500も上がったとのこと。
お教え頂きまして、どうもありがとうございました。
いつかもご紹介したことがあったかと記憶しているが、小笠原先生の連載の最新号を抜粋してご紹介させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
診療所の窓辺から ことばは無料 もっと伝えよう 小笠原望(2012.12.1)
(前略) 子育てや介護の場面で、夫をはじめ家族のねぎらいのないのが辛(つら)いという話をよく聞く。ぼくは言う。「『わたしって、よくやっていると思いませんか』、胸を張ってそう言ったらいい。ねぎらいは待っていたらいかん。もらいたいときには、要求したらいい」。それにつけ加えて、「あなただからできるんですね」「よう辛抱していますね」と、ぼくは惜しみなくねぎらいを繰り返す。
ひとことのねぎらいがどれほどこころを軽くすることか。「お母さんは喜んでますよ。家で最期を迎えるのは最高の贅沢(ぜいたく)です。ようやった。ここまではなかなかできませんよ」と、認知症の在宅介護をやり遂げた家族に、ぼくは言葉をかける。
いろいろな今までの嫁姑(しゅうとめ)の問題を聞く。「人間のこころはそんなにきれいじゃない、それでいい。憎しみを持ちながら介護するのも人間らしくていい」と思うようになってきた。夫婦も親子も同じ、きれいな関係はそう多くない。いろいろごちゃごちゃありながら、「ありがとう、世話になるねえ、すまんねえ」と、お互いにねぎらいを口にしたい。
ねぎらいの不得意な人がいる。「その照れを捨てたら楽になりますよ」とぼくは勧める。「言葉は無料、ただです。相手を思い切りよいしょしたらいい。言わないと伝わらないことがいっぱいある。相手を想う気持ちは当たり前と思わないで口にしたらいい」と続ける。ぼくの父は晩年、母へのねぎらいの言葉を口にしだした。元来口数の少ない父は、「のぞみ(ぼくです)に影響された」と笑っていた。表現は変えることができる、父を見てそう思った。
ひたすら手紙を書き送る、片思いの時代がぼくにはあった。「想いは伝えないとわからない」、いい歳(とし)になったが、その気持ちはぼくの臨床の現場で生き続けている。
(転載終了)※ ※ ※
本当にそうだ。さまざまな場面で以心伝心が有効であれば、それは素晴らしいことかもしれないけれど、世の中そうはうまくいかない。お互い自分の事情と理屈があるから、やはり口に出してきちんと意思を伝えないと、思いもしなかった痛い目やら肩すかしに逢うことだってある。
そして、ひとことのねぎらい、ひとことの感謝の気持ち、それが素直に表せたらきっと世の中はもっと生きづらさから解放されて、人間関係がもっともっとスムーズにいくのだろう。
言葉は無料、けれどお金で買えないほどの大きな力を持つと思う。両刃の剣だから、当然凶器にもなり得る。一度口に出してしまった言葉は取り返しがつかないのだから。
けれど、ねぎらいの言葉、感謝の言葉を言われて、はたまたヨイショだな、とわかっていてもそうされて嫌な気持ちになる人はおるまい。
だからこそ、お礼の気持ちはうんとしっかり伝えたい。沈黙は金などと言っていないで、家族に対しても誰に対しても、感謝とねぎらいの想いは照れずに口にしたい、と思う。
帰宅すると、今月第1回目のお花が届いていた。ピンクと白のストックが2本ずつ、オレンジ色の薔薇が3本、ワックスフラワーが3本。それぞれ花言葉は「思いやり」「愛らしさ」「可愛らしさ」だそうだ。前回のお花も、前々回のお花もまだ十分元気で、花瓶を彩ってくれている。
2週間後のお花で、今年も最後である。
そして、お名前はわからないのだが、患者会の方からお葉書を頂いた。赤いヨーグルトと乳酸菌飲料をダブルで飲んで白血球が1500も上がったとのこと。
お教え頂きまして、どうもありがとうございました。