ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.8.2 家事ハラ!?

2014-08-02 16:25:33 | 日記
 セクハラ、パワハラ、アカハラ、マタハラ・・・ときて、最近は「家事ハラ」というものもあるようだ。ネットでは話題になっているとのこと、ご存知だろうか。

 洗い物をする夫に「お皿洗いありがとう。一応もう一度洗っとくね」とか、料理をする夫に「かくし味とかいらないからね」という妻からのひと言。そのひと言で夫が家事をやる気をなくす姿を描いた、ある企業のCMがきっかけだそうだ(かくいう私は、このCM自体まだ見たことがないのだけれど・・・。)。
 その企業では、この「ひと言」問題を「家事ハラ」と名付け、「妻の家事ハラ白書」としてアンケートを公開しているのだという。それによると、「自分もこんな目にあっている」という夫が約7割いるらしい。
 そして、そのアンケートの聞き方が「手伝っていますか」という点について、「共働き家庭なのに『手伝っている』とはなにごとか」「共働き家庭で妻も家にお金を入れているなら、手伝うという意識では困る。シェアするのは当たり前」と共働き妻からのブーイングが起こっているのだそうだ。

 まあ、確かに突っ込みどころ満載であるには違いないけれど、我が家の例を言えば、やってくれたら“褒めるに限る”である。言葉は悪いけれど、“夫もおだてりゃ、木に登る”なのだ(この記事、ちょっと夫には読ませたくないけれど・・・)。
 
 もちろん、誰だって最初はやったことがないことを、ちゃんと出来るわけはない(家を出る迄何もやったことのなかった息子も、今はそれなりに洗濯干しが出来るようになっている・・・筈。)。私自身、一人暮らし1年生だった時分にはそうだったのだから、そもそも家事のキャリアが違う夫だけをどうして強く責めることが出来ようか。
 そして、自分のやり方を全て相方が踏襲してくれて当然、と思うのはちょっと無理があるのではないだろうか。やり易い方法というのは自分で実際にやりながら身につけていくもので、上から目線で相手に押しつけてみたところで始まらない、と思う。
 そう、私は、自分のやり方は自分にとってはベストかもしれないけれど、決して絶対的にベストだとは思っていない(要は家事に自信がないだけなんです・・・)。

 我が家は、結婚当初から共働きが前提(「私、当然定年まで働くわよ!」ということで)だったから、“早く帰宅した方が夕飯を作る”と“作った方は片づけない”をルールとしてきた。だって、早く帰宅している夫がテレビを見ながらひっくり返っていて、自分が疲れて帰って食事の支度をしていても「ご飯まだ~?」で、ようやく作って、食べて、さて食べ終わったらまた、夫だけは好きなことをやって、自分が全て片づけていたら、そりゃ、ブチ切れますよね。私はあなたのお母さんではありません!と。

 洗濯物も洗濯機が洗い上げてくれた後、私が干していたら、手伝うのが当たり前。そして、もし手伝わないうちに相手が干してくれれば、「ありがとう!」が必須のエチケットである。そもそも女性モノより男性モノの方が厚地だし、ガサばるのだから!
 そうはいってももちろん、私の方が早く帰宅する日が圧倒的に多かったから、これまで基本的には私が夕飯を作ってきた。が、息子が家を巣立ち、仕事が終わってから直接ヨガのクラスに立ち寄る時などは夫が作ってくれるし、土日に私が出かける時は、自分が作っておくからね、と言ってくれるようになっている。

 なんといっても、帰宅して食事が出来ていることほど有難いことはない。だからここでは絶対文句など言えようか。そして、美味しかったら、しっかり褒める。
 「私が作るより、美味しいね~、上手だね~、また食べたいな~」である。当然、夫はまんざらでもない様子で、次回も進化した夕食にありつけるわけだ。

 世の殿方たちは働いて疲れて帰宅するのだから夕食が出来ているのは当たり前、かもしれないけれど、共働きの女性は哀しいかな、同じように疲れて帰って来ても誰かが作っておいてくれることは決して当たり前ではないのである。

 最初はシワシワだった洗濯干しも、今ではちゃんとピチッと干してくれる。
 ボタンがとれれば、私に頼むより先に(私は針仕事が嫌いです。これは息子も判っていて、私に頼むより、「お父さん~」と言っていた。何の自慢にもなりませんが・・・)さっさと裁縫箱を出して、チャッチャと付けてしまう。
 昔は私がまとめてやっていた靴磨きも、今では自分で黙々と磨いている。産休中、時間があるから、とやってみたものの、あまりにコストパフォーマンスが悪いと(私が)感じて完全外注にしたワイシャツ以外は、家で洗濯した物のアイロンかけも、気になればパッとアイロン台を出してきてかけている。そんなわけで、各種の家事がすっかり自立して出来る夫は、もう私がいなくなっても全く困らない筈、である。

 そう、共働きというライフスタイルは、我が家にとっては当初、私の就業観(働くことは当たり前)と自己実現のためだったかもしれないけれど、家族のためのリスクヘッジでもあると思う。
 仕事、家事、育児をシェアするのはどちらかに何かがあった時、それでも家庭が回るようにするためのものだろう。どちらかが失職しても収入がゼロにはならない。どちらかが病気になっても、子どもの面倒がなんとか見られる、という意味で。

 そして、再発治療を続けて6年半が過ぎた今も、共働きであることは変わりない。
 たまに入院することはあるけれど、それでもちゃんと我が家は回っているのである。お互いを尊重しつつ、ハラスメントなく、おかげさまで・・・。
コメント (3)
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