ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.5.11 知らぬが仏・・・

2015-05-11 20:46:17 | 日記
 なんだかなあ、と思うことがあった。
 全くもって “知らぬが仏”のことは本当に沢山ある。全く思いもよらなかった所から、思いもよらぬ矢が飛んでくるものである。とかくこの世は住みにくい、が実感である。
 まあ、それもこれも私が「何でもどんと来い!」の太っ腹な人格者でなく、情けないほどの小心者だからなのかもしれないけれど・・・。

 他人(ひと)様から相談を持ちかけられる、ということはそれなりに信用して頂けている証拠だろうから、嫌な気持ちはしない。だから、聴かせて頂くことで少しでも先方の気持ちが楽になるということならば、私でよろしければお役に立ちます、という思いは常に持っている。
 けれど、それはあくまでもある前提条件-お互いに築き合ってきた信頼関係-に拠って立つものである。

 話を聴くことがなければ忘れていられたことを、改めて思い出すことになった。もちろん思い出して嬉しい話では、ない。私が知らない所で、おそらく良い話ではない形で私のことが話題に上り(当然私がそのことについて発言出来ない状況である。)、更にはそのことをダシにされたというのだからあまり気分の良いものではない。
 信頼関係が出来上がった間柄ならまだしも、である。

 所詮人間関係はキャッチボールだし、相性の問題は双方の問題だから、一方的にどちらがどうこうということはないだろう。
 相手のことを大切に思えば、よほどのことがない限り、相手をないがしろにはしないものだろう(と信じたい。)。
 そして、不思議なことだが、先方がこちらに対して「?」と感じることは、こちらも先方に対して「?」と感じるだろうし、逆もまた真なり、であると思う。だからこそ相性なのだろう。一方、同じことをされても相手によって感じ方が違うというのが、これまた人付き合いの難しいところだ。
 だから、価値観や感じ方が似ている人とはお付き合いするのが楽なのだろうし、逆にうんと違えば、それはそれで新鮮で上手くいくこともあるのかもしれない。微妙に似ていたりして、例えば自分が(自分のこういう所が嫌だな・・・)と思っているところが相手に見え隠れすると、煙たいのかもしれない。相手は自分を映す鏡なのかもしれない、とも思う。

 そして、相手にあまりに入れ込み過ぎると、その思いが叶わなかった時の落ち込みも激しいということもまた真なり、だと思う。ならば全て人間関係はほどほどに、と言って本音で付き合える人がいないという人生もこれまた寂しいことだけれど・・・。

 第一印象というものは不思議と当たるものだ。だからこそ初対面のシーンを大切にしたい。そして、自分がこれまで生きてきた経験に裏打ちされた勘は、自分にとってそうそう捨てたものではないな、と思うのである。
コメント
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