先日、依頼された原稿を書きながら、これまでの治療でお世話になった薬の数を数えてみたところ、15種類を超えていた。
ホルモン陽性、HER2強陽性のトリプルポジティヴだから、使える薬、恩恵に与ることのできる薬は多い。とても恵まれていると思うし、武器が沢山あるということは有難いこと、感謝すべきことだと思っている。
がん患者になって足かけ11年、再発して7年半が経過した。この間の医学の進歩-こと乳がん治療の進歩には本当に目を見張るものがある。
当時は名前も知らなかった薬を、現在当然のように使わせて頂いている。
いつだったか、診察室で、「(病気にならなければそれが一番ですが)出来れば後から病気になった方がいいですよね、どんどんいい薬が出てきますし」と言ったところ、先生から「それでも、これまでハーセプチンをはじめ、色々な薬が使えたのだから・・・」と言って頂いたことを思い出した。そう、ハーセプチンが開発される前にこの病気になっていたら、とっくの昔にこの世の人ではなかっただろうと思う。
もう使える薬がない-。
そのことくらい患者にとってショックなことはないだろう。それは、もう積極的な治療が出来ないということになるからだ。
私自身、今使っているカドサイラ(T-DM1)に耐性がついてしまったり、その副作用で身体が受け付けなくなってしまったり、という事態になれば、残るは同じ抗HER2薬のパージェタのみである。この2つでどのくらい粘れるか。それらが使えなくなってしまった時、果たしてすんなりと潔く、「もう積極的治療はおしまいにします」と言えるのかどうか。想像してはみるものの、簡単に答えは出ない。
けれど、「あなたにはまだ使える薬があるから、まだまだでしょう?」と言われると、それはそれでちょっと微妙である。
病状や体調によって使える薬が変わってくるし、一般的に考えれば多額の開発費がかかっている新薬は旧薬よりも効き目が高くなっている筈。となれば、新しい薬に既に手を付けていて、それが効かなかったからといって古い薬に戻っても「効く」という保証はないわけだ。
とかく抗がん剤は自分の身体で試してみるまで効くかどうかわからない。その副作用の出方も千差万別だ。だからこそ、常に背水の陣という感じがする。
しかし、見方を変えれば、もう使える薬がないということは、つまりその時点での最先端医療の恩恵は全て使い尽くすことが出来た、ということではないだろうか。
誤解を恐れずに言えば、その人にとって、今ある全ての武器を使い尽くせるほど長い時間闘う事が出来たということ、すなわち副作用にも耐えることが出来、その恩恵にも与ることが出来、命を繋いでくることが出来た、不戦敗ではなく、その時における最善の闘いが出来たということにはならないだろうか。
逆にまだ使っていない薬があったとしても、既に身体がその副作用に耐えられない状態になっていたり、骨髄や肝臓、腎臓といった命にかかわる臓器の機能障害が起きていれば、どうにもならない。
だからこそ、大切な武器をここぞという時に使う為に、自分の一部でもある悪い細胞がなるべく静かにしていてくれるように、だましだましでも共存しながら体調管理に励み、体力保持に努め、過激な治療は出来るだけピンポイントの期間で済ませ、十分身体を休めながら不変の状態に持ち込む。
これが今の私に出来る最大の戦い方だ、と思っている。
さて、雪まで舞って寒かった4月の後、やってきたのは暑い5月である。昨日、今日と真夏日が連続。本来ならば7月からしか入らないことになっている空調だが、試運転で今日は一部の教室に入ったようだ。日射しがきつく、日傘を差していても昼休みの外歩きは顎が出る。
今週もあと2日、体調管理に努めなくては。
ホルモン陽性、HER2強陽性のトリプルポジティヴだから、使える薬、恩恵に与ることのできる薬は多い。とても恵まれていると思うし、武器が沢山あるということは有難いこと、感謝すべきことだと思っている。
がん患者になって足かけ11年、再発して7年半が経過した。この間の医学の進歩-こと乳がん治療の進歩には本当に目を見張るものがある。
当時は名前も知らなかった薬を、現在当然のように使わせて頂いている。
いつだったか、診察室で、「(病気にならなければそれが一番ですが)出来れば後から病気になった方がいいですよね、どんどんいい薬が出てきますし」と言ったところ、先生から「それでも、これまでハーセプチンをはじめ、色々な薬が使えたのだから・・・」と言って頂いたことを思い出した。そう、ハーセプチンが開発される前にこの病気になっていたら、とっくの昔にこの世の人ではなかっただろうと思う。
もう使える薬がない-。
そのことくらい患者にとってショックなことはないだろう。それは、もう積極的な治療が出来ないということになるからだ。
私自身、今使っているカドサイラ(T-DM1)に耐性がついてしまったり、その副作用で身体が受け付けなくなってしまったり、という事態になれば、残るは同じ抗HER2薬のパージェタのみである。この2つでどのくらい粘れるか。それらが使えなくなってしまった時、果たしてすんなりと潔く、「もう積極的治療はおしまいにします」と言えるのかどうか。想像してはみるものの、簡単に答えは出ない。
けれど、「あなたにはまだ使える薬があるから、まだまだでしょう?」と言われると、それはそれでちょっと微妙である。
病状や体調によって使える薬が変わってくるし、一般的に考えれば多額の開発費がかかっている新薬は旧薬よりも効き目が高くなっている筈。となれば、新しい薬に既に手を付けていて、それが効かなかったからといって古い薬に戻っても「効く」という保証はないわけだ。
とかく抗がん剤は自分の身体で試してみるまで効くかどうかわからない。その副作用の出方も千差万別だ。だからこそ、常に背水の陣という感じがする。
しかし、見方を変えれば、もう使える薬がないということは、つまりその時点での最先端医療の恩恵は全て使い尽くすことが出来た、ということではないだろうか。
誤解を恐れずに言えば、その人にとって、今ある全ての武器を使い尽くせるほど長い時間闘う事が出来たということ、すなわち副作用にも耐えることが出来、その恩恵にも与ることが出来、命を繋いでくることが出来た、不戦敗ではなく、その時における最善の闘いが出来たということにはならないだろうか。
逆にまだ使っていない薬があったとしても、既に身体がその副作用に耐えられない状態になっていたり、骨髄や肝臓、腎臓といった命にかかわる臓器の機能障害が起きていれば、どうにもならない。
だからこそ、大切な武器をここぞという時に使う為に、自分の一部でもある悪い細胞がなるべく静かにしていてくれるように、だましだましでも共存しながら体調管理に励み、体力保持に努め、過激な治療は出来るだけピンポイントの期間で済ませ、十分身体を休めながら不変の状態に持ち込む。
これが今の私に出来る最大の戦い方だ、と思っている。
さて、雪まで舞って寒かった4月の後、やってきたのは暑い5月である。昨日、今日と真夏日が連続。本来ならば7月からしか入らないことになっている空調だが、試運転で今日は一部の教室に入ったようだ。日射しがきつく、日傘を差していても昼休みの外歩きは顎が出る。
今週もあと2日、体調管理に努めなくては。