ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.5.22 誰も見やせん・・・

2015-05-22 20:02:52 | 日記
 昨日のこと。夫がつまらなそうに「ほんっと、だ~れからも何にも言われなかった。見られてないってことだね~」と呟いた。
 先日新調した遠近両用メガネが出来上がり、早速かけて行った職場で、誰からも何も言ってもらえなかったそうだ。
 「そうねぇ~、まあねぇ~、何気なくメガネに手をやってみたりアピールでもしたわけ?」と私もなんとも歯切れの悪い返事。ほかに言いようがないものねぇ。

 まあバリバリなイケメンの若者がお洒落なメガネに変えてきたら、ちょっと一言投げかけてくれる女性はいるやもしれないが、遠近両用メガネを新調したおじさんの顔の辺りにマメマメしくチェックを入れて、褒めたたえてくれる殊勝な人など、そうはいないだろう。
 メガネ店では「とても良くお似合いですね」と営業トークを浴びせられ、なんとなくいい気分になっていたところ、デビュー初っ端から水を差された感じで、しょぼくれた夫がちょっぴり可哀想かな、と思ったのである。

 さて、標題の台詞は今を遡る30年以上前、学生時代の友人が良く口にした言葉。
 もちろんうら若き、目一杯自意識過剰な20歳そこそこの女子だった当時のこと。些細なこと、例えばちょっぴり髪の毛にはねた所があったりすれば、鏡を見ながら大騒ぎをして、どうしようどうしよう、なんてこともあったわけである。
 そんな中で、彼女は一言「誰も見やせん・・・」と言い放ったのだ。
 おっしゃるとおり、他人(ひと)様は自分が思っているほど、自分のことなんぞ注視してなんていない。
 それでも哀しいかな、そうした他人様の目が気になって、あれやこれやと涙ぐましい努力をしている若い娘たちの中で、彼女は既に達観していたのか、どうだったのか。
 卒業以来すっかりご無沙汰で随分長いことお目にかかっていないけれど、今はどうしているのかしら。

 歳を経た今でこそ、本当にそうそう、そうなのよね、と思うけれど、だからといって番茶も出花の若い頃、全く自意識が欠損してお洒落の楽しみと無縁でいるのもちょっと哀しいのと同様、この齢になって(誰も見やせん)と開き直って何にも構わなくなったらそれこそ哀しい。
 若ければそれだけで許されるものは多い。たとえチープなものでもうまくコーディネートすれば若さゆえに可愛いね、と着こなしてしまえるかもしれない。
 そして、今や誰も見てはくれていないかもしれないけれど、歳相応にそれなりにきちんとしていなければ、本当にみすぼらしく情けなくイマドキの言葉で言えば、“残念に”“イタく”映ってしまう。
 特に10年以上色々な薬を投与し続けている影響で、寄る年波以上に容色衰えている身、である。

 誰も見やせん・・・でも自分が自分に対して恥ずかしくなく、心穏やかに気持ちの良い日々を送るためにある程度の努力をしなければ・・・と姿勢を正すのである。
 そんなわけで週末は久しぶりに自分の買い物でもしようかしら、と思うまたまた自己正当化の金曜日の夜である。

コメント
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