昨夜もブログアップ後に入浴。今日の早起きに備えて手足のケアを済ませ、何とか日付が変わる前にベッドに入った。
スマホアラームが鳴ってすぐに頑張って起きる。腰廻りは相変わらず杭を打ち込まれているように痛い。ヨガクラスがなければダラダラと寝ていることは間違いない。せっかく痛みと痺れが和らいでいたのに、今朝は痺れも痛みも再燃している。チクチクピリピリジリジリ痛む。
身支度をして朝のオンライン瞑想ヨーガ参加準備を整え、和室へ移動する。
6月初回、瞑想ヨーガ基本の動きの回である。Sさんはいよいよ妊娠後期に入り、座ってから立ち上がるのがしんどくなってきたとのこと。
今日の智慧は、「人生を苦しくさせる物の原因はアビディア(無知)であり、それを薄くするためには瞑想するのが良い」というのがヨーガの教えだ、という前回のものを受けて、「“全ては移り変わるものだと知っておくこと”が人生の苦しみを薄くする」というもの。
この世界の全て-自然物、天気、木や花、肉体、感情、考え事、相手の気持ち、相手自身等―は変わってゆくものだ、と知っておくと、無知を薄くして苦しみを和らげてくれる。1つのことにどうしようどうしよう、と思わず柔軟に対応できるようになる。
ヨーガに於て、この世界で唯一変わらないものはこの世界の源、本当の私達の姿である純粋な愛である。これこそ決して移り変わることのない核の部分。いつも純粋な愛を視点に観察していく。移り変わる感情や気温等の中で、変わらない自分を観察する練習をしていく。たとえ今が苦しくても、それは移り変わるものである。
オームを1回、シャーンティを3回唱える。
胡坐で座って両手を組んで頭の上に挙げ、頭の後ろで手を組み、片方の手を下げて肩甲骨を動かす感じで左右を伸ばす。両手を開き、胸と顔を上に上げて、クンバカ。片手を斜め上に上げて伸ばし、顔は手と反対側の横向き、ここでも肩甲骨を動かす感じで。
次に反対の手をグーにして肘を背中の後ろに持っていく形にして顔を向ける。身体は顔につられて捩じらないで真っすぐのまま。肩こりや目の疲れに良い動きで、朝行うと身体が温まりやすくなる。
続いて四つん這い。片足をなるべく90度に高く横に上げる。続いて後ろに伸ばす。左右繰り返す。最後はチャイルドポーズで休息。
豊かさと幸運をもたらし、障害物を取り除く力を与え、その力とともにあるようにという意味のある、ガネーシャの長いキールタンを最後まで歌う。
最後に瞑想。肩の荷がドサドサと落ちていき、頭と心が休んでいる。魂が充電する時間。
ラストは皆でオームを1回、シャーンティを3回唱えて終了。
いつものように「感想や質問があれば・・・」タイム。
Aさんは「肩からドサドサと重いものがなくなります、というガイドで軽くなった気がした。朝は気持ちがどんよりしていたが、身体を動かして瞑想して、リセット出来て気持ちが軽くなった。」とのこと。
Fさんは「足とお尻を鍛えたいと思っていたら、その動きが出た。やりたいことをやってくれて嬉しかった」とのこと。
Jさんは「久しぶりにオンタイムで出たら、集中力が違った。顔がパンパンだったが少しスッキリした感じ」と。
Hさんは「身体を動かした後の瞑想が良かった。”休む”という感覚はこれか、と感じた。瞑想の時間を食事の前に組みこもうとやってはみても、今日のような感覚にはなれない。純粋な自分に触れるというのはこれがそうか、という感じがした。」とのこと。
私は「部屋の窓からひんやりした空気が流れてきたのが気持ち良く、地味な動きの中で身体の固まりが取れて気持ち良かった。好きなガネーシャキールタンも沢山歌えて、魂の充電の時間を実感できた。」とお礼を。
「ガネーシャキールタンは皆で集まって歌うと、とても盛り上がって楽しいのだけれど、いつかまた・・・」とSさん。
Mさんは「地味な動きは気軽に出来そうなのでやってみたい。」とのこと。「確かにオフィスでも出来そうですね」とSさん。
ここでお開き。次回は来週金曜日だ。
先日までの指導者養成コースの連絡事項があるので、私だけ少し残るようにとのこと。それを伺った後、自分のクラスについて今後の方針等の報告が出来たのが有難かった。
部屋を片付けて、朝食の支度を整え、夫を起こす。パジャマ等を取り替えてもらって洗濯機を廻す。
空腹だったので、朝食はしっかり摂れた。ミニチョコクロワッサン1個とレーズンフランスパン半分。ゴールデンキウイとりんご2かけずつ、デラウエア少々とバナナ半分。ブラッドオレンジジュースを小さいグラスに1杯にモーニングティをマグカップ半分。食後はミヤ、タケプロン、タリージェ5㎎。
普段なら治療直後の週末はダウンしていて夫に全部任せる食事の支度等をやらざるをえないので、結構青息吐息だ。
洗濯物が出来上がって、ベランダに干したら、ぐったりしてソファと一体化。
今日も真夏日の予報だ。風が通るリビングにいて殆ど横になっていると、汗もかかない。
朝は35度台といっていた夫は、昼になったらまた微熱になったとのこと、ロキソニンを飲んでいる。
お昼はカップ麺でいいというので、それに冷茶と水羊羹をプラス。
私は洗濯物を畳んでから遅お昼でレンチンの汁なし肉うどんを啜る。濃い味付けの筈なのに味があまりわからない。美味しくない。
いつもなら、お昼の後にはお腹が空いて何かおやつを食べるのが常である夫が起きてこない。やはり調子が悪いのだろう。
私はドラマの録画を視ながら気づけばウトウトウトウト。ろくに見ないうちに終わっている。諦めて眠ることに。
いつの間にか夕方だ。夕刊だけ取りに階下に降りる。3回目の排便は泥状。いよいよ下痢スタートか。
夫の夕食は冷凍の味噌煮込みうどんに卵を落とす。後は冷茶と常備菜を並べて、リンゴを剥いておしまい。
母にMeet通話。今日はどこにも行かず、朝、サ高住の方とラジオ体操をして30分ほどお喋りをして部屋に戻り、洗濯をしただけだったそう。こちらは2人とも体調不良なので、大変という報告。2人で籠城蟄居ではとても生活が回らない。
勝手ながら早く夫に復活してもらわなければ、である。
その後、レンチンパスタとカップスープの夕食。これまた味がわからない。何を食べても美味しくない。腰が痛い。フェスゴ注射跡の右腿も無意識に左足を組んで圧をかけるとまだ痛む。怠くてすぐに横になりたくなる。お風呂洗いを済ませる。夫は今日も入浴は止めておくそう。
明日は先日、百貨店内の眼鏡店で作った人生初の老眼鏡が仕上がる日だけれど、到底都心迄取りに行けない。復活したら受け取ってこなければ、である。本を読むのが楽になるだろうか。