ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.9.16 台風の中、大型冷蔵庫がやって来た!

2013-09-16 22:03:22 | 日記
 こちらでは夜中から明け方まで降り続いた土砂降りの雨、午後の早い時間まで暴風が凄まじかった。
 台風18号は日本列島上陸、縦断で、各地に大変な被害をもたらした模様だ。
 お読み頂いている方々は無事でいらっしゃいますでしょうか。どうか被害がありませんでしたように、と祈りたい。

 さて、そんな荒天の日。よりによって我が家としては一大イベントの620ℓ冷蔵庫の搬入指定日。
 朝一番で担当者から電話があった。「こんな天気ですが、どうしますか。」とのこと。テレビのニュースでは鉄道運休、航空便欠航やら各地での浸水被害状況等の様子を刻一刻と伝えている。
 とはいえ、今日の午前中指定を逃すと一番早くても明後日だという。平日に来られても夫と2人で休みをとらないとならないし、大物は息子がいないと運べない。既にリビングのドアや玄関ノブ、ストッパー等も外してしまっている。申し訳ないけれど予定通り、でお願いする。

 それから黙々とリビングのソファやテーブルを動かし、下駄箱を緊急避難し、冷蔵庫の中身を移動し・・・、やることは目白押し。3人3様あれこれと立ち回る中、あっという間に指定の時間がやって来る。夫はねじり鉢巻き、大車輪で働きつつ、息子に指示するが、ブータレ息子とガチンコしながら血圧が上がったと言うので、何ともハラハラのし通しである。

 いやはや、本当に玄関ドアの大きさとほぼ同じ巨大冷蔵庫がやって来た。エアパッキンを外さないと無事通れないかも、という状態でドキドキしたが、さすがにプロは大したものだ、と思う。筋骨隆々でもないごく普通の体格の男性2人が、気づけば30分ほどで元の冷蔵庫を運び出し、新しい冷蔵庫をきちんと設置して帰って行った。まあ一旦入ってしまえば、何のことはないのだが、それでも10年に一度あるかないかの大騒ぎだった。こんな程度の片付けをするだけで顎が出るのだから、生きている間に二度と引っ越しは出来ないなと思う。
 そして再び大物を元通りにし、小物を片付け、何とか3人揃って昼食を流し込みつつ、ひたすら片付けに励む。

 ずっとそんなことをしているうちに、さすがに滅入ってくる。殆ど風もなくなって日も差してきたので、夕方の肩こり改善ヨガに参加。道すがら、沢山の小枝が散乱し、暴風雨の凄さを物語っていた。
 ヨガの後、夫と息子と合流してレンジボードを買いに、バスでショッピングモールまで繰り出した。いろいろ迷ったが、ちょっと張り込んでいいものを購入出来、満足。
 帰りは3人で外食をして帰宅した。夕焼けも月もとても美しく、明日は台風一過の文字通りいいお天気だろう。

 3連休、家族揃って実によく働いた。あっという間に明日からまた新しい1週間。レンジボードのお届けは来週。これで我が家の台所改造計画は無事コンプリートの予定である。
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2013.9.14-15 連休は家族総出で台所改造計画!

2013-09-15 21:03:58 | 日記
 昨朝、息子は普段通り登校。洗濯を済ませた後、16日に届くことになっている冷蔵庫の配達の下見積りの方がやってきた。
 息子が182cmと、新しい冷蔵庫とほぼ同じ身長である。その息子がリビングのドアの前でちょっと頭を下げて通るのを見ているので、かなりギリギリかも・・・という心配はあったが、いざ夫とお店で現物を見たとき、大きいことはいいことだ!というノリで、これを見てしまったらもう他の中途半端なものはちょっと・・・という感じになってしまった。そうはいっても、家に入らないことには始まらない。あちこち計測してなんとかギリギリ通過OKというのは夫の判断。

 今回、図面上では何とか搬入出来そうな寸法とはいえ、実際、玄関や廊下を無事に通って設置することが出来るか微妙・・・ということで、販売店からお願いされた下見積りだ。
 やって来たお店の担当者は結構“渋い”感じだった。
 搬入時にはリビングのドアを外し、玄関のノブやポストを外し・・・と、かなり大がかりな準備が必須であることが判明。120㎏という大きな冷蔵庫を、2人で階段なしの団地の2階に持ち上げる、と聞いただけで私など逃げ出したくなる。傷がつくこともありえる、ということをご理解ください・・・と、とりあえずお帰りになった。動線を考えながら、明日までにやらなければならないことを思うと、いやはや・・・である。

 私はその後、予約していた月1回のお愉しみマッサージへ。Tさんと先月以降のよもやま話をしながら、いつのまにかうとうと。すっかりリフレッシュして同じ階にある中華レストランに移動した。両親と夫は既に着席しており、学校帰りの息子は10分ほど遅れてやってきた。
 前回の昼食会から2か月。2人とも元気で有難い敬老の日の先取り昼食会。夫の誕生日会でもあり、皆で美味な中華料理のフルコースを堪能した。

 そして今朝。台風接近中ということで朝からかなり強い雨。涼しくていくらでも眠れるのだけれど、頑張って起き出して台所改造計画を粛々として進める。
 我が家には今、冷蔵庫が2つある。今回買い替えるものは166cmの私と同じ身長で380ℓ、もう1つは150ℓの小さいもので、これは別室に移動して使い続ける予定だ。
 それにしても、台所のゴチャゴチャしているものを片付けることの大変なこと。だんだん気が遠くなってくる。下を向いて作業をしてちょっと上を向くと、もう貧血になりそう。冷蔵庫の後ろは一体どれほど埃だらけであることよ。夫と息子もドアを外したり、大物を運んだり、着々と準備。

 それにしても、もろもろ外して片付けると、我が家の台所はこんなに広かったっけ、というほどになった。断捨離恐るべし、である。いや、いつもどれだけゴチャゴチャだったのか、と反省しきり、である。

 結局、お昼も夜も冷蔵庫内一掃のために冷凍食品オンパレードと、とほほなものになった。
 明日、午前中に届くまでにクリアしておくことは、第一関門の玄関周りの整理と整備。下駄箱やら何やらも退けなければならない。
 新しい今回冷蔵庫には10年保証がついているけれど、まあ、私の目の黒いうちに買う最後の冷蔵庫になるだろうな、と思うと感慨ひとしお、楽しみなことである。
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2013.9.13 “検診など”が真に効果的かはわからないけれど・・・

2013-09-13 19:58:48 | 日記
 今朝の朝日新聞のネット記事で気になるものを見つけたので、以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

乳がん死亡率、初の減少 2012年、検診など効果か(2013年9月13日 朝日新聞)
(日米英の乳がん死亡率の推移グラフ:略)
 【岡崎明子】乳がんで亡くなる女性の割合が、2012年に初めて減少に転じたことが、厚生労働省の人口動態調査でわかった。専門医らは「マンモグラフィー(乳房X線撮影)検診の普及や、新しい抗がん剤の登場などの効果」とみている。欧米では20年ほど前から減る傾向にあったが、日本は死亡率が上昇していた。
 調査によると、年齢構成を調整した乳がんの死亡率は1950年に10万人あたり3・3人だったが、上昇を続け、11年には19・7人と過去最高を記録した。食生活の欧米化による肥満や、出産しない人の増加などが背景にあるようだ。しかし、12年に19・4人と、初めて0・3ポイント減った。
 00年にマンモ検診が導入され、視触診を併用して、50歳以上で原則2年に1回行うとする指針が作られた。04年には40歳以上にも対象が広がった。マンモの受診率はまだ30%台と低いが、受診率が上がれば、さらに死亡率は下がりそうだ。
 また、01年に一部の転移性乳がん患者に劇的に効く抗がん剤「ハーセプチン」も登場。その後、再発予防にも使えるようになり、治療後の余命が大幅に延長した。乳がんが多い欧米では90年代から、マンモ検診の普及で死亡率が下がっている。
 昭和大の中村清吾教授(乳腺外科)は「4~5年前から横ばいとなっていたが、ようやく減少傾向を示した。今後、検診や治療の技術が上がれば、死亡率もさらに下がるだろう」と話す。

(転載終了)※  ※  ※
  
 マンモグラフィの受診率が上がると死亡率が下がるのかどうか・・・本当のところはどうなのだろう。というのも、早期で見つけた患者が全て再発することなく完治して死亡率を下げることに寄与する、とは限らないからだ。
グラフを見ると、下がり続ける米英の死亡率と、上昇を続けてきた日本の死亡率がそろそろ交わりそうな気配だが、この後同じ率で推移するのかどうか。

 確かに、一部の転移性乳がん患者の1人として、劇的に効く抗がん剤-正しくは分子標的薬「ハーセプチン」-の恩恵に既に5年以上の長きにわたり浴している患者の1人として、この薬は間違いなく治療後の余命延長に大きく貢献していると思う。(現に昨日、ハーセプチンを投与してきたばかり。何の副作用もなく、ごく普通に終日勤務が出来る。抗がん剤だったらそうは問屋がおろさない。)さらに言えば、もっと早く再発予防に使うことが出来ていたら、命を落とさず今も繋ぐことの出来ていた人はもっと多かったのではないだろうか。

 いずれにせよ、この死亡率には当然のことながら、現在治療中や生存中の人が含まれているわけではない。タイムラグがあるわけだ。10万人当たり20人弱という数字を多いと見るか、少ないと見るか。ちなみに同年、女性の悪性新生物の部位別死亡率は大腸が33.6でトップ、肺が31.2、胃が26.2。これに次いで4位が乳房の19.4。さらに肝臓、子宮と続くが、この順位は平成17年以降不動である。
 
 今後、日本人女性の乳がん死亡率がどんな曲線を描いていくのか、今治療して命を繋いでいる私たち患者の行く末は神のみぞ知る、である。

 ようやく長い1週間が終わった。後半の2日間は夏が戻ってきた感じの高い気温になり、今日は昨日の通院休暇を挽回するために大車輪で仕事を片づけ、ちょっと疲労気味だ。
 明日からの3連休は、敬老の日と夫の誕生会も兼ねての両親との昼食会や、冷蔵庫の搬入などの予定が目白押し。のんびりしてはいられない。忙しくなりそうである。
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2013.9.12 ハーセプチン167回目(3倍量29回目)

2013-09-12 21:28:47 | 治療日記
 今日は通院日。先週行った造影CT検査の結果によっては治療方針の見直しをすることになる。昨日までの涼しさとは打って変わって、今日は真夏日の予報。うまく髪がまとまらないこともあり、結局、かつらを被って出かけた。
 2人を送り出して外に出ると、確かに朝から夏の陽射しが戻ってきている。日傘がないととても歩けそうにない。最寄駅からの私鉄、その後のJRとも電車は順調だったが、既に新学期が始まっているせいか、席は確保出来ずじまい。それでも何とか安定して読むことが出来る車両連結部分に場所を確保して読書しつつ、予定通り病院に到着した。

 自動再来受付機にIDカードを通し、採血受付へ。待合椅子はそれほど混んでいない。5分程待って受付が終わり、そのままスムーズに採血室に入ることが出来た。電子掲示板には“7分待ち”とあったが、待つ間もなく自分の番号が呼ばれる。今日も検査技師の若い男性が2本採取。針刺しの腕前はまあまあだったが、やはり段取りは前回同様イマイチ。前回と同じ人ではなかったけれど、どうして最初から紙テープを用意しておかないかなあ、と不思議に思う。そして、こちらから言わないとろくに止血さえしてくれない。テンションが下がるが、待たなかったからまあよし、とする。

 そのまま腫瘍内科受付へ移動。病院到着からまだ20分ほどしか経っていない。順調である。が、その後、「待合室へどうぞ」のランプが点くまでなんと2時間かかった。今日は待ち時間に“より良い病院づくりアンケート”が配布され、書けるものから書いておく。それほど沢山の人数が待っているわけでもないが、いつものように一人ひとり丁寧に診察されているのだなと読書に没頭する。自動血圧測定機で計測した結果は99-58、脈は75。
 その後、中廊下で待つこと30分。結局診察室に入ることが出来たのはお昼になってしまった。

 ご挨拶をした後、「さてどうでしたか。」といつもの質問から。既に目の前にはCTの2回分の画像がPCに並んでおり、なんとなくそちらに視線が泳いでしまう。この2週間、起き抜けは相変わらずの胸部の鈍痛と圧痛があるが、とりあえず朝1錠のロキソニンで凌げていること、特に痛みが酷くなっていることはないとご報告。診察室での検温は6度5分。

 気になる採血結果だが、白血球が3,600で前回より1割アップ。そして、CA15-3は1%ちょっとの微増。上昇を覚悟していたが、あれっという感じ。ではCTも変わらずなのかな・・・、と説明を伺うと、6月と変わらない影が2つほど、薄かったものが濃くなっているものが2つ、2つ別々にあった小さいものがドッキングしているもの、などなど。さらに、いつもレントゲンでフォローしている大きい影は各々、より大きく濃くなっている。右肺にある腫瘍茎は、一部石灰化している部分もあるという。普段はレントゲンで左右の大きなもの一つずつしか目にしないのだが、こうしてCT画像でこことここと、それからここと・・・、と立て続けに示されると本当に沢山あるのだな、とちょっと落ち込む。が、先生がおっしゃるには「ここ(の病院)に来た時よりは大分減っていますけれどね。」と。そうだった、と気持ちを立て直す。カルテの読影結果には「両肺多発結節がそれぞれ僅かに増大」とあるが、新しい臓器への転移がないことも記載されている。そして、この4か月間の胸部レントゲンの画像も比べながら、先生がまた腕組みをされる。
 「うーん、薬、どうしますかね。替え時といえば替え時だが、効果の優れた薬が間もなく出るのがわかっていて、今ここであえてどうしようか、というところですね。今月待ったなしですぐ替えなければならないというわけでもないし、その薬を今使うのか、もっと先に使うのかが悩ましい。」と。そう、スーパー・ハーセプチンの異名を取るT-DM1がいよいよ年内には発売されるのだ。遅くも1月には各病院で使えるようになるという。今の治療でT-DM1が使えるまで凌げるか、両肺の影はゆっくり大きくなっているが、このままのペースでいくのか、いつどうなるかはわからないので悩ましいとのこと。
 診察室に入るまでは、今日のハーセプチンを休薬にして、来週からはゼローダ・ラパチニブ開始のつもりでいたが、そんなに嬉しい話があるのだったら、とまた心が揺れる。それまで粘れるなら、出来れば粘りたいと言ってみる。逆にゼローダ・ラパチニブを始めてしまえば、効いている限り薬の変更はないから、T-DM1を使うタイミングが遅くなるということも確認する。逆にT-DM1を使った後にゼローダ・ラパチニブに戻るという選択肢もあるというなら、出来れば先にT-DM1を試してみたい、と思う。間もなく使えることになるペルツズマブはかつて副作用が酷く出たタキソテールとのセットが基本なので、当面使用は考えていないとのこと。
 結局、今日は予定通りハーセプチンを続けつつ、次回2週間後のフェソロデックス注射の前にレントゲン撮影をし、替えるなら替える、続けるなら続ける、ということにした。そしてまたも2週間、首の皮一枚で繋がったわけである。
 次回変更する場合は休薬せず、ハーセプチンが体内に残っているうちに、その日からでもハーセプチンと相性の良いゼローダ・ラパチニブを飲み始めてよい、とのことだ。

 化学療法室へ移動する。「今日も(内服薬に変更にならずに)こちらに来られました!」とご挨拶する。10分ほどで針刺し名人Oさんに点滴椅子に案内され、ほどなくしてOさんがポート針刺しをしてくださる。お上手なOさんだとこちらもリラックスしてホッとできる。15分ほどして薬が届き、予定通りハーセプチンと生理食塩水の2本。担当はKrさん。去年のEC初回から1年経ったのですね、発熱で大変でしたね、とお話しする。3年前はポートの破損騒動もあった。9月は過去2回も緊急入院をしている。今年はなんとか入院は避けたいものだ。2本終了は1時間半後。抜針はHさん。素早く抜いて下さるが衝撃はそれなりにある。終了時の血圧は95-56、脈は62。

 会計はそれほど待たずに済んだが、いかんせん先生にお目にかかるまでの待ち時間が長かった。今日も4万円ほどの支払いで、病院滞在時間は5時間半弱だった。
 思いのほか遅くなってしまい、空腹の中、外に出ると、予報通りの真夏の暑さだ。駅ビルで遅めのランチを摂り、読みかけの本を読み終えて帰路についた。
 今日読んだ2冊もなかなかだった。近いうちにご紹介したいと思う。

 とにもかくにも明日1日出勤すれば3連休。待ち遠しいことだ。
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2013.9.11早起きの置き土産? 息子、知恵熱から復活。夫、誕生日をPR

2013-09-11 20:56:49 | 日記
 昨日で前期末試験が終わった息子のこと。土日を挟み4日間、寝坊助にもかかわらず5時半過ぎに起き、通常より1時間以上早く登校して自習した、のは実に立派だった(・・・2日目以降は私が起こしたのは間違いないが。)。
 そして、昨日は学校の試験が終わったところで、これまでのようにだらけずに、気持ちを切り替えて受験勉強のため塾に行く、ということになっていた。
 が、帰宅すると息子の自転車があるではないか。

 なんとベッドで寝ている。7度4分の発熱だそうだ。お昼はしっかり食べて、ダラダラしているうちにどんどん具合が悪くなった、とのたまう。
 これはもう知恵熱以外の何物でもないのだろう。普段したことのない早起きと、4日間にわたる定期試験受験の結果がこれである。
 受験本番になったら、冬の寒い時期に午前午後にわたる1日中の試験を、一体何回受けなければならないと思っているのだ、という言葉はぐっと呑み込む。
 だからといってクリニックに行くでもなく、とりあえず寝ているだけ。置き薬をもらっているわけでないので、葛根湯を飲ませてから夕食。ペロリと完食し、デザートの和菓子までたいらげ、良く喋る。入浴後、汗をしっかりかいてほぼ平熱に戻っていたが、明日からもこの調子ではたまらないので、さっさとベッドに追いやった。

 今朝はいつもどおり、私も6時まで寝かせてもらってお弁当作り。既にすっかり平熱に戻っていたが、念のため朝もう一度葛根湯を飲ませ、昼のお弁当にも一回分の薬を持たせた。
 今日はホームルームでセンター試験の出願書類を配布するので休まないように、と担任からきつく言われていたらしい。試験もポツポツ帰ってきて、「体調大丈夫?追試大丈夫?」と問うたところ「ギリ回避☆」「危ねー☆」(LINEでの会話より)・・・しかも文系とは思えない英語の結果だったようだ。

 一方、今日は夫の誕生日。
 2001年9月11日―12年前からこの日は世界中の人たちが特別の意味を持って語る日である。朝起きてきても2人とも何も言わないものだから、「皆さん!今日、私に何か言うことはありませんか。」と声をかけていた。
 息子が私のところにやってきて「ねえ、言ってあげなよ、言ってほしいみたいだよ。」と。
 私は派手なテンプレートメールで「お誕生日おめでとう」を早朝一番に送っていたのだが、なんといっても夫はいつも携帯の電源が入っていない人だ。そう言ったところ、ようやく電源オン。ちょっと嬉しかったようで「保護設定にしよう。」と携帯をいじっていた。

 2人を出かけさせてから私は都心会議のため最寄駅まで急いだ。朝からやけに濡れる霧雨で参った。
 帰路、夫の好みのケーキ(苺のショートケーキとプリン!というのだから、かなりお子チャマ趣味ではあるが・・・)をゲットして帰宅。3人で夕餉の後、美味しく頂いた。
 またも家族揃ってメタボまっしぐら・・・ではあるまいか。明日の通院日、採血の結果、血糖値がやけに高くなど出ないと良いが・・・。
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