ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.9.25 レントゲン撮影後、フェソロデックス11回目

2013-09-25 20:06:59 | 治療日記
 2週間ぶり、今月3回目の通院日。予報通り雨が降り出しそうなお天気だ。息子は前期終業式で学校へ。2人を送り出した後、私もいつもより早めに家を出る。まだ雨傘は必要なくたまに陽射しもあるので、とりあえず晴雨兼用傘を携えた。
 最寄駅の私鉄もJRも電車は順調。持参した文庫本は今日も当たり。面白くてあっという間に惹きこまれ、あわや乗り過ごしそうになる。

 病院の最寄駅に到着すると、案の定雨が降っていた。病院に到着し、自動再来受付機にIDカードを通した後は、2階のレントゲン受付へ移動する。殆ど待つことなく、無事胸部の撮影が終了する。1階に降りて、腫瘍内科受付に移動。ここまでで病院到着から30分かかっていない。順調だ。
 このままうまくすれば、午後からの息子の保護者会に参加する前に何かお昼を口にすることが出来るかもしれない、と取らぬ狸の皮算用をする。が、その後がいけなかった。待合椅子はそれほど混雑している気配はないが、主治医の進行状況掲示板にはほどなくして「30分遅れ」と出た。自動血圧測定機で計測した結果は103-56、脈は88。
 「中待合へどうぞ」のランプが点くまで1時間半。本は面白かったのでずんずん読み進めたが、だんだん午後の予定時間が心配になってくる。中待合に移動して30分ほど待ち、ようやく先生が診察室からお顔を出された。

 「さて、2週間、どうでしたか。」と問われ、朝起きると相変わらずしぶとい胸部の鈍痛、圧痛はあるが、ロキソニンで凌げていること。疲れたり、今日のような気候だと痛みが出るので、夕方や夜寝る前に追加で飲むことがある、とお話しする。それ以外は特に酷く気になることはないが、フェソロデックス注射の後はどうもお腹の調子が悪くなること、口蓋隆起の骨が自然脱落した上顎部分はすっかり穴も塞がって、全く気にならないとご報告。
 PCには先月と今日のレントゲン画像が映っている。素人目にはあまり変わらないのかなと思うが、先生のお話を待つ。「1か月ではあまり変わっていないようですね。」とのこと。「では、今日は予定どおりですか?」と問いながら思わず声が明るくなる。「また粘れてしまったということですね。」「そうですね、9月は粘れた、ということで、こうして1か月1か月やっていくんですかね。」と。
 そして、予定通り11回目のフェソロデックス注射。来週はハーセプチンも続行。そして、その3週間後に採血とレントゲン撮影をし、今回同様フェソロデックスとハーセプチンが続行出来るかどうか再度判断することになった。上顎の腐骨はゾメタを早めに中止したため、うまく自然脱落してくれたが、今後、よほどのことがない限りゾメタやランマークは使わない方針であることを確認する。診察室での検温は6度5分。

 化学療法室へ移動して待つ。10分ほどして、Hさんから「今日はバタバタしていてちょっとお待たせするかもしれません。」と声がかかる。しばらくしてベッドに案内され、足を延ばして読書を続行。1時間ほど経ってKbさんが「お待たせしてすみません。お時間大丈夫ですか?」と顔を出される。「今日は午後、息子の保護者会に行くのですが、まだ大分時間がかかりますか?」と訊いてみる。「わかりました。もう少しですので・・・」とのこと。
 結局、注射をして頂く頃にはお昼を過ぎてしまった。前回Kbさんに注射して頂いた時、とても慎重で時間をかけて丁寧に刺してくださったので痛みが少なかったですよ、とお話しする。息子の保護者会の話をして気を紛らわせつつ、左右の臀部に注射。相変わらず薬が入っていくときの痛みとその後の痺れには慣れないが、11回目まで繋げることが出来て有難い。再発治療開始後、ホルモン剤といえばフェマーラが5か月、タキソテール後のアロマシンが若干長かったのを除いて、ヒスロンHとフェアストンは僅か3か月だ。それを思えば、今年の1月からフェソロデックスを継続出来ているわけだから、3倍長く効いてくれていることに感謝しなくては、と思う。
 無事終了して、会計へ移動。会計ではそれほど待たずに自動支払機で3万数千円の支払い。本日の病院滞在時間は4時間弱。

 
 痛む腰をだましだまししながら、ちょっと足を引きずって駅まで急ぐ。途中、乗換駅で昼食を摂るどころではかったし、乗り継ぎもあまり良くなかった。学校の最寄駅からのアップダウンの道のりを、この腰の状態で歩くのはとても無理なので、そのままスクールバスが出る駅まで行く。雨は本降り。お母様方が考えることは皆同じで、バスに乗るためロータリーは長蛇の列。電車が着くたびに列が延々と伸びる。何とか2台目のバスに乗れたが、学校に到着したのは保護者会開始の1分前。息子の教室は3階で、これまた階段を上がる元気がなくエレベーターを待つ。教室に入ると、既に担任の話が始まっていた。
 10月1日の後期始業式までまた秋休み。この日にセンター試験志願票を提出し、後は模試や体育祭、三者面談を経て12月に高校最後の定期試験と最後の保護者会。ちょっと考えただけで怒涛のような3か月であるが、本人は一体どのくらい危機感があるものやら。返された成績表やテスト結果を見るにつけ、毎回のように項垂れる。あとはお母さん同士で情報交換をどうぞ、ということで五月雨解散。同じテーブルだったお母様が、既に同じ高校からお兄さんが巣立っているということで、いろいろお話しをしてくださったが、空腹と疲労で少し早く失礼する。

 帰りもバスを待ち、乗換駅でようやく少しお腹に入れることが出来たのは4時を大きく回っていた。帰りは塾に寄って成績表の写しを渡して帰宅した。結局のところ、いつも帰宅する時間と殆ど変らなかった。
 あっという間に真っ暗になってしまうと、気持ちが焦るし、こういう天気で滅入るのは致し方ない。思いっきりポジティブ思考の息子の爪の垢でも煎じて飲みたいほどだ。
 そんな中、ポストを開けるとIさんからお花の綺麗なカレンダーと紅茶が届いていて、なんとも癒される。今日唯一明るい出来事であった。有難いことである。
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2013.9.21-23 三連休、日々是大忙し

2013-09-23 19:08:26 | 日記
 三連休初日土曜日、息子は文化祭初日。一般公開ではなく内部生だけの開催日だ。高3は、文化祭は自由参加で出席すら取らないという。が、昨年度の鉄研部長として、後輩のヘルプに回ってやらないと運営が大変、ということで朝からいそいそと出かけていった。案の定、ちょっとお手伝いどころではなくなったようだ。

 私は、朝一番のヨガベーシックのクラスに参加して汗を流してから、プチ虹のサロンの月例会に向かった。8月はSさんの入院に加えて、もう一人のSさんのお母様が闘病中ということもあり、猛暑の中ではということで、1回休みとした。そのため、今回は7月以来2か月ぶりの開催となった。
 Sさんは無事手術も成功し、元気に復活してくださった。が、今度はあろうことかKさんが先週から緊急入院中。もう一人のSさんのお母様は、闘病の甲斐なく先月ご逝去された。本当に踏んだり蹴ったり・・・のメンバーたちである。そうはいうものの、とにもかくにも3人で再会出来たことに乾杯し、積もる話をエンドレスで。いつものように、個室で思う存分喋り続けてあっという間に5時間が経過した。次回は4人全員集合出来ると良いのだけれど・・・。この日の外出時間は10時間半ほど。夕食当番を引き受けてくれる夫がいるからこそ、の一日だ。

 三連休2日目。連休狭間の日曜日というのに残念ながら朝寝坊が出来ず、文化祭2日目に出かける息子をほぼ普段通りの時間に送り出す。洗濯等を済ませて、1時間遅れて夫と2人で部活の差し入れを買い込み、学校へ向かった。 
 今日も行楽日和のいいお天気。30度まで気温が上がる予報のとおり、少し歩くとあっという間に汗ばむ。息子の学校は、最寄駅からのアップダウンと距離が半端ではない。到着するまでにいつものことながら、かなり疲労困憊する。右の足裏の痺れが酷く、歩きながら何度もコケそうになって怖い。
 思えば、初めてこの学校に来たのは6年前。息子は6年生で通塾中だったから、夫と2人で併願校候補とするかどうか、下見のために見学に来たのが、この文化祭だった。息子自身は翌年2月の受験本番に初めて訪れたのだが、ご縁あって入学。気付けば6年が経過した。実にあっという間である。この間、息子は30cm近く身長が伸び、40kg近く体重も増えた。
 あと何回こうして学校への道を歩くのだろう。保護者会、体育祭、三者面談、卒業式。片手で数えるほどであることは間違いなさそうだ、と思うと、何とも感慨深い。受付で名前をチェックしてもらうが、まだ時間が早かったからか高3だからからか、息子のクラス名簿に○印が付いているのは我が家を入れて3人だった。
 
 いつもと同じ2つの教室が鉄研の展示会場。息子は部誌の配布受付をしながら、随分年上のOBと話をしていた。高3の他の部員の姿が見えなかったが、後で訊いたらセンター模試の日であったそうだ。
 例年通り鉄道カルトクイズを回答し、部誌の最新号を頂き、ジオラマや展示品を見学してから、差し入れを渡す。滞在時間は30分ほどだったか。他の展示等は一切観ることなく、模擬店等で賑わう中庭で「あまちゃん」のテーマを演奏していた吹奏楽部だけを観て再び駅まで歩き、ターミナル駅まで移動した。

 急いで昼食を摂ってから、今度は義母見舞いへ。
 今夏はあまりに暑いし、義母の容態は安定しているから、と7・8月に私は見舞いを免除してもらっていた。電車とバスを乗り継いで約束の時間に義妹夫婦と病院で合流し、病室へ入る。先週電話した時には貧血気味かもしれないと聞いていたが、今日は顔色も良く皺ひとつなく、92歳とは思えないほどつやつやの美肌だ。さすがに手は可哀想なほど痩せて、ルート確保の跡が内出血しているのが何とも痛々しいが、呼吸も苦しそうでなく穏やかに眠っている。結局、4人で交替に話しかける他、なす術もなく「また来るからね。」と病室を後にした。
 4人でお茶をしてから最寄駅まで送ってもらい、帰りの電車に揺られると、程なくして真っ暗になる。本当に日が短くなった。さすがに文化祭と見舞いのハシゴはかなりの強行軍だった。長い道中、本を読むことも出来ず、疲れている筈なのにウトウトすることも出来ず。
 この日の外出時間は11時間。うち6時間は電車やバスに揺られ、2時間半は歩いたか。迷うことなく最寄駅ではタクシーに乗り、家に辿り着いた。

 連休最終日の月曜日は秋分の日。昨日とは打って変わって曇天。東京では3か月ぶりに25度にも達しなかったという半袖では肌寒い一日になった。
 今日は昼前に届く予定だった台所のレンジボードが、朝一番に変更という連絡があり、慌てて台所を片付ける羽目に。とりあえず無事搬入。僅か5分ほどで予定の場所に落ち着いてくれた。先日の大型冷蔵庫があまりに大変だったので、今日はやけに簡単に感じられる。
 その後、昨日長時間乗り物に揺られて凝り固まってしまった身体を「ほぐしヨガ」のワークショップに参加して、和らげた。どこもかしこも痛くて汗がどっと出る。
 
 その後は午後一番で塾長さんとの二者面談。夏休み前に合同の保護者会に行って以来である。夏休みが終わり、9月も気付けば残すところ1週間。この試験休みと秋休みで夏の課題をやり終えないと、来月から過去問対策が出来ない。厳しい現実を“ポジティブ思考”(何やら根拠のない自信があるというのが塾長さんの談)の息子はどう捉えているものやら・・・。またしてもがっくり疲れて帰宅。
 遅いお昼の後は、台所改造計画の最終仕上げで片付けに励み、拭き掃除。何やら胸痛が酷く、ロキソニンを飲む羽目に。が、なかなか効いてくれず横になって休み休み、の体たらくであった。

 さすがにこうして記録すると、3日間連続フル回転でかなりバテ気味である。けれど朝のロキソニン(今日は夕方も追加)で3日間、何とか動き回れたことに感謝しなければなるまい。

 明日からは9月最終週。今年もあと100日を切ってしまった。日々加速度がついてこのまま年末を迎えるのだろうか、と思うとちょっと怖い気がする。
 来週は4日しかないのに通院日、学校の保護者会、本庁への研修と予定がみっちり立て込んでいる。またもすぐさま10月の声を聞きそうである。
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2013.9.19 中秋の名月に思う

2013-09-19 20:54:35 | 日記
 今宵は中秋の名月。
 台風以降、お天気が安定しているので美しい満月が見られるという予報。そういえば1日早かったけれど、昨夜の月もとても綺麗で、空を仰ぎながら幸せな気持ちになった。

 昨年の中秋の名月は9月30日。
 EC治療初回の副作用による発熱性好中球減少症で、緊急入院中だった。
 入院4日目の日曜日、ちょうど台風17号が接近中で、夫と息子は関西旅行帰りの新幹線の時間を前倒しして、見舞いに立ち寄ってくれたのだった。2人が帰った後、病室の窓辺に立って外を眺めたが、当然そんな荒天だったから、お月様は見ることが出来なかった。
 そういえば、先日の天気予報で、中秋の名月を見られる確率は2年に1度、なのだと聞いた。当時、暴風の屋外を見ながら、いろいろ思うことがあったことを思い出す。

 今日も洗濯日和の1日。朝から気持ち良く洗濯を干し、いつものように出勤し、普通に働き、昼前から都心会議に出かけた。予定より大分遅くなったものの、無事帰宅した。帰宅後は、これまたいつものように洗濯物を取り込み、食事の支度をし、夕食を済ませた後、夜のリンパヨガのクラスに参加するつもりだったが、さすがに往復4時間の移動で草臥れたので、タッチの差で帰宅した夫にも家事参加してもらい、無理せずのんびり過ごすことにした。

 昨年のこの日は、1年後の中秋の名月の日に果たして元気に暮らせているのかどうか、正直なところ確たる自信がなかった。
 けれど、どうだろう。もちろん、現在の状況を冷静にもろもろの検査結果で考えれば、全くノープロブレムな状況ではない。けれど、とにかくのらりくらりと治療薬のチェンジを先延ばししながら、QOLを落とすことなく、ごくごく普通の生活を続けることが出来ている。改めて感謝である。

 翻って患者仲間のこと。
 今、判っているだけで入院中の友人が2人いる。どんな気持ちで病室の窓から今日のこのお月様を見ているのだろう。いや、もしかしたらカーテンが引かれて、お月様を見ることが出来ないのかもしれない。
 それでも、どうか今日の美しい満月を見て、来年の中秋の名月にはまた元気を取り戻して、再び普通の生活を送れていることをイメージしてほしいと思う。
 今は辛いけれど、必要な治療をすることで必ず、病状が落ち着き、また普通の生活を送る、という強い意思を持ってほしい。
 お二人に、そして、もしも病院でこのブログを読んでくださっている方がいらっしゃったら、その方たちにも心からエールを送りたい。
 ファイトです。Kさん、Nさん、そして今、入院中の方々。
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2013.9.18 “騎馬戦の時代”到来に思うこと

2013-09-18 20:02:30 | 日記
 総務省が「敬老の日」に合わせて行った人口推計で、65歳以上の高齢者人口が今年の9月15日時点で3186万人となり、総人口に占める割合が初めて25%に達したことがわかったという。4人に1人が高齢者、つまり支える方が3人、馬に乗る高齢者が1人という“騎馬戦の時代”がいよいよ到来、ということになる。

 今を遡る30年近く前、大学時代のゼミ論文で「高齢化社会」を取り上げた。そして勤め始めて10年経った時に行かせてもらった欧州研修では「少子化問題」をメインテーマにした。気付けば何やら人口ピラミッドと関わっている気がする。

 実際には、一般に65歳はまだまだ元気。現役の方も多いから、皆が皆支えてさしあげる必要はないだろうと思う。
 つい先日のこと。ランチタイムに駅前のファーストフード店に行ったところ、右隣のテーブルには70代から80代の女性の3人組、左隣のテーブルは同じく同年代のご夫婦、斜め前にも同世代の女性がお一人・・・と、回りはどこもかしこも高齢者の方ばかり。見回せば私が一番若いのでは、という状況で、あたかも病院にいるような錯覚に陥って、驚いた。もちろん彼ら彼女らのお話に耳をそばだてていたわけではないが、聞こえてくるのは「○○が痛い」とか「○○を置き忘れてしまった」「○○の薬がどうだ」とか、そんなちょっと切ない話題ばかり。うーん、いずれは我が身にも、とは思うが、平均寿命を考えるに、こうした元気な高齢者の皆様だってまだまだこの後、決して短くない人生が続くわけである。この先、いわゆる健康長寿でいられる期間はどのくらいだろう。今こうして元気にお茶や食事に外出している方たちも、何年後か何十年後には望まざるとも寝たきりになったり認知症が進んだり、とハッピーとは言い難い将来が待っているかもしれない。

 先日、敬老の日を前に一緒に食事をした85歳と80歳の実家の両親は、思った通り「7年後のオリンピックも観たいねえ」と幸せそうに言い合っていた。不肖ポンコツ娘は苦笑いするしかない。
 一方、倒れてからまもなく2年、要介護5の寝たきりとなって1年半以上、1日1パックの点滴だけで半年以上、静かに命を繋いでいる義母は92歳。親世代が長寿になればなるほど子ども世代も歳を重ね、老老介護が避けられなくなる。さらには現在、非正規雇用が増加している若い世代―孫の世代―が、現役世代の親に代わって仕事をせずに祖父母を介護するという事態も増加しているという。
 中には、私のように騎馬戦の馬を一人前に担えないようなダメ馬もいるわけだから、騎馬戦どころか1人で1人を支えるいわゆる“肩車の時代”も近いのかもしれない。
 それにしても、生きていくことはつくづく大変なこと。いや、それだからこそ生きていくことは素晴らしいのだろう。そして、誰しも死にたいようにはなかなか死んでいけない。
 何とも辛いジレンマである。

 今日もカラリと晴れ、洗濯日和の気持ちよいお天気だった。日中の陽射しはまだまだ強いけれど、朝夕の風は本当に秋らしくなっている。
 昼休み、いつものように学内を散歩する。彼岸花の群生地があるのだが、今が見頃の赤い花をつけている。毎年のように本当にお彼岸の季節に咲くのだな、と納得。

 さて、帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。淡いオレンジのLAリリー、ビタミンカラーのヒメヒマワリ、ロベヤシが2本ずつ。花言葉はそれぞれ「威厳」、「崇拝」、「勝利」だという。
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2013.9.17 かつら卒業、再び・・・

2013-09-17 19:51:37 | かつら
 台風一過、文字通り雲ひとつなく抜けるような秋晴れ。爽やかな朝だ。
 が、なんと昨夜は久々に酷い不眠だった。この3連休、台風直撃で気圧の変動も大きく、胸痛が悪化しても何の不思議もない状況だったのに、気付けば元気にフル稼働。体はかなり疲れていた筈だったが、頭の方は興奮していたのか、11時半にベッドに入ったものの、全く眠れない。
 途中一時間おきにお手洗いに起きてみたり、思い出したようにメールを打ってみたり、新しい冷蔵庫があまりに静かでちゃんと稼働しているか確認してみたり・・・と、焦れば焦るほど何をしても眠れない。隣で高鼾の夫に当たったところで事態は全く改善しない。
 結局、朝刊がポストに落ちる音まで聞いてしまった。1時間眠れたのかどうか。ステロイド・ハイでもあるまいし、週の初めから何とも困ったことである。

 今日、息子の学校では前期末試験追試験の日。息子自身は今回、カラくも追試から逃れ、無事自宅学習(お休み)の日である。
 一方U18ワールドカップで活躍したエース君のこと。試験期間中に海外での試合がバッチリ重なっていたため、おそらく公休扱いで試験は免除という専らの噂だったようだが、ところがどっこい、今日一日で全科目受験しなければならないそうだ。1、2科目でも大変なのに、なんとも気の毒なことだと息子は同情することしきり、である。

 そんな息子は、センター試験の受験料振込のため、生まれて初めて1人で郵便局に出かけた。連絡しても全然返事が来ないので、ちょっと心配したが(我ながら過保護な馬鹿母である。)、とりあえず無事入金出来た模様だ。

 そして、私。
 3連休明けということで、1年ぶりにかつらを外して職場に自毛デビューした。既に休日や平日の夜、ヨガスタジオには素頭で出かけていたし、家ではとっくの昔から素頭だったが、こと職場では昨年EC治療開始後の3連休明け、完全脱毛する前にソフトランディングということで髪の毛を短く切ってかつらデビューして以来のことだ。
 思えばタキソテール投与の時には、初回の治療であっという間にバサバサと抜けてツルツルピカピカのマルコメ状態になった。投与を終了してからもなかなか生えてこなかったので、今回こんなに早く-投与中断から10カ月ほどで-かつらを卒業出来るとはゆめゆめ思わなかった(息子に、卒業式は多分かつらだけど勘弁してね、と言っていた。)。
 そう、前回は投与が終了してから脱かつら迄、実に1年半以上を要し、生えてきた髪の毛も今回よりもっとずっと弱々しく酷い癖っ毛だったのだ。さらに言えば、タキソテール投与が体毛全てに与えたダメージは大きく、眉毛もまつ毛も鼻毛も未だに生えてこない。タキサン系抗がん剤の脱毛力は本当に半端ではない。
 それに比べてECでは、最終的にツルツルにもならなかった(落ち武者のごとく残った・・・これまた鏡を見るのを遠慮したいほどトホホなものだったけれど)し、生え始めるのも投与の最中からで、断然早かった。

 朝、ワックスやらミストやらを駆使して少ない髪の毛になんとか形を付け、息子から「(自分で)言うほど酷くないんじゃない?」とお墨付きをもらい、いざ気持ちを強く持って出勤。行ってみれば誰からも「髪の毛切ったんですね。」とも言われず仕舞い。もしや気を使って触れずにいてくれるのかも、という勘ぐりはもう止めよう。やはり先日このブログで書いた通り「あとは自分の気持ちだけ」だったなあ、と改めて思う。

 出勤すると、この連休中に事務室内照明器具の取換え工事が行われており、蛍光灯が全てインバータ仕様に変わっていた。震災後は節電のため蛍光灯を半分だけ点けるのが常態だったので、いきなり倍の光量は何やら明るすぎて、暑くさえ感じる。
 そして何より、慣れない明るさが眼に沁みて何だかやけに疲れてしまう。寝不足のせいもあるのかもしれないけれど、今日はとにかく早く休みたいと思う。
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