ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.12.24 クリスマスイブ・・・マーカー値の呪縛

2013-12-24 22:10:18 | 日記
 今日はクリスマスイブ。そんな日くらいこんな数値の呪縛から解き放たれなければならないのだけれど、いつものyomiDr.高野先生のコラムでまたもなるほどな、と思った。
 長文なのだが、またもうまく割愛が出来ないので、以下、転載させて頂く。

※  ※  ※

がんと向き合う~腫瘍内科医・高野利実の診察室~(2013年12月23日)
腫瘍マーカーの意味、誤解していませんか?

 「気持ちが晴れないまま、悶々と過ごしています」
 Yさん(76歳男性)は、5年前に早期肺がんの手術を受け、その後、順調に経過しているのですが、一つだけ、とても気になっていることがあります。それは、術後の経過観察の際にチェックしている、血液検査の「CEA」の値が、3年前から、高めで推移していることです。

肺がん再発を心配するYさん
 CEAは、「腫瘍マーカー」と呼ばれる、血液検査の項目の一つで、がんの患者さんで上昇していれば、がんの勢いを反映している可能性があります。Yさんも、そのことはよくご存じで、「肺がんが再発したに違いない」と、絶望的な気持ちになっていました。
 経過観察していた外科の担当医は、CTやPET-CTなどの画像検査を行ったり、胃カメラや大腸カメラの検査を行ったり、体じゅうを、くまなく検査しましたが、がんの再発や、新たながんの出現は見つかりません。
 「これだけ検査して、がんが見つからないのだから、安心していいですよ」と説明を受けても、Yさんの気持ちは晴れません。
 1年前、CEAがさらに少しだけ上昇したところで、Yさんの不安はピークに達し、外科医からの紹介で、私の診察室にやってきました。
 「もう、肺がんが全身に広がって、私は末期なんです。早く診断して、治療をすぐに始めなければ、死んでしまう。腫瘍内科に行ったら、もっと細かい検査をしてもらえるはずだと言われて、すがるような気持ちでここに来ました」

不安という「後遺症」
 このような患者さんが、私の診察室に来られるのは、珍しいことではありません。Yさんのような、手術後の経過観察中に腫瘍マーカーが上昇したという患者さんも多いですが、より多いのは、「健康診断で腫瘍マーカーが高いことがわかり、腫瘍内科を受診するように言われた」という患者さんです。
 「患者さん」と書きましたが、腫瘍マーカーが上がること自体は、「病気」ではありませんので、適切な表現ではないかもしれません。実際、「腫瘍マーカーが高い」という理由で病院に来られる方の多くは、「病気」が見つからないまま、通院を終えます。ただ、そういう方々は、「大丈夫でしたよ」と言われても、気分が晴れることはなく、不安という「後遺症」に苛まれます。これは、現代医療の生み出す悲劇の一つと言ってもいいかもしれません。
 日本の医療現場では、腫瘍マーカーが漫然と測定され、この数値に翻弄されている方は数多くおられます。時に役に立つこともある腫瘍マーカーですが、その意味を理解しながら適切に活用しないと、このような悲劇を生むことがあります。
 腫瘍マーカーが使われる目的には、主に次のようなものがあります。
(1)がん検診(がんの早期発見)
(2)早期がん手術後の経過観察(再発の早期発見)
(3)進行がんの「病気の勢い」の評価(治療効果判定)

数値は、あくまでも「参考」
 腫瘍マーカーが上昇するのは、一般に、体じゅうにがんが広がっている「進行がん」の場合です。進行がんでは、(3)の「治療効果判定」の目的で使う意義が、ある程度確立しています。腫瘍マーカーが上がれば、病気の勢いが増していて、治療が効いていないということ、腫瘍マーカーが下がれば、治療が効いているということを示唆します。
 ただし、腫瘍マーカーは、あくまでも、「参考」にするべきものであって、それを下げることが治療の目的ではありません。患者さんや医療者の中には、数字でわかりやすく示される検査値を、あたかも、患者さんの運命を決定するものであるかのように思い込む人もいて、腫瘍マーカーが上がったり下がったりするたびに一喜一憂していますが、そこまで思い詰めるほど本質的なものではないという理解が必要です。
 CEAを含む、多くの腫瘍マーカーは、「早期がん」で上昇することはありませんので、(1)の「がんの早期発見」の目的で使うことには、無理があります。健康な人に検査を行って、腫瘍マーカーが高かった場合、それをきっかけに、「進行がん」が見つかることもありますが、がんとは診断されないことも多く、「早期がん」が見つかることは稀(まれ)です。逆に、腫瘍マーカーが正常値であったとしても、「早期がん」がないという保証にはなりませんので、それだけで安心してしまうのは、正しい理解とは言えません。

「偽陰性」や「偽陽性」は多い
 本当はがんがあるのに、検査では陰性(腫瘍マーカー正常)の結果が出ることを、「偽陰性」と呼び、本当はがんではないのに、検査では陽性(腫瘍マーカー高値)の結果が出ることを、「偽陽性」と呼びます。
 (1)の目的で行う腫瘍マーカー検査では、早期がんがあっても、「偽陰性」となることが多い一方で、がんではないのに、「偽陽性」となって、余計な不安を与えられ、余計な検査を受けなければいけない人が、たくさん出てくるわけです。真の「陽性」であっても、見つかるのは「進行がん」であることが多く、がんを早期発見するという目的にはかなっていません。
 こう考えると、(1)の目的で腫瘍マーカー検査を受けても、何もいいことはないように思えます。
 ただ、前立腺がんのPSAや、卵巣がんのCA125や、肝臓がんのAFPなど、一部の腫瘍マーカーは、「早期がん」でも数値が上昇するため、がんの早期発見に活用できる可能性があります。
 このうち、PSA検査による前立腺がんの検診については、以前取り上げたことがあります(本当に必要ながん検診とは=2013年7月4日=)が、その意義がないことを示した臨床試験もあり、また、PSA検診によって救われる命があるとしても、それよりもはるかに多い人々に、偽陽性や過剰検査や過剰治療などの不利益が生じることがわかっており、世界的にも意見が分かれています。
 最有力候補のPSAですら、議論が定まっていない状況ですので、早期発見には向かないCEAなどの一般的な腫瘍マーカーを、(1)の目的で使うのは、避けるべきなのですが、今も、「健康診断でCEAが高いと言われました」と言ってやってくる「患者さん」は、後を絶ちません。

健診では受けない方がよい
 健康診断を扱う業者の中には、腫瘍マーカー検査を「オプション」として提案し、追加料金を取っているところもあるようです。「オプション」と聞くと、なんだか、やっておいた方がよさそうな気になりがちですが、腫瘍マーカー検査の目的や、それに伴う不利益をよく理解した上で、適切な判断をする必要があります。
 「健康診断では、腫瘍マーカー検査は受けない方がよい」というのが、私からのアドバイスです。
 それでも、腫瘍マーカーをはかってしまい、「高値」の結果が出た場合は、安心のために、やむをえず、いろんな検査をすることになります。
 そして、精密検査で異常がないことを確認できた場合は、こう説明します。

 「がんの所見は見つかりませんでしたので、安心してください。腫瘍マーカーは、『偽陽性』だったと考えられます。今回は、過剰な検査を行うことになってしまいましたが、次に健康診断を受けるときは、腫瘍マーカーをはからない方がよいと思いますよ。もう腫瘍マーカーのことは忘れましょう」

 不安にかられながら、いろんな検査を受けて、「がんでなくてよかったです。これですっきりしました」と満足する方もいますが、「肉体的にも精神的にも疲れたし、今も、もやもやが残っています」という人の方が多いようです。追加料金を払って受けたオプション検査で「得たもの」は、なんだったのでしょうか?

「再発の早期発見」に意義はあるか
 (2 )の「再発の早期発見」の目的で腫瘍マーカーを使うことについても、いろいろと議論があります。(1)と同様、「偽陰性」や「偽陽性」の問題は、ここでも生じます。冒頭のYさんは、「偽陽性」の結果に苦しんだわけです。
 真の「陽性」であった場合、がんの再発を早期に発見できたということになりますが、再発を早く見つけて、症状が出現するより前から治療を開始する意義があるのか、というポイントも考える必要があります。
 大腸がんであれば、再発を早期に見つけて、手術などで根治を目指すことがあり、その意義は、臨床試験でも証明されています。国内外の、大腸がんのガイドラインでは、CEA等の腫瘍マーカーを、(2)の目的で測定することが推奨されています。
 一方、肺がんや乳がんの場合は、(2)の目的で、CEA等の腫瘍マーカーを測定する意義は示されておらず、国内外のガイドラインでは、「手術後の経過観察中に、腫瘍マーカーを漫然と測定すべきではない」とされています。
 乳がんについては、手術後の経過観察中に、腫瘍マーカーを含む検査を頻繁に行うグループと、行わないグループを比較するランダム化比較試験が、日本でも行われており、その結果が待たれています。
 腫瘍マーカー検査をめぐっては、いろいろな考え方があるわけですが、いずれの場面においても、
•検査を受ける目的は何か
•検査の精度はどうか(偽陰性や偽陽性の可能性がどれくらいあるのか)
•検査結果をどう解釈し、どう行動するか
•検査を受けることによって得られる利益は何か
•検査を受けることによって生じる不利益は何か

 といったことを、きちんと考えておくことが重要です。何でもかんでも検査は受けた方がよいとは考えず、検査による不利益の存在も知っておく必要があります。

医療は、人の幸せのためにある
 CEAが上昇し、不安に苛まれ、切羽詰まった思いで私の診察室に来られたYさんに対し、私は、時間をかけて説明しました。

 「CEAが上昇してから2年経ちますが、最新のPET-CT検査も含め、これまでの検査で、がんの所見はみられていませんので、『偽陽性』と考えていいでしょう」
 「CEA検査を受けていなければ、今ある不安はなかったはずです。でも、検査は受けてしまったわけですから、あとは、考え方の問題でしょう。検査を受けたこと自体を忘れて、『CEAの呪縛』から逃れた方がいいのではないでしょうか」
 「症状がない限り、余計な検査を受けるのはやめて、気楽に過ごしましょう」
 「今見つかっていないがんや別の病気が、これから出てくる可能性は、もちろんあります。でも、そのときになってから、最適な選択を考えればいいのではないでしょうか。今起きていないことをあれこれ考えて、不安になる必要はありません」
 「がんが見つかったら、そのときは、私が担当医となって、Yさんのために、最善の医療を行うことを約束します」

 Yさんは、こう言いました。
 「先生の言っていることは、頭ではわかるけど、やっぱり、気持ちは晴れないんですよ。もう私は、CEAの呪縛から逃れられない気がしています。いつも家にこもって、誰ともしゃべらず、悶々と過ごしています」
 「でも、これからも先生のところに通っていいですか?」
 それ以来、Yさんは2か月に1回、私の診察室に通院しています。毎回30分ほど、同じようなことを繰り返しお話ししているだけですが、最近は、少しずつ、病気以外のことも考えられるようになってきたようで、雑談にもバリエーションが出てきました。最初にお会いしたときより、表情も明るくなってきたように思います。
 Yさんのような方々とお話ししていると、「医療の意味」を考えずにはいられません。たった一つの検査をするときでも、「医療は、人の幸せのためにある」という原点は、忘れないでいたいものです。

(転載終了)※  ※  ※

 私のような進行再発がん患者は (3)進行がんの「病気の勢い」の評価(治療効果判定)ということで毎月腫瘍マーカー値を測定している。
 だから、生きている限りこの数値の呪縛からは逃れられない。さりとて数値が上がったら、即増悪確定ということだけでもなさそうで、数値の上昇に加え、実際に患部画像の確認、自覚症状の出現の有無と、ダブル、トリプルで良くない事態が起こった時に初めて治療変更に踏み切っても決して手遅れではないというのは、6年近く続けている治療で実感している。
 主治医も「数値より画像です。」という主義だ。最初の1年ほどはCA15-3ともう一種類測定してもらっていたが、病院の方針で2種類のマーカー測定はダメということになり、以降CA15-3のみの測定で、転院以来CEAは測定してもらったことがない。まあ、ちょっと数値が上がっていちいち落ち込んでいたら、とてもではないが日々穏やかになど暮らしていられない。
 これは、現在このマーカー値が正常範囲内ではないにせよ、ぐんぐんウナギ登りに上昇している、という事態でないという状況だから言えることなのかもしれないけれど。

 が、健康診断時の追加オプション等で気楽に出来る―即ち(1)がん検診(がんの早期発見)でマーカー値を測定すること-を否定するのはどうなのだろう。
 検査をして、要二次検診、要精検等になったら、やはり心穏やかではいられないだろう。結果が出るまでいろいろ思い悩むのは、当然のことながら精神衛生上いいものではない。
 そういえば我が家の夫、数年前の健康診断でPSA値が高くなったことがあった。すわ、夫婦でがん患者か!?と慌てたけれど、結果的に偽陽性だったのか、一時的なものだったのか、はたまた喫煙のせいだったのかコーヒーの飲みすぎだったのか、数回経過観察で通院はしたけれど、生検をしたわけでもなく、翌年以降は数値が下がって事なきを得、今は元気に暮らしている。それがきっかけで禁煙に踏み切れたかもしれないので、結果オーライである。
 まあ、Ⅳ期の患者である私が人並みには長生きできないのが明らかな状況で、まだ世話の焼ける息子を遺して貴方に迄早世されてしまったら一体どうするの、というのが本音だけれど、検査の後、がんかもしれない・・・と思い患う時間というのは、図らずも家族を巻き込んであまり気持ちが良くないものだ、と感じる。もちろん、部位によっては自覚症状が出てからでは遅いから検診を推奨する、ということなのだけれど。

 私の再発転移が分かった時のこと。痛みが出てから数カ月の時間差でCA15-3がぐんぐん上昇し始めた。痛みを訴えてもマーカー値が上がっても、画像上は何にも出ていなかったから、再発確定までには時間的にかなりの誤差があった。けれど、上昇する前に自覚症状(胸骨・鎖骨痛)は既にあったのだから、やはり体の声を聴くのが一番なのかもしれない。これは(2)早期がん手術後の経過観察(再発の早期発見)にあたるのだろう。けれど、今は再発を早期発見したところで、予後が変わるというわけでもなさそうだから、いつかも書いたように結局のところ、あまり不安に苛まれることなく、「起こってから考える」ので十分なのだろうと思う。もちろんこうして悟るまでにはいろいろな葛藤があったわけだけれど。
 いずれにして、起きてしまったことはなかったことには出来ないし、受け容れるしかないわけだから。

 どの先生も高野先生がおっしゃるように、たった一つの検査をするにしてもその意味を考えたい、と思ってくだされば良いのだろうけれど、実際にはそうでもないのかもしれない。
 が、私は自覚症状等が全くない(従来と違う痛みが出ている等、明らかに状況が変わっていない)中で、必要以上にあれもこれも、の検査を望むことはしたくないと思っている。そして、先生が示さない(教える必要がないと判断されている)数値についても、必要以上にプリントアウトして頂いて自分で悩むのも、控えておきたい。素人の自分だけで悩んでいても堂々巡り。時間は湯水のようにはないから、それはもったいない、からだ。
 長く患者をやっていて、そして頻繁に病院に通っているから、他の人たちに比べれば検査から結果を聴くまでの時間は格段に短い私でさえ、ああ、明日はCT検査の結果だなあ、と思うとやっぱりふと憂鬱になるには違いないから。

 昨日はプチ虹のサロンの月例会だった。クリスマスイブ前夜祭と称して、今回も気付けば5時間があっと言う間に過ぎた。全員が再発治療中であるから、それぞれが測定しているマーカーについての話題が何度も上がったことも事実だ。年内の治療がひとまず終了した人、まだこれからの人、それぞれ。今年はメンバーの入院あり、家族の訃報ありで各々にとって受難の一年だった。が、こうしてまた全員で集うことが出来たことに感謝しつつ、来年もまた元気な再会を約束して(息子の受験が恙無く進行して穏やかに参加できることを祈って)お別れした。

 さて、そんな中、明日はクリスマス。そして年内最後の通院日でもある。考えると憂鬱な検査読影結果を伺うことになる。

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2013.12.22 映画はやっぱりこうでなくっちゃ!~REDリターンズ~

2013-12-22 21:09:29 | 映画
 2年前に「若造は引っ込んでな!」と熟年パワーを引っ提げて颯爽と現れた、CIAが最も恐れた超一流の元スパイチーム=コードネームRED(Retired(引退した)Extremely(超)Dangerous(危険人物))シリーズ第2作。
 前作が面白かったので(2011.2.7の記事)、予告編を待つまでもなくこれはまた見なくてはなるまい、と(前作は私が一人で先に観てしまったら夫がご機嫌を損ねたので)、夫を誘って2人で出かけてきた。

 今回、さらに新しいメンバーも加わり(ちょっと平均年齢が下がって)、舞台はロンドン、パリ、モスクワとワールドワイドに駆け巡り、これまた前作以上に派手なお話であることに違いない。
 私は韓流ドラマには一切興味がない(食わず嫌い?)ので、今回初めてイ・ビョンホンを見たのだけれど、好きな人にはたまらない面白い役柄だったのかも。

 相変わらずドンパチバキューンとカーチェイスだけではなく、肉弾戦もふんだんにあるから、観ているとあちこち「痛い!」と身を捩る感じなのだけれど、“ダイ・ハード”の異名をとるブルース・ウイリスが主人公フランク役で、いくつになろうと相変わらず不死身だ。
 不思議なくらいスカッとして、鑑賞後はすっきり爽やか(清涼飲料水のコマーシャルではないのですが)、ストレス解消間違いなし、である。
 紅一点だったヘレン・ミレル演ずる、イギリス諜報機関MI6の元女スパイ・ヴィクトリア。前作同様、キュートに体中で楽しんでスナイパーを演じ、さらには十八番、クイーンエリザベスよろしく気のふれた女王の演技までサービス。
 そして、前作では早期退職し、静かな独身年金生活を送るフランクの年金相談員で、冒険を夢見るごく普通のOLだった筈のサラ。全くの素人さんだったのに、いつの間にやら、立派なパートナー兼メンバーの一員になっており、びっくりすることこの上ない。フランクの、恋人に対するハラハラドキドキ感が伝わってくるのもご愛敬。うんと年下の彼女が可愛いのだろうなあ、と思わずにやりとする。
 「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士を彷彿とさせる、アンソニー・ホプキンスが演じるひと癖もふた癖もある天才物理学者ベイリーも、いかにも、である。
 かつて、フランクとロマンスがあったという美しいロシアの女スパイ・カーチャが、あっけなく殺されてしまったのはちょっと残念だったけれど、こういう映画はやっぱりこうでなくっちゃ、という明るさだった。
 もちろん、数え切れないくらい沢山の人が命を落としていることを思えば、そんなことを言っている場合ではないのだけれど・・・。

 歳を重ねることは悪くない。まあ、こんな元気な引退した人たちはそうはいないだろうけれど、文句なく元気になれる一本、であると思う。
 もし、日ごろの疲れが出て落ち込んでいるとしたら、気分がアップすることお約束します。Real Enjoyable Drama―RED!是非どうぞ。

 今日は冬至。明日から少しずつ日が長くなっていく、と思うだけで嬉しい。ここのところ本当に冷え込んでいるし、日が短いとどうしても顔が下を向きがちだ。
 今日はリンパプラスヨガのクラスに参加。体の芯まで温まりたっぷり汗をかいた。夕食には夫特製のかぼちゃの煮物が。食後はゆず湯で温まろう。もう今年は風邪をひかないでいるために。
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2013.12.20 週末雑感-明日から三連休

2013-12-20 21:50:03 | 日記
 ようやく金曜日になった。
 今週は週の初めに遠征あり、半ばに通院あり(前泊までして!)、勤務したのは3日だったから、あっという間といえばあっという間の1週間だった。
 気付けば来週27日が仕事納め。明日から暦通りの三連休(勤務する大学では23日は祝日授業日だが、今回は出勤当番を免れている。)で、ただでさえ4日間なのに25日が年内最後の通院日。またも週3日勤務で今年の仕事も終了である。

 既に年度末や来年度の準備の仕事も始まっているので、なんとなく落ち着かないシーズンに突入している。
 かつてとても多忙な部署にいた時には、年末年始の休暇期間も出勤し(当然暖房は効かないから電気ストーブを持ち込んで、それでも寒くてコートを着たままで凌いだ)たこともあった。今はそんな悲惨なこともなく、体調に留意しつつ、終わることのない通院を繰り返しながら、こうして静かに働かせて頂けていることに改めて頭を垂れる。

 今年はカレンダーの加減で年末年始が9連休になる。
 遠出の旅行をする人も多いかもしれない。我が家は義母喪中でもあり、受験生もおり・・・で、淡々と静かな年末年始の予定である。
 とりあえず今年の目標“入院しない”(ちょっとレベルが低いけれど、私にとっては至上命題なのだ。)が達成出来そうなのがとても嬉しい。

 夫は昨日今日と連ちゃんの忘年会。今日は高校時代のメンバーと都心での再会という。お洒落をして出かけて行ったが、高校時代にお付き合いしていたという彼女(夫曰く、スズランの君!・・・こちらが恥ずかしくなってしまう命名だが)は出席しているのだろうか。
 これまで高校の同窓会に出かけていったことはなかったように記憶しているから、一体何年ぶりの再会なのだろう。秋に2年近く寝付いた母を亡くし、いよいよ郷里との繋がりも細くなり・・・と、いろいろ思うところがあるのかもしれない。
 懐かしい再会を楽しんできてほしいけれど、まあ、あんまり羽目を外さないでね、とも思う。

 帰宅すると、塾で出かけている筈の息子がリビングで横になってテレビを見ている。頭が痛くて外には出られなかったと聞き、どっと脱力した挙句、また言わなくていいことまで言ってしまう。いつものことながら何とも自己嫌悪だ。

 明日、息子は終業式。私は午後から最後の保護者会に出席して、終了後は成績を持参して塾に立ち寄り、これまた最後の三者面談。最終日にはお愉しみが控えているけれど、何とも気が重い年内最後の三連休の始まりである。

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2013.12.18 採血、造影CT~頚部から骨盤後、フェソロデックス14回目

2013-12-18 19:40:09 | 治療日記
 昨夜早めにベッドに入ったので、今朝はまたもモーニングコールより小一時間早く目が覚める。緊張なのか老化なのか。自宅に電話を入れてからじっくり足湯で温まる。今日は朝一番の造影CT検査なので朝食抜きだ。
 レストランに降りて紅茶だけ頂く。新聞を読みニュースを見て、わが社のボスは今後どうなるのだろうと思うが、他にやることもなく、早々にチェックアウトして病院へ向かった。昼から雨か霙かはたまた雪かという予報で、かなり冷え込んでいる。

 まだ受付が始まっていないので、院内は節電態勢でかなり暗い。自動再来受付機にIDカードを通し、1階の採血等の検査受付へ直行する。受付開始から30分前でカードだけ受け取るも、既に9番。1番乗りの方は何時に来ているのだろう、と思う。それでも窓口は3人態勢なので、9番なら3クール目だ。8時になると番号札は30番にもなっていた。やはり早く出てきて良かった。
 ライトが点き受付が始まる。5分ほどで採血番号をもらうと今度は14番の札。7分待ちということだったが、ほどなくして「採血室へどうぞ」のランプが点き、すぐに順番が来る。女性の臨床検査技師さんから3本採取される。 今日はこの後、造影剤を入れるのにまた針を刺されなくてはいけないのだが、一番しっかりした太い血管に刺されてしまう。
 止血した後、2階へ上がって放射線受付へ。放射線受付は8時15分からだったが、既にこちらも番号札は6番。うーん、出遅れたかと思ったが、1~5番の患者さんは全てレントゲン撮影だったので、CTは一番乗りだ。5分ほどしていつものようにCT準備室へ移動する。 
 廊下をガンマナイフの治療と思しき素頭の患者さんが、フレームで頭部を4点固定され車椅子で通り過ぎていく。5分ほど待って名前を呼ばれ、着替えを済ませてから造影剤注入のためルート確保の針刺し。どの方にとっても右腕の一番太い真ん中の血管が使いやすいようなのだが、今日は既に採血で使ってしまっているので、その左脇の血管を使った。採血より針が太く血管は細く・・・ということで痛みは結構あったが、丁寧だったので深呼吸しながら我慢、我慢。生理食塩水の点滴棒を転がしながらCT撮影室前で待つこと5分。予定通りの時間で無事スタートした。

 今回は9月初め以来の3か月半ぶりの撮影だ。特に問題がなければCT撮影は半年に1度のペースだが、今はフェソロデックス、ハーセプチンで目いっぱい粘っているので3カ月毎に経過観察をする必要がある、という先生の判断だ。いつもどおり頚部から骨盤までの撮影。前回迄はかつらだったが、今回はおかげさまで自分の髪の毛なので、リラックス。「頚部とありますが、顔も撮りますから動かないでくださいね。」などと言われる。突然顔だけぶんぶん回すとでも思われたのだろうか・・・。
 恒例のことだがベッドに寝て万歳の姿勢をとり、最初は造影剤なしで、次に造影剤が入ってから2回の撮影。あわせてわずか10分程度の検査だ。造影剤はいつもながら瞬く間に体中を駆け巡り、体の芯までジーンと熱くなる。薬剤の匂いも鼻を突くし、何度やっても気持ちが良くないし慣れないものだ。とりあえず無事終了。看護師さんに針を抜いてもらい、紙テープで止血をしてもらう。放射線受付を経由して、1階に降りて腫瘍内科で受付をした後、カフェで遅い朝食を摂ってロキソニンを飲む。
 30分もしないで食事を終えて腫瘍内科に戻ると、既に「中待合へどうぞ」の番号ランプが点いていてびっくり。慌てて中へ入る。「止血テープは最低30分間、外さないでください。」と言われているので律儀に守り(こういう所が我ながらやけに真面目なのだ。)、そのため、中待合に入るまでに済ませる筈の血圧の測定ができなかった。

 読書しながら待つと15分ほどして先生がお顔を出された。
 「さて、2週間いかがでしたか。」といつもの質問から。今回はロキソニンが大活躍して、1日朝昼晩と3回飲んだ日が3日、2回飲んだ日が5回あったとお話しする。それ以外は朝のみで済んでいるが。先生から「冬になると痛かったんでしたっけ?」と問われ、昨年はECの副作用で胸痛以外の不調が酷かったのだが、やはり寒いと痛みがあるように思うとお答えする。診察室での検温は6度8分。
 既に前回と今回のCT画像が目の前に並んでいるのはいつもどおり。採血結果は白血球が3,800。概ねいつも通りだ。そして腫瘍マーカーは前回上がったことを考えると前月比0.4の増だから横ばい。ほっとする。痛みが増していたのでグーンと上がっていたら・・・とちょっと心配していたので。
 画像の読影詳細は来週までに放射線科医からあがってくるが、ざっと先生が診たところあまり大きな変化はないようだ、とのこと。輪切りの画像をスクロールして頂きながら両肺の影の大きさを比較する。やはりどの影も大きくなっている。いちばん小さいもので2.3cmが2.6cmに。それより大きいものはあえて測らなかったけれど一番大きなものが一番はっきり大きくなっていた。中には中心部が石灰化している影や、腫瘍に押されて肺の先端が潰れているものもある、などのコメントがあった。そうはいうものの、3か月でこの程度ならゆっくりだ、という判断のようだ。が、いつまでこのスピードで大きくなっていくのかは悩ましいとのこと。
 いずれにせよ、今日は予定通りフェソロデックス注射。来週クリスマスの日に年内最後のハーセプチンの予約が入る。ロキソニンは年末年始も挟まるし、ということで30日分処方してくださった。
 
 そして、化学療法室へ移動。今日は待合椅子に備え付けの自動血圧測定機で計測する。100-61、脈は85。いつもどおりだ。
 ほどなくして針刺名人Oさんの姿が見えたのでご挨拶。前回お姿を見かけなかったので、もしや異動?とちょっと心配したのだけれど、ほっとする。そして5分ほどしてIさんからお声がかかり、ベッドを案内された。

 こうして、今回も無事フェソロデックスの注射が出来ることになった。前回も書いたけれど、毎回、毎回ドキドキしながら、よくぞ今年一年頑張って14回目までこぎつけたものよ、と思う。神様、なんとか息子の受験が終わるまで、T-DM1が使えるようになるまで、と心の中で祈る。

 まもなく薬が届く。Iさんもためらうことなくスっと刺してくれるので、一瞬痛むけれど、その後は大丈夫。最初は痛みに慣れずに毎回大変だったけれど、1年も続けているとうまくリラックスして脱力することが出来るようになるものだ。とにかく、こちらが緊張して体を硬くするとろくなことはない。左も右も終わって止血で押されたときはグーンと重苦しい痛みが走る。針を刺した後に触れなければ、最初の頃のように酷くびっこをひいて足を引きずることもなくなった。ゆっくり普通に歩いて化学療法室を後にする。

 まだ時間が早いので会計で待ったのも10分程度。ここまでで到着から3時間弱。これほどスムーズだと前泊をした甲斐がある、と独りほくそ笑む。今日は採血の後CT検査だったが、CT検査を終えて採血室の前を通ると既に待合椅子は溢れていて、かなりの待ち時間になっていた。採血結果が出るのに最低1時間はかかるから、順番が逆だったら到底こんな時間では終わらなかっただろう。

 今日は5万円弱の支払い。病院を出て薬局に寄り、ロキソニンを出して頂く。こちらは既に混雑していたが、なんとか座る席を確保。30分近く待って、本日の病院と薬局の合計滞在時間は4時間ほど。お昼前に終わって本当にラッキーだった。途中駅でランチ。切りの良い所まで本を読み食料品の買い物をし、冷たい雨が降る中、ゆっくり歩いて帰宅した。

 帰宅すると今月2回目、今年最後のお花が届いていた。
 白いオリエンタルリリー、可愛らしい小さな葉牡丹、黄色いソリダスターが2本ずつ。それぞれ花言葉は「高貴」、「愛を包む」、「知識」だという。27日の仕事納めの日にお正月のお花が届くというお知らせが入っていた。何と早いことか。

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2013.12.17 極端なことはしない

2013-12-17 20:53:53 | 日記
 ちょっと時間が経ってしまったのだけれど、毎週木曜日は読売新聞医療サイト・yomiDr.大津秀一先生のコラムの更新日。読んで味わって納得して取り入れようと思いを巡らす、とても楽しい時間である。
 今回は私も読んだ近藤先生の「医者に殺されない47の心得」に展開される持論についての反駁である。以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話 「がん放置」は本当に楽なのか?(2013年12月12日)

 がんは治療しなければ本当に楽なのでしょうか?
 そんなことはありません。
 がんは組織を傷害しますから、普通に痛みが出ます。抗がん剤が効いてがんが小さくなればそれで痛みが軽くなることが多く認められます。例えば、進行胃がんの比較試験において抗がん剤を使用したほうが「症状がない時間が長い」「症状が改善した」というエビデンス(科学的根拠)もあります(Glimelius ら=1997年)。
 近藤誠さんの『医者に殺されない47の心得』(アスコム)から引用し、緩和医療の一専門家として、症状緩和にまつわる記載についてみてみましょう。

モルヒネ・放射線治療にも限界

 「放置すれば痛まないがんは、胃がん、食道がん、肝臓がん、子宮がんなど少なくありません。もし痛んでも、モルヒネで完璧にコントロールできます」(p83)

 これは間違いです。
 肝臓がんは肝被膜という肝臓の外側の膜まで腫瘍が進展しないとしばしば痛みを感じないのですが、胃がんや食道がん、子宮がんは放置すると痛みます。私はいずれのがんの放置例も診たことがありますが、患者さんは痛みを訴えておられました。組織をがんが傷つけるのですから当然です。
 間違いはもう1つあります。
 「モルヒネで完璧にコントロールできます」と書いてありますが、そんな安請け合いはできません。
 モルヒネなどの医療用麻薬は、基本的に内臓の痛みにはよく効きますが、胃がんが進行してお腹の神経が集まっている所( 腹腔神経叢)を侵したり、あるいは子宮がんが進行して骨盤の中の神経が集まっている所(骨盤内神経叢)を侵したりすると「神経の痛み」が出ます。これはモルヒネで完璧にコントロールすることは、しばしば困難です。以前の連載で述べた通りです。
 他にも気になる記載があります。

 「骨転移で痛む場所が1か所の場合は、放射線治療で劇的に痛みを軽くすることができます」(p91)

 これもがんによって効く可能性が異なると言われており、前立腺がんや乳がんでは80%以上ですが、肺がんでは60%、腎臓がんでは48%程度とされています(緩和ケア継続教育プログラムより)。
 効く場合でも、全てが著効するわけではありません。劇的に痛みが軽くなる場合もあるが、そうではない場合もあるということです。鎮痛薬が要らなくなるのは30~50%程度(同上)とされており、放射線治療をしても鎮痛薬の継続が必要になることは少なくありません。

苦痛は必ず出現、緩和医療の併用を
 放置しても大丈夫だよと伝えたいがゆえに、これらのオーバーな表現が散見されるのですが、中でも顕著なのは「がんで苦しみ抜いて死ななければならないのは、がんのせいではなく、『がんの治療のせい』」(p14)という説です。抗がん剤で症状緩和が為される場合もあることは先に述べました。それでは、がんに対する治療を全くしなかった場合はどうでしょうか? 本当に苦痛はないのでしょうか?
 私は最初から最後まで一切、がんに対する治療をしなかった方も診療した経験がありますが、それでも痛みが出ますし、余命が数日ともなれば「身の置き所のなさ」が出ました。
 放置療法を選択されていた患者さんのご家族から相談が来たことがありますが、余命数日の「身の置き所のなさ」が出ていたにもかかわらず、何の指示も出ていないようでした。苦しかったようです。これが放置することの実態です。「鎮静」が必要な状態だったと判断されました。
 緩和医療はモルヒネばかりではなく、他の医療用麻薬を使いこなし、また鎮静も扱って患者さんが最初から最後まで苦痛がないように努めます。本当の放置、あるいはモルヒネと放射線療法が中心で経過観察、というのは苦痛緩和に不十分で、標準的なレベルの緩和医療ではありません。
 がんを放置しようがしまいが、がんそのものによる苦痛は必ず出現します。苦痛は痛みばかりではありませんし、死期が迫れば相応の苦しさが出ます。だからこそ、本当のがんの専門家はきちんと緩和医療医と協働し、苦痛緩和の専門家である同医師のもとできめ細やかに最新の緩和医療を併用し、どんな場合においても最高の苦痛緩和ができるように努めるものなのです。

(転載終了)※ ※ ※

 治療しないでいい、なんて甘い言葉に騙されてはいけないのだなぁ。せっかくの日進月歩の医学の恩恵を享受しないとは、なんとももったいない!ではないか。(どうも私は貧乏性である。何かといえばもったいない・・・と言っている。)
 間違いなく病気―それもかなり手ごわい相手なのだから、放置しておいてよいわけはない。ここは冷静に考えたい。これまでのエビデンスに基づいて適時・適正な治療をすべきである。ことエンドレスの再発治療では、自分の生き方も踏まえた上で、自分がどう生きたいのか、に出来るだけ沿うように主治医と相談しながら、なるべく長く病と共存する方法を探りたい。
 もちろん、何度も書いている通り完治はしない病だからといって治療一色の人生は出来る限りご免被りたいので、いつものようにいいとこどり、のポリシーで。

 何度も書いているけれど、痛みは気持ちをどうしてもネガティブにする。一度ネガティブスパイラルに入ってしまうと、どうにも良いことはない。だから、なるべくうまく痛みをコントロールして前向きに過ごせるのが一番。そのために緩和ケアは必須なわけだ。こうして毎朝ロキソニンの助けを借りながら仕事に出かけるのも、広い意味で緩和ケアであると理解している。いずれそれがモルヒネに変わったとしても、同じことだ。

 当然ながら、実際に余命数日になったわけではないので、その時の“身の置き所のなさ”は経験したわけではないけれど、抗がん剤投与の数日後の体中の倦怠感、身の置き所のなさを想うと、やはり辛いのだろうな、と思う。ヘタレかもしれないけれど、タイミングを見てうまく“鎮静”をしてもらいたい。“その時”が来たら必要以上に闘わずに穏やかに受け容れていきたいと思う。
 そして、痛みや辛さによる苦渋の表情を家族の脳裏に焼き付けておかないために、無理に頑張らない。鎮静する前にきちんとお別れの時間、お礼が言える時間をとれるように過ごしたい、と思う。
それには日々大切に精一杯を積み重ねたい、といつもの話に戻るわけだ。
いずれにせよ、そうそう極端なことはしない方が良い。バランスをうまくとりながら生きるのは至極当たり前のように思うのだが、どうだろう。

 明日は通院日。昨日休んで明日も休暇、ということで仕事は大車輪。そして明日の朝一番に造影CT検査が入っているため、今晩も前泊している。旅の直後で夫と息子にはなんとも申し訳ないのだけれど、体力温存、ということで。
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