ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.12.17 最終日~ミッション完了、無事帰京

2018-12-17 23:15:20 | 

 昨夜はあれこれ片付けて、ベッドに入ったのは日付が変わってからになった。今朝は息子の寮に出向いた後はお昼までに京都に移動すればいいので、チェックアウトものんびりでOK 。昨日より1時間遅くモーニングコールをセットした。

 モーニングコールの30分ほど前、カーテンの間から朝日が漏れてきて、お手洗いに起きる。そのままベッドでニュースを見ながらウダウダ。その後モーニングコールより5分前に電話が鳴ったので、てっきり5分早くかかってきたのかとそのまま切ったら、再度ベルが鳴る。夫の直接モーニングコールだった。
 母に今朝の朝食時間について告げていなかったので、母に電話。
 ゆるゆると起き出して3人でレストランへ。昨朝は洋食セットメニューだったので、今朝は和食をチョイス。今朝もしっかり皆で完食した。ちょうど同じくらいの時間に息子も寮で朝食を済ませた模様。

 荷物整理をして、チェックアウト。タクシーを頼んで息子の寮まで移動する。昨夜降り続いた雨はすっかり上がり、今日はいいお天気。そして気温も高く暖かくなるという予報だ。
 寮のエントランスで管理人さんにご挨拶。手土産をお渡しし、息子が下りてくるのを待つ。ほどなくして下りてきた息子とエレベーターに乗って(息子のルームキーがないと、来訪者はエレベーターにも乗れない。)3人で息子の部屋の前まで。あまりの惨状を見るのはどうか、と思ったけれど母はこちらに越してきて初めてだし、ということで玄関から部屋を覗かせてもらうにとどめて(とても足の踏み場がない部屋である・・・)ひとまず1階に降りる。無事卒業出来ればあと3か月でこの寮ともお別れ。また引っ越しすることになる。

 息子に荷物持ちを兼ねてもらって、今度は駅までブラブラ歩き。在来線で京都駅を目指す。青空の下、紅白の蝋燭の形をしたタワーを見上げるのも何度目だろう。まずは荷物をロッカーに預けて身軽になる。駅前の郵便局で、懸案だった息子の通帳の更新手続き。窓口が数多いので待ち時間も短く、無事完了。
今回の最後のミッション、お友達とランチを約束しているホテルまでタクシーで移動する。

 少し早めに到着。エントランスの大きなクリスマスツリーに迎えられる。駅前の喧騒が嘘のようにとても静かだ。約束の時間までロビーで休憩し、2階のイタリアンレストランへ移動する。
 仕事の合間に時間を無理やり作って頂き、申し訳ない限り。家族3人の席の予約もして頂き、2つのテーブルに分かれて私は彼女の到着を待つ。
 2年前にお目にかかって以来の再会だ。連絡は取らせて頂いていたのである程度お互いの状況は分かっているとはいえ、実際にお喋り出来て本当に良かった。これから関西で就職することになる息子をはじめ、家族揃ってご挨拶させて頂けてほっとする。治療の情報交換もさせて頂き、有意義で贅沢なランチタイムとなった。

 すぐ近くで仕事があるという彼女は一足先にレストランを後にされ、私たちも態勢を整えて、新幹線の時間までの1時間半ほどを観光にあてることに。
 目と鼻の先には三十三間堂。下駄箱あたりがすっかりリニューアルされていてびっくり。冬に訪れると、それは寒くて足裏が冷たくて底冷えするような記憶があったのだけれど、今日は暖かく、じっくりと千体の仏像を見入る。息子は無事卒業、私は一病息災と護摩木も書いてきた。それにしても、いつ訪れてもこの眺めは壮観以外の何物でもない。

 庭で記念写真を撮るころには雲行きが怪しくなってくる。さて、少し早めに駅に戻ろうとタクシーに乗ろうとすると、息子が「この近くにおばあちゃんが手術をする際、お腹の神様に祈願に行ったから、お礼参りに行ったほうがいいのではないか。」と提案。確かに車で3分というので、それはいい考え、とお礼参りの間はタクシーを待っていてもらう。

 新熊野神社は、3年前に母が大腸がんの手術をする前、関西にお住まいのお友達から教えて頂き、息子が病気平癒のお守りと楠木の枝を頂いてきた神社だ。もう次回いつ来られるかもわからないので、本当に息子、グッドアイディア!であった。皆でしっかりお礼のお参りをし、霊験あらたかな楠の木と母はツーショット。雨がぽつぽつ降り出し、急ぎ車に戻り駅まで。
 タクシーの運転手さんに息子の就職や母のお礼参りの話をすると、車内はすっかり和やかな雰囲気になり、お喋りに花が咲いた。聞けばタクシーの運転手さんも母と同じ直腸がんで腸閉塞も起こして大変だったというサバイバー。なんというご縁か。

 そして駅に到着。かなり本降りになっている。お参りするのに本当にセーフだったね、と皆で駅構内へ。ロッカーで荷物を出し、息子が新幹線入り口まで送ってくれた。彼はこの後、先週抜歯した親知らずの抜糸のため大学病院の予約があるという。
 ほどなくして雨が小降りになったと思う頃、私たちは新幹線ホームに。息子からは綺麗な虹の写真がLINEで送られてきた。明日もきっといい日になるよ、とのこと。なかなか味なことをするではないか。

 定刻通り新幹線が発車。そして往路と同様、お茶とお菓子の時間。さすがに疲れて痛みも出てきて、おやつの後はロキソニン。今回結局3日間とも朝昼晩ロキソニンのお世話になってしまった。まあ、頭痛のこともあったし、コデインのお世話にまではならなかったのだから、よしとしなくては。

 2時間ほどで乗換駅に到着。すんなりと乗り換えも出来たが、おり悪くラッシュの時間。大混雑である。なんとか2つ先の駅で母が優先席に座ることが出来、ほどなくして夫も私も席を確保することが出来て良かった。
 次の乗換駅の駅ビルでゆったりと中華レストランで夕食を済ませ、母はJRへ、私たちは私鉄に別れた。一人で電車に乗せるのはちょっと心配だったので、私たちの最寄り駅まで一緒に来てタクシーで帰れば、と持ち掛けたのだけれど。私たちは最寄駅からすんなりタクシーで帰宅。

 帰宅後は夫と二人手分けをして荷物の片づけと汚れ物の洗濯。母からも無事帰宅したという連絡を受け、ようやくこうしてブログを書いている。
 ということで、明日からは通常勤務。週末の3連休も気づけば全て予定が入ってしまい、ああ、一体いつ掃除と年賀状書きをするのだろう、とちょっと不安な気分の夜である。

 



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2018.12.16 2日目~観光組と映画・コンテスト組、てんでんこの日曜日

2018-12-16 23:13:00 | 

 昨夜は夕食後、息子が彼女を送っていくというので、私たち3人はホテルエントランスでお見送り。母はさすがに疲れたようで部屋に戻ってお風呂に入り、さっさと横になってしまった。今回はシングル3室を取ったので、お風呂もお手洗いも気兼ねなくマイペースで過ごせるのが世話なしではある。
 一時間後、息子が、預かっていた大荷物を取りにホテルに戻ってくるというので、夫と私は部屋で待つ。荷物を引き渡した後は、こちらもバスタブに浸かって旅の疲れを取り、明日の予定を確かめてから早めにベッドに入った。

 6時間ほど連続して眠れ、モーニングコールの小一時間前、お手洗いで目覚める。約束の時間に電話をすると、夫も母も既にしっかり起きていたので、レストランへ向かう。昨日は結局3回ロキソニンを飲んだけれど、今朝はそれほど痛みが気にならず、落ち着いていてほっとする。今日は朝1回の服用で済んでくれればよいのだけれど。

 昨夜はお任せコースであれこれたっぷり頂いたのに、今朝もちゃんとお腹が空いて、皆で洋食セットメニューを完食。
 今日は、夫と母は“年末詣り 五社巡りと特別懐石”と称する一日京都観光。当初4人で予約をしたのだけれど、その直後、息子が、所属する社会人メインの合唱団が出場するアンサンブルコンテストとバッティングしてしまった、ごめん、と言ってきた。以前からこの合唱団の演奏を一度聴いてみたいと思っていたので(私は残念ながら自分が加われない男声合唱が好きである。)、一人鑑賞に出向き、2人にはそのまま観光バスに乗ってもらうことにした。まあ、お付き合いで聴きに来た夫も母も、2日連続合唱ではちょっと退屈だろうということで。

 朝食後、2人を見送り、夕方トリで出場だという息子の合唱団の出番まで時間があるので、徒歩でシネコンに出かけた。夕方からお天気が崩れてくるという予報だけれど、朝の内は良いお天気である。京都はかなり冷え込んでいる模様。
 さて、先般の地震の折には、シネコン併設のこのショッピングセンターでも酒瓶等が割れてフロアはアルコール臭が立ちこめ、酷いことになっていた。時間の経過とともに、店内は通勤通学が出来なくなった人たちで溢れ、食料品を買い求める長蛇の列で大変だったなあ・・・と思い出す。あれから半年。既に街は何もなかったように普通に動いているけれど、本当に災害はいつやってくるかわからないことを改めて思う。

 出来れば字幕版が良かったのだけれど、時間が合わず吹替え版の「ファンタスティックビースト」を観た。そういえば今日、息子の彼女も同じ映画を観る予定だと言っていたっけ。たっぷり2時間以上ファンタジーの世界に浸った。ハリーポッターシリーズ本編と違って原作を読んでいないので、登場人物やら背景やらがなかなか複雑で物語について行くのに大変だった。結果として吹き替え版で楽だったかもしれない。5作中の2作目ということで、まだまだ次回作に続く、である。

 鑑賞後は軽くランチを済ませ、JRと私鉄を乗り継いで1時間半ほどかかる近県のコンテスト会場に向かった。乗り換え案内で調べてはきたもののこちらの土地勘がないので、やはり不安。何度も駅名を見直したりするのがストレスだ。山手線のように3分に1本来る電車でもないので、一台乗り過ごしたら大変ということもある。帰路は鉄男の息子と一緒だからお任せ安心だけれど、一人で見知らぬ街を歩くのはなかなか緊張する。

 ホールがある駅は実にこじんまりしている。ラフな地図しか持っていなかったのでちょっと心配になって改札で駅員さんに訊くと、親切にも詳しい地図を頂けた。途中道がわかりにくく、それらしい建物も見えないので自転車の女性に声をかけると、「ちょっとわかりにくいし、そちら方面なので一緒に行きます。」と入り口まで教えてくださった。有り難いことである。
 ホールに到着し、チケットを買って中に入ろうとすると、ちょうど高校生の部の講評中。その後表彰式があり、息子たちの団体も練習場所から到着。いつもお世話になっている方とご挨拶も出来て良かった。

 そして、20分ほどの休憩後に一般の部がスタートした。
 参加人数が最大16名というヴォーカルアンサンブルコンテストの一般の部の出場は13団体。女声団体が多数を占め、混声が3団体、息子の所属する団体は女声合唱、男声合唱を1曲ずつ歌うということで括りは唯一「同声合唱」とあった。審査員の先生方のお一人は、昨日息子の大学の合唱団で合同曲を振ったM先生だ。中学校の部から始まり、本当に長丁場。大変なことである。
 私が学生時代所属していた団はかなりの大人数だったので、一人一人の声が溶け込むような発声や歌い方をしていたが、室内楽的な少人数のアンサンブルコンテストを聴くのは初めて。小ホールでは一人一人の声がやはりダイレクトに伝わってきてなかなか興味深かった。

 予定時間より若干遅れて最後の団体である息子たちの舞台が始まった。前衛的な曲を繊細かつダイナミックに、何より楽しそうに歌っていて面白かった。
 はたして結果は、私がダントツに良かったと思った女声団体が金賞を獲り、男声が入るとやはりハーモニーに厚みが出るなと思った若い混声合唱団が2団、そしてトリの息子たちの団が金賞を頂いた。さらにグランプリは高校の部から出たが、一般の部からは息子たちの団体が、3月に合唱の聖地で行われる全国大会への出場権を頂くというお土産つき。いやあ、良かった、良かった。おめでとう。

 彼らがロビーで盛り上がっている中、広報担当をしているという息子から頼まれて全員の記念写真撮影を承った。息子が楽しそうにしているのを見るのは、こちらも嬉しい。
 彼らはこれから打ち上げで焼き肉!ということだったが、息子は明日、親知らず抜歯の抜糸で通院を控えているので、それまでは禁酒中とのこと。今日は私と夕食を摂るということで、失礼させて頂いた。とはいっても団員の皆さんと途中まで同じ電車で。

 外は予報通り雨が降り出している。息子の提案で、大阪らしい粉物にしよう、と息子が小学生の時にUSJを訪れた折に立ち寄ったお好み焼き屋さん(外国のお客様も沢山いて、皆インスタ写真撮影中)に案内された。奇しくもその時に親子3人で座った席に案内され、懐かしい気持ちで一杯になった。
 思えば、息子と夫は2人で焼き肉だのお寿司だのよく食事に行くが、こうして私が息子と2人で食事に出るのは結構珍しいこと。カウンターに並んで、目の前で焼いてくれるアツアツ焼きたてのお好み焼きや焼きそばに舌鼓。デザートまで完食して、先ほどホテルに戻ってきた。

 夫と母は夕方京都駅でバスツアーを終えた後、既に閉門してしまった東本願寺(父のご本尊である)を外からお参りしてお茶をした後、いったんホテルまで戻って小休止。近くのレストランで夕食を取ったという。母は、私と息子が戻った時には既に就寝中だった。夫がロビーで待っていてくれて、3人で明日の打ち合わせ等など。

 というわけで、期せずして変則的な日程となった旅の2日目も無事終了。
 明日は息子の寮に挨拶方々伺い、母に息子の部屋(かなりの惨状らしい・・・)を見てもらった後、再び古都の街に移動、6月に地震のためお目にかかれなかったお友達とランチをご一緒し、夕方には帰京の予定である。

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2018.12.15 母を連れ半年ぶりの関西へ、息子のコンサートを堪能

2018-12-15 21:47:53 | 

 昨夜は旅支度を済ませ、家中のゴミをまとめ、洗濯物を片付け、ようやく一段落。気になっていたドラマの最終回の録画を見てベッドに入った。気になる痛みで夜中に目を覚ますこともなく、よく眠れて安堵した。

 今朝はいつもと同じ時間に起床。リビングに行くと、4時半に目が覚めた(老人性早起き症か!?)という夫が映画鑑賞中。ショートスリーパーというか、金曜の夜だからと夜更かしした挙げ句、こんなに朝早くから起きて日中にうとうとしているのだから困りものだ。
 朝食を済ませ、出かける支度をしていると、母が、バスが遅れていて乗る予定の電車に乗れないかもしれないと電話をかけてきた。ようやく一人で携帯電話をかけることが出来るようになって(今までは、私からの連絡を受けるの専門であった!一体何年持っていることやら。)まあ少し進歩だ。こちらもタクシーで最寄り駅まで向かう。息子の冬物のコートやら差し入れやらで結構な大荷物になっている。

 車を降りたかと思うと、また携帯が鳴る。なんとか予定通りの電車に間に合うとのこと。JRの車内で無事合流することが出来た。3人とも席を確保して新幹線乗換駅まで。つい先日、通院のために降り立った駅も、今日は旅行客として、であり、なんとなく景色が違って見えるのが不思議だ。皆キャリーケースを引いてお土産の荷物をたくさん抱えている。ああ、年の瀬なのだなあと思う。
 定刻通りの新幹線に乗り込み、態勢を整えて早速おやつと珈琲タイム。夫は食べたと思ったらすぐにうとうと舟をこぎ始めるが、母は久しぶりの遠出で気分が高揚していると見えて(新幹線に乗るのは息子が入学した年に私と京都を訪れて以来4年半ぶり!)実によく喋る。本を読もうと思っていたのだけれど・・・、諦める。

 いつもは古都の駅で下車するが、今日は息子が骨を埋めることになった終点の街まで。乗り換えがスムーズで、すぐに快速に乗り換えられラッキー。息子の寮と宿泊予定のホテル(前回は大阪北部地震に遭遇した!)がある駅に降り立ったのはちょうどお昼を回った頃。母連れであちこち歩くのはしんどいので、迷わずホテルのレストランでゆっくりランチを摂った。

 今日は息子が卒団した合唱団の55回記念定期演奏会。昨年は単位不足で留年が確定していたため休団中だったが、今年は就職も決まったし、けじめもつけたいとのことで参加することになった。創立56年目、55回節目の記念講演は、現役ステージに加えOB・OGとの合同ステージがあるので、それにだけ乗ることにしたという。どうも私と同じようなことをやっている息子である。私の母は、息子がこちらのキャンパスに移ってからは関西に来たことがないし、学生生活最後(の筈)だし、寮も見てみたいし、ということで頑張ってついて行きたいとのこと。
 
 舞台は第4ステージからなり、最初はアラカルトステージ。日本民謡合唱曲のうち、踊りを題材にした4曲を集めたもの。2年生の副指揮者が曲を紡いだ。母も知っている曲で、とっつきもよくいい感じ。ピアノ伴奏のT先生は相変わらずお元気そう。
 第2ステージは企画ステージ。復興支援がテーマだという。先般の地震では大学も被災して1週間ほど休講になったのだった。今年を表わす字は「災」だとニュースで聞いたが、本当に各地で災害が多発した1年だった。東日本大震災への復興を祈願して描かれた曲を中心に、被災された全ての方にエールになりますように、というもの。皆が知っている「上を向いて歩こう」など歌はいいものだとしみじみし、若い歌声に元気をもらう。

 第3ステージは9月末に私が参加した現役とOB・OG合同演奏会の時、現役たちが歌った混声合唱組曲「あさきよめ」。室生犀星の生きる悲しみを荘厳に描いた詩に藤嶋美穂さんが曲をつけられた。序曲から終曲に至るまで、生きること、老いることなど様々な悲しみを経験しながら「生き抜かなければならない」という峻烈なエールを送るもので、息子より1期下の4回生が胸にコサージュを付け、学生正指揮者が渾身のタクトを振った。
 それにしても現役生の少ないこと。2,3年前に比べて半分ほどではないか。とはいえ、30数人の声はとてもまとまっていて良い響きだった。

 以上が現役ステージ。フィナーレは現役・OBOGの合同合唱団90余名にソプラノ・メゾソプラノのソリスト、チェンバーオーケストラが加わり総勢113名の壮麗な演奏。記念定演にふさわしい栄光のステージを堪能した。曲はヴィヴァルディの「Gloria in D RV 589(グローリア ニ短調)」。30分を超える全12曲からなる大曲だ。常任指揮者のM先生もとても気持ちよさそうに振っておられたし、息子の先輩たちのお顔も何人か見つけることが出来た。
 
 全員でのアンコールの後、現役のアンコールも含め堂々2時間半ほどの演奏会を堪能した。
こうして定期演奏会は終了し、その後のんびりと3人でホテルを目指した。夫が、こちらが近道かもしれないと別の道を行ったら案の定行き止まり。結局遠回りになった。夫はいつも方向音痴である。

 フロントで荷物をピックアップしてチェックイン。態勢を整えたところで、夕食は息子の彼女も誘って5人でホテルのレストランで。彼女の話は息子から聞いていたけれど、実際にお会いするのは初めて。やけに緊張している夫がちょっと可愛い。
 若い女性がいると食卓はとても華やかだ。とても優しそうな可愛らしいお嬢さんで、私の母との会話が弾んでいる姿を見て、母親としては少し胸をなで下ろす。月曜日に大学病院で右下の親知らずを抜歯した息子はすっかり頬の腫れも退き、いつも通りの食べっぷりで安心した。 ところがそこにいきなり知らない電話番号から電話が入り、慌ててスマホを掴むも出そびれる。今度は同じ番号から夫にかかり、一体何かと思ったところ、警備会社からのもの。母が自宅の警備システムをお出かけモードにせずに家を出たため、何時間も生体反応がないので、という緊急連絡だった。全くトホホなことであるが、こうして実際にきちんとチェックされている、ということがわかって怪我の功名といったところか。

 ということで、ひとまず本日の予定は滞りなく終了。明日は夫と母は一日京都バス観光。私は息子が所属している社会人合唱団が出場するコンテストを聴きに、とてんでんこの予定である。
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2018.12.14 痛いの痛いのとんでけ~

2018-12-14 21:03:14 | 日記

 息子がまだ小さかった頃、転んで大泣きをした時などにはよく「痛いの痛いのとんでけ~」と言いながらぶつけたところをさすっていた。
 不思議なことに人の手には癒しのチカラがあるから、頭が痛い時に母親の手が額を触れるととても気持ちよかったり、転んですりむいた膝に手をあててこんな台詞を言ってもらうと痛みが和らいだという経験は多くの人が持っているのではないか。
 痛みがある時には、たとえそれが自分の手であっても痛みの軽減に効果がある、というのはいつだったかテレビで実験したのを見た記憶がある。

 なので、痛い時には深呼吸をしてそこに手を当てる。セルフヒーリングである。

 ところが、昨日の朝からそうしていてもなかなか取れない痛みが出ていて往生している。
 一昨日のお昼、通院納めだ!ご褒美だ!と調子に乗って食べ過ぎた影響で昼食直後からお腹を壊し、夜も食欲がなく、ずっと胃が重いままだった。慌ててミヤBM錠を飲んだことで、昨朝には下痢は止まったけれど、あいかわらず胃がなんとなく重くて鈍い痛みもある感じ。朝食は少なめでやめておき、いつものように食後にロキソニンを飲んで都内横断の出張に向かった。

 2回乗り換えて、ようやく到着する頃になって、左後ろの肩甲骨のキリキリとする痛みから始まって、胸骨のあたりから両肺にかけての圧痛が酷くなった。痛いだけ、とか息苦しいだけ、ならば日常茶飯事のことなのだけれど、両方が一度に来ると結構辛い。
 これはまずいと深呼吸と瞑想と手あて。もし無事に到着できなかったらどうしよう、とあれこれ考えを巡らしながら、ほうほうの体で出張先の会議室に辿り着くや否や、とにかくコデインを流し込んだ。はたして30分ほどで大分落ち着いてきたけれど、焦った。あのまま痛みが続いていたら、と思うと冷や汗が出る。

 いつもの鈍痛は、軽く鉄板を押し付けられている感じの違和感と重苦しい感じ。それが昨日は、もう厚みも重みも違うレベルの、大きな鉄板でギリギリと押し潰されるのではないかと思うほどだった。肩甲骨の辺りから痛みが始まったのも嫌な感じだった。昨日せっかく通院納めだったのに、また行くことになるかも・・と暗澹たる気分になったが、会議が終わる頃には普段どおりの鈍痛になって、ほっとして帰途に就いた。

 それでも長い道中スッキリ痛みがない状態にはならなかった。消化のよさそうなリゾットをお昼に頂き、ロキソニンを飲んでからゆっくり職場に戻った。
 寒いし、雪になっても可笑しくないような冷たい雨がぱらついているし、気圧の変動もあったのだろう。
 前日は通院で一日休んでいるし、当日も自席に復活できたのは午後になってからだから、1日半分のメールやもろもろがたっぷり溜まっている。夕方から会議もあり、結局定時に帰るというわけにはいかなかった。

 夫が宴会なのをいいことに、ひとまずやっつけられるだけ仕事を済ませて帰宅したが、かなりぐったり。自分ひとりのために夕食を作る元気など全くなく、恥ずかしながらカップ麺と果物という酷い食事になった。
 週末から母も連れて息子のところに行くので、その前に、と今日仕事が終わってから美容院を予約していたが、こんな状態ではとても行けそうにないと、キャンセルの電話を入れた。
 あれこれ片付け物もあり、すぐに横になることも出来ず。ロキソニン朝昼晩に加えコデインに頼る一日となった。

 今日もなんとなく鈍痛が続いている。なんとか落ち着いてくれないと明日からが思いやられるではないか。「痛いの痛いのとんでけ~」と繰り返し自分で手あてしながら明日の支度をする金曜日の夜である。
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2018.12.12 採血・レントゲン後腫瘍内科診察、ハーセプチン205回目(3倍量再開16回目)、今年は早めに治療納め

2018-12-12 22:19:33 | 治療日記

 昨日は夫が宴会で夕食不要だったので、仕事が終わってから病院最寄り駅に近いホテルに直行した。冷たい雨降りで足元が悪い。
 行きの車内で康永秀生さんの「すべての医療は『不確実』である」(NHK出版新書)を読み始めた。帯には“「風邪に抗生物質を処方」、「頭を打ったらすぐCT」、「タミフルで異常行動」 でたらめ医療を東大医学部教授がメッタ斬り!それでも信頼できる医療とは何か?”と煽るような文句が並んでいたけれど、蓋を開けてみれば、実にもっともなことが書かれていた。

 「はじめに」で、先生が若い臨床医だったころ、21歳の乳がん患者の主治医となり、当時の標準治療をすべて施したものの全身転移により22歳で亡くなったというエピソードが語られた。忘れられない患者さんの記憶だという。臨床医から研究医に転向したのも彼女の死がきっかけになっていたそうだ。
 ということで、第1章「何が医療を進歩させているのか」から第10章「あなたはあと何年生きられるか」まで、すべての医療は不確実である、というテーマが全編を貫いていた。ビッグデータやEBM、デタラメ医療情報、食事療法、検査の有効性やがん、認知症の話題にも及び、頭の整理にとても役立った。
 早寝をするつもりが、あれこれやっているうちに、結局ベッドに入ったのはいつもどおりになってしまった。

 明け方1回お手洗いに起きるまでに5時間近く眠り、1時間ほどトロリとしてモーニングコールが鳴った。夫にモーニングLINEを入れたが、なかなか既読にならないので、心配になって電話をする羽目に。起きていたのでほっとして1階のレストランへ。昨夜の食事が軽かったのでしっかり朝食を摂り、新聞を持って部屋に戻る。朝の連続テレビ小説を視、チェックアウトして病院へ向かった。

 昨日に引き続き今日も寒い。まだ冷たい雨がそぼ降っている。日中は少し日が差すという予報だが、はたしてどうだろう。暖冬に油断していたので、まだ身体が寒さに慣れていない。知らないうちに肩が上がっているのか肩こりが酷い。通院日はやはりどうもお天気が悪い日が多い、というのはまんざら気のせいだけでもなさそうだ。

 病院に到着し、IDカードを通し、採血の受付番号を取る。前回と同じ51番。待合がそれほど混雑していないようなので、電光掲示板を見ると、すぐに私の番号が出た。急いでダウンコートやストールをエコバックに入れ、傘袋に傘を入れて採血室内に入る。今日は初めての男性技師Yさん。穏やかな口調でご挨拶される。すぐに呼ばれたのでホットパックで温める時間もなかったけれど、それほど痛まずフル検査の5本採血が無事終わった。抜針はちょっとチクリとしたのが残念。

 お礼を言って部屋を出て、止血しながらエスカレーターで2階レントゲン受付へ。こちらはまだ時間が早かったせいか受付が始まったばかり。28番の番号札を取って呼ばれるのを待つ。20分ほど待って受付を済ませ、中廊下へ移動。こちらでは5分ほどの待ち時間で呼んで頂く。今日も予定された撮影なので、ブラトップ着用で検査着は要りませんと申し出る。
 正面と左側面からの2枚。スムーズに撮影が終了して、再びエスカレーターで1階の腫瘍内科へ移動。
まだそれほど待合椅子には人がいない。席を確保してから、受付へ。月初めなので保険証のチェックもお願いして「寒いですね」とクラークの方と少し世間話してから席について読書。

 本日のお伴は堤未果さんの「日本が売られる」(GS幻冬舎新書)。こちらの帯にも「日本で今、起きているとんでもないこと。米国、中国、EUのハゲタカどもが日本を買いあさっている!日本は出血大セール中」と穏やかでない言葉が並んでいる。13万部突破ということでかなりの売れ行きらしい。堤さんの書は何冊目になるだろうか。水道民営化や遺伝子組み換え食品等の食の安全、個人情報、医療保険その他もろもろ話題満載である。

 まだ30分くらい呼ばれないだろうと高をくくっていたところ、早めに中待合へどうぞの番号が出てしまい、慌てて血圧測定も走る。119-73、脈拍は79。寒いし慌てたのでちょっと高めで、脈も速い。
 中待合い廊下で過ごすこと40分ほどで、先生がお顔を出された。

 大荷物を置く算段をしているそばから、先生から「さてお加減は?」と声がかかり、きちんと正面を向いてご挨拶する前から「おかげさまで・・・」と会話が始まった。
 先生が「ゼローダのない生活、こんなに楽だったかって感じですか、もう戻れないでしょう?」と仰る。  「はい、そのとおりです。最初は骨痛が酷くてどうなることかと思いましたが、いつもの感じに落ち着きました。まあ寒いと痛みますが」と言うと「いや~○○市はかなり寒いでしょう?」と。「先生、○○市を随分差別視しているでしょう?」と言うと、「いや、天気予報で気温を見ると、大分こちらより低いので、○○さん痛くなっていないかなあと思うんですよ」とのこと。「ええ?それは、ご心配頂き、失礼しました。確かに都心やこちらよりは寒いです。川を渡ると○度下がるといわれていますが・・・」等と冗談を交えながら会話が進む。

 「朝一回ロキソニンを飲みますが、それ以外頭痛や寒さで追加したのが3日ほど、コデインは飲まずに済んでいます。おかげさまでまだ手袋はしていますが、大分色素沈着も収まってきました。」と手袋を外して手を見せ、ニーソックスを脱いで足指、足裏も見て頂く。先生は足を見て「おお、大分普通の人の足になってきましたね」と。確かに今までは人というよりサルの手足だったなあ、と苦笑。

 さて、既にレントゲンの画像が2枚並んでPCの画面に映っている。今月と先月を見ると、素人目にはあまり変わっていないように見えるが、まあ厳しく言えば少し影が太り気味か、という程度。先生もまああまり変わっていない感じですね、というお見立て。横からの写真も同様。10月末のアリミデックスを始める前と比べても、それほど激しく影が変化しているふうでもなさそうだ(楽観的過ぎるか)。
 「アリミデックスの副作用である手指のこわばりも今のところ出ていないし、関節痛もないです。お腹の調子もミヤ錠なしで問題ありません。今月初めに職場の婦人科検診があり、乳腺超音波と視触診を受けましたが、右は異常なし、左は小さなのう胞があるが良性で心配ないでしょう、と言われました。婦人科もひとまず問題なさそうでした。結果通知がきましたら、またお持ちします。」と言うと、「それでは変わらないということで治療続行しましょう。」ということに。

 採血の結果も副作用と思われる数値は出ていないとのこと。先月下がったと喜んだ腫瘍マーカーCA15-3は残念ながらまた上がっていたけれど、「まあこうして上がったり下がったり・・・わかりませんね」といういつものパターンである。昨日読んだ新書ではないけれど、この正直“よくわからない”というのが医療なのだと思う。そしてわからないことをきちんとわからない、と言ってくれるところが、主治医の誠実なところであると私は信頼しているのだ。

 診察室での体温は6度6分。白血球は4,300。好中球は診察のタイミングではまだ出ていないということだったけれど、白血球がこれだけあれば問題ないでしょうといのこと。これにて今年最後の診察は終了。
3週間後はお正月休みなので、4週間後に予約である。月末にももう一度通院日があるので、レントゲンを月初めに、採血は月末にと分けることになった。次回は採血なくレントゲンだけ撮って診察だから、早く帰れるかもしれないと今から取らぬ狸の皮算用である。
 アリミデックスを28日分処方して頂き、それ以外はまだ予備があります、とお答えする。本当に心もとないくらい薬が少ないが、シンプルイズベストに違いない。

「どうぞよいお年を、来年もどうぞよろしくお願いいたします」とご挨拶して診察室を後にした。化学療法室に入ると、待合椅子がそこそこ埋まっていた。呼ばれるのを待ちながら夫やお友達に報告LINEしながらやり過ごす。
 本を読んでいると、しばらくして、外来でお世話になったことのある看護師さんから内の通路寄りリクライニング椅子に案内される。20分ほどして同じ方が針刺しに見えた。うーん、ちょっと痛い。逆血を確認して薬が届くのを待つ。

 それからが長かった。今日は先生に早くお会いできたので順調!と思ったけれど、化学療法室はてんてこ舞いの様子。30分以上経ってからMさんが薬をセットにみえる。手を見せ、ハイソックスのタイツを脱いで足も見て頂いた。「随分きれいになりましたね。年末はどう過ごされるのですか。」と言われる。痛みもなくなってきて時薬だな、と思う。ゼローダを中止してもう2か月近く経つわけだから。

 ハーセプチンと生理食塩水で1時間半弱。Kwさんに終了間近に血圧を測って頂くと、114-74、脈拍は69。
 抜針はKrさん。珍しく衝撃が強く、しかめっ面をしてしまった。とりあえず終了。良いお年を、とご挨拶。まだ年末年始休暇までたっぷり2週間あるのだから、去年のように隔週通院なら26日が治療納めになっていたところ。3週間に1度の通院は本当に楽である。来年からは2投1休か毎週になるか、まだ微妙だけれど、この年末年始も4週間たっぷり通院日が開く。何年ぶりだろう。部屋を出るまでにKwさん、Okさんにもすれ違ったので「良いお年を」とご挨拶して部屋を出た。

 総合受付で会計。混雑している。30分ほど待って病院滞在時間は5時間弱。採血・レントゲンと点滴の3割負担の3万5千円ほどカードで支払う。
 外は少し日差しが出て雨がやんでいる。昨日よりは少し暖かい感じである。
 薬局はあまり待っている人がいなかったし、薬も1種類になったからか、前回同様20分ほどで済んだ。アリミデックス28日分で4,000円弱をカード払い。薬剤師さんにも現況をお話しして「良いお年を」と薬局を後にした。

 病院と薬局の合計滞在時間は5時間半ほど。今日は空腹だったので、駅ビルで欲張ってスープからサラダ、デザートとお茶まで。ちょっと調子に乗って食べすぎたかなと思ったら、電車に乗る前にいきなりお腹が壊れた。とほほ。どうして何度もこういうことになるのか、我ながら学習しないお馬鹿さんである。が、気持ち悪くて食べられなかったことを思うと、ついつい美味しく食べられることの幸せに酔ってしまうのだ。その後お腹を壊すのがわかっているのに・・・。
 そんなわけで、お腹をゴロゴロさせながらこわごわと電車に乗り、途中駅でもお手洗いに寄りながら帰る始末。

 昨日と明日は夫が宴会で夕飯は不要なのだが、今日はその狭間で夕食を用意しなければならない。けれど、とてもこのお腹では私はそれほど食べられないし、端から作る元気もないし、と乗換駅のスーパーでお弁当とサンドイッチを少し買い求める。
 最寄駅に着くとまた雨が降ってきていた。両手と両肩に荷物なので、とても傘をさして帰る元気がなく、タクシー乗り場へ。折り悪く一台もいないし、数人待ち。結局、ご贔屓のタクシー会社にもあたらず、10分以上待って帰宅した。
 えっちらおっちら、生協から配達された食品を運び入れ、収納を済ませる。お腹が痛い。

 あれこれ片付けてようやくリビングに座ったところで夫が帰宅。少し休ませてもらってからお弁当とインスタントのお吸い物で夕飯を終えた。

 明日はまた都内横断の出張である。早くも残すところ今年の出勤日は10日ほどとなった。年賀状は刷りあがってきたらすっかり満足してしまい、全くの手つかず。週末は出かけることになっているし、またしてもドタバタの年末を迎えそうである。

 
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