2014年11月4日(火)
10月19日のS教会、こどもたちへのメッセージは「見えない神様の見える力」という題にした。
酸素、風、電波、磁力、思いやり、感謝、憎しみ、聖霊・・・本当に力をもつのは「目に見えないもの」だ。星の王子様にキツネが与えた教訓そのもの ~ L'essentiel est invisible pour les eux ~ である。だから、見えないけれども確かに存在するこれらのものを見る力が、僕らの強さを決めることになる。
ところが・・・
「見えているものを見ない力もありますか?」
「人間はその方が得意よ」
朝刊の社会面、福岡市の劇団が「沖縄の問題を、本土で『我がこと』として考える舞台」を目ざして上演する自作劇の一場面である。現に存在する基地を「見ない」力のことなのだろう。沖縄の人々は、この力を動員しなければ日々が送れない側面があるはずだ。いっぽう本土の人間は、この力をいわば贅沢として用いることができる。ここでも関係がねじれている。それが得意なのは人間一般か、それとも日本人いやさ本土人か。
どうも参った。
「見えない大切なものを見る力」を失うとき、「見えているものを見ない」という『魂の障害』が病識欠如の重症段階に進む。さしあたりそんなふうに言っておこう。