2014年11月21日(金)
え-っと、何か書きたいことがあったんだがな・・・思い出せない。
始まったかな
2014年11月20日(木)
「三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼い出した昔の事まで思い浮かべた。それは五年ほど前である。裏の椎の木に蜜蜂が二、三百疋ぶら下がっていたのを見付けてすぐ籾漏斗に(もみじょうご)に酒を吹きかけて、悉く生け捕りにした。それからこれを箱へ入れて、出入りの出来るような穴を開けて、日当たりの好い石の上に据えてやった。すると蜂が段々増えて来る。箱が一つでは足りなくなる。二つにする。また足りなくなる。三つにする、という風に殖やしていった結果、今では何でも六箱か七箱ある。そのうちの一箱を年に一度ずつ石から卸して、蜂のために蜜を切り取るといっていた・・・」
『三四郎』(第35回)
こんなふうにできるもんなのか。そういえば少し前の液晶ニュースで、銀座あたりのビルの屋上で養蜂が小さなブームになってると聞いた。検索したらすぐに出てきた「銀座ミツバチプロジェクト」、これはいい。
わが田舎でもできる理屈だ。柑橘類が多いから、オレンジ系の美味しい蜜ができるだろう。
問題は僕に蜂アレルギーがあることだ。心理的な話じゃないよ、蜂毒に感作されているので、刺されるとけっこう危険なのだ。ミツバチなら平気ってことは・・・ないだろうな。
「銀座ミツバチプロジェクト(ぎんざミツバチプロジェクト)は、東京都中央区銀座でミツバチを養蜂するプロジェクトであるとともに、同プロジェクトを運営する特定非営利活動法人(NPO法人)の名称である・・・・」
(http://ja.wikipedia.org/wiki/銀座ミツバチプロジェクト)
2014年11月20日(木)
久々にブログが書けて、嬉しくてはしゃいでいる。もっとも、たまっていたタネは楽しいことばかりでもない。
なぜ今、解散なのか。選挙民としては(正確に言うなら、大多数の人々が自分自身とは違った投票行動をとることを経験的に熟知している一有権者としては)必然性がまったく感じられないが、現政権のもくろみは明らかに見通せる。見え見えの話なのに、阻止する手段のないのが忌々しい。無関心、思惑と結果のねじれ、作為と不作為、不健康と不透明の塊である。
対照的に先だっての沖縄地方選の結果は、近年まれに見るほど明確至極なものだった。投票率64%強の選挙で得票率50%超、「現職の強み」を勘定に入れれ ば、数字以上のインパクトになる。勝った翁長氏の辞職にともなう那覇市長選は、同じ陣営の前副市長・城間氏が圧勝。投票率は前回39%から65%へ大きく 挙がっての結果である。
沖縄県民・那覇市民の主張はきわめて明瞭だ。政権党の幹部が「地方選挙であって、基地移転の是非を問う県民投票ではない」と苦い表情で主張したが、まさにそのようなもの「である」ことを裏書きしたようなものだ。
ただ、ね。
この結果が出たのが16日(日)、首相が衆院解散を表明したのが18日(火)である。屁とも思っちゃいないのだ。消費税値上げを先送りしておけば、あと大した対策も必要なかろう、相手は朝三暮四のおサルの集団だからと高を括っている。おあいにくさま、僕は早生まれのトリ年だもんね。それでも同じことか、三歩歩けば忘れるからな・・・
「沖縄が争点になるといいんだけどな」
「本土の人間が、いかに沖縄を大切にしていないかが分かるだけなんじゃないか」
「そうなったら独立もありかと」
「それはそうなんだ、そうなんだけどさ」
「立ちゆくかってこと?」
「そっちはたぶん何とかなるんだよ。何しろ素晴らしい立地条件だからね、東アジアのハブとしてやっていける。たださ、」
「アメリカか」
「アメリカだ」
どこかの家の、誰かと誰かの会話ってことにしておいてください。
2014年11月20日(木)
その昨日の満員電車の中で・・・
閉塞感は相当苦手な方で、これまでパニック発作も起こさずにきたのが不思議とも思われる。それが突然、奇妙な感覚に襲われた。
満員の乗客ごと、列車が孤立して海の底だか宇宙空間だかに放り込まれる。
出口なし、no way out
そのときまったく別の方角に、すっと口が開く。
内部というのか、頭上というのか、
閉塞された身体から、中身が異次元に出て行く。
中身ってなんだ?
異次元ってどこだ?
「ここだ」と呼ぶ声がする・・・
2014年11月20日(木)
戻って昨日のこと。
階段を降りきって驚いた。朝の目黒線ホームに人が溢れている。並んだ人々の最後尾がホームの反対側まで伸びて、その背後にぎりぎり一人が歩ける幅しか残っていない。さすがに珍しいほどの混雑である。三田線の列車故障の影響だとアナウンスが言い訳している。
10分遅れで到着した電車は駅ごとに発車遅れを加算して、溜池山王では25分遅れである。この間、身動きままならぬ車内で30分余りの棒立ちを強いられ、降りた時には膝が固まっていた。こういう時に年齢を感じるのだ。歩いてほぐしながら千代田線のホームに移動したら、千代田線がこれまた遅れだという。こんなことは珍しいが、遅れ自体は毎日頻繁に起きているし、実感として確かに頻度が増している。増す理由があるのだ。
以前は鉄道会社ごとに分離されていた私鉄・地下鉄が、ここ10年ほどで(?)飛躍的に相互乗り入れを進めた。便利なようで大きな不便を生じるのは、前にも書いたとおり。埼玉で起きた小さな事故が、規模を増幅しつつ東京を跨いで神奈川まで波及する。局地的な乱れを吸収するどころか、拡大・発散する厄介な特性 ~ ポジティヴ・フィードバック ~ をこのシステムは必然的に備えている。情報理論の専門家ならたちどころに指摘したはずのことだが、そうした検討は事前に為されただろうか?おおかた、相互乗り入れ促進による利便性の向上と経済効果が強調され、副作用は(不当に)軽視されたのだろう。
この主の「波及的混乱」は、現場の鉄道マン達には相当の負荷になっているはずである。対応に追われる物理的・経済的費用ばかりでなく、精神的ストレスが耐えがたいのではないかしら。そのことをトップは予測したか、配慮したか、それを問いたい。いずれ見直さねばならない時が来るはずだ。
僕にとってもストレスフルである。満員電車の棒立ちなどはエクササイズと割り切るけれど、ちゃんと定刻に家を出たのに、着いた先では最初の患者さんを30分待たすことになった。
これは、不快きわまりない。