2014年11月6日(木)
三四郎はこの表情のうちに嬾(ものう)い憂鬱と、隠さざる快活との統一を見出した。その統一の感じは三四郎に取って、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である。三四郎は握りを把ったまま、 - 顔を戸の影から半分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自己を放下し去った。
「御這入りなさい」
女は三四郎を待設けたようにいう。その調子には初対面の女には見出す事の出来ない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、こうは出られない。馴々しいのとは違う、初から旧い相識(しりあい)なのである。同時に女は肉の豊でない頬を動かしてにこりと笑った。なつかしい暖味が出来た。三四郎の足は自然と部屋の内へ這入った。その時青年の頭の裡には遠い故郷にある母の影が閃いた。
(第26回、三の十二)
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少し前に『13デイズ』を観た。キューバ危機の際の米大統領周辺を描いたもので、あらまし分かっていたつもりだったが、ソ連の船団が引き返してから後にこれだけの厳しい緊迫があったことを忘れていた。
作戦本部では、国務長官と軍司令官の間にしばしば激しいやりとりが起きる。
「戦争だって?あなたは分かっていない。これは全く新しい事態だ。このようにして(と国務長官が巨大な作戦地図を示す)大統領と第一書記が会話しているのだ。これはコミュニケーションだ!」
不正確だがだいたいそんなふうだ。僕はまたしても碁のことを考えた。碁の別名に、中国語で「手談」というものがある。着手を通して対局者が語り合うというものである。確かにそうなのだが、この側面を識って楽しめる者は別して少ない。また一方がそのつもりでも、相手が耳を貸さなければ「手段」を楽しむことはできない。碁敵を貴重とする所以である。
現在の米国とイスラム国の間に、果たしてKK(ケネディ/フルシチョフ)間のようなコミュニケーションの成立する余地があるかどうか。オバマ民主党が両院で敗北したと朝刊一面、これはむしろ内政面での失望の表れだろうけれど、代わって登場する共和党政権は外交面でもオバマの慎重姿勢を崩すに違いなく、そのことが相手側には端的に「米国民の総意」として伝わることになる。手談のねじれ?ねじれなら良いのだけれど。
冷戦終結以来、これほど不気味な日々はあまり記憶にないように思われる。コミュニケーションの空白がもたらす不気味さだ。
碁敵は憎さも憎し懐かしき