散日拾遺

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「おらぶ」

2014-11-17 20:17:35 | 日記

2014年11月17日(月)

 早くも一昨週の土曜日になるが、都内の学習センターで修論ゼミを開催した。北海道と青森、福岡と広島、遠隔地から院生が集まってきて、いつもながら熱気が室内に充満する。

 福岡のSさんは「聞き書き」の分析が大詰めを迎えている。自分の人生など語るに値しないと、事実つらいことの連続であった70年、80年を語って聞かせた高齢者たちが、できあがった記録を贈呈され目を細めて喜び、これは自分の宝だと異口同音に愛おしむ。

 言葉の力、人間の不思議である。当然のこととして、ある宿題が僕に降ってくる。

 

 パワーポイントで示された聞き書き記録の一部に、「おらぶ」という言葉が出てきた。

 「博多でも『おらぶ』と言うんですね」

 「言います、普通です。」

 「広島は?」

 「ありますけど、若い人、特に女の子などは言いません。」

 「Perfume は?」

 「いわない、いわない」と笑いが起きる。

 「『おらぶ』って、何ですか?」と千葉出身者。

 「さけぶ」「わめく」と口々に答える。そういうことだ。

***

 辞書で確かめてみる。

【喚(おら)ぶ】〔四国・九州方言〕さけぶ。「子どもが ー 」

【叫ぶ・哭ぶ】 大声でさけぶ。わめく。「後れたる菟原壮士(うないおとこ)い天仰ぎ ー び」(万葉集1809)

 上はサンコク、下は大辞林、またしても特徴がくっきり分かれた。今度は痛み分け、足して一人前というところかな。方言のことも、古典の用例も、ともに捨てがたいからね。古語が中央で消え、方言に残るのは例のごとくだけれど、もともと西日本の言葉ではあったのかもしれない。

 菟原壮士は固有名詞、菟原処女(うないおとめ)伝説に登場する。津の国(摂津)生田川あたりに住んでいた菟原処女が菟原壮士と血沼壮士(ちぬおとこ)の二人に求婚され、どちらとも決めかねて川に身を投げる。真間手児奈(ままのてこな)の関西版だ。ともに万葉集に詠まれている。というか、高橋虫麻呂らが双方を詠んだのだ。心やさしい乙女の同型の物語が、西にも東にもあったんだね。

 手児奈のほうは千葉・市川の市川真間がその舞台で、手児奈堂という小さな祠のようなものがあったのを、大学教養部の帰りに訪ねてみたりした。二人の求婚者の描き分け、その社会的背景の対照などは、菟原処女伝説の方がシンプルですっきりしている。墓と称するものが、神戸市の灘区・東灘区などに数箇所あるようだ。

 行ってみようかな。

 


「みだりにとなえる」(続き)

2014-11-17 07:37:17 | 日記

2014年11月15日(日)

 例によって、各国語がどう訳しているかを見てみる。各国語といったって、いろんなバージョンがあるわけだから、その国語を代表する訳とは言えないわけだけれど。

 You shall not make wrongful use of the name of the LORD your God, for the LORD will not acquit anyone who misuses his name.

(NRSV)

 

 Mißbrauche nicht den Namen des Herrn, deinesGottes, denn der Herr wird heden bestrafen, der das tut.

(Die Bibel in heutigem Deutsch)

 

 Tu ne prendras pas le nom de l'Éternel, ton Dieu, en vain; car l'Éternnel ne tiendra pas pour innocent celui qui prendra son nom en vain.

(La Sainte Bible, Société Biblique Francaise)

 

 う~ん、そうなの?

 misuse(英)、mißbrauchen(独)、prendre en vain(仏)、話はかみ合っている。「間違った使い方をしてはならない」というのだ。「間違った使い方をする」は、さしあたり感情や避難の色合いを含まない冷静な表現だろう。「みだりに」もその系列にきれいに収まっている。

 slander はどこへ行った?熱情的とも言いたいような激しい難詰の調子は?

 

 ひょっとして七十人訳からの転訳の影響かとも思うが、仏聖書協会版は表紙にわざわざ「ヘブル語・ギリシア語原典から(直接)訳出」と注記してある。

 う~ん・・・