2015年6月22日(月)
もう一ヶ月以上前になるが、5月16日(土)の朝刊に、「松江城天守が国宝に指定された」という記事が載った。地元関係者が店主の前で万歳している写真付きで、地元にはさぞおめでたいことに違いない。
「防御を重視した中世の山城を捨て、城下町の中心たるべく平山城を選択したところに歴史的意義」云々と書かれている。それでということか、いちおう城山はあったが登るのは小学生にもさほど苦でもなく、内中原(うちなかはら)小学校でも写生大会などの際には、学校から出かけていった。空き地に事欠かない城山一帯は小学生の格好の遊び場で、そこから西側に坂道を降りきったあたりに僕の家があった。
松江城の天守には、確かにいくつかの特徴があって、そういうことを丸覚えに覚えるのは小学生の特技のようなものだったが、今記憶に残っているのは「千鳥破風」と呼ばれる特有の破風形式だけである。むしろ銃眼や石落としなど、どの城にでもあるあたりまえの仕掛けが、子供心にはむやみに面白かった。城内だか附属だかの博物館には、確か雷電為右エ門の肖像があったな。生涯成績が254勝10敗というとてつもない強さで、相撲史上最強ともいわれる。信濃の産だが、松江藩主・松平治郷(いわゆる不昧公)のお抱えだったので、松江に肖像があったんだね。
僕は松江の思い出が決して良くはなく、自分が住んだ土地でここだけは再訪したいと思わなかった。しかし最近になって違った気持ちが湧いてきている。思い出したくもない経験をずいぶんしたけれど、今になってみればそれこそが自分を育ててくれたようでもあって。
「地獄に至る道は善意で敷きつめられている」とは、サムエルソンの経済学教科書で学んだ金言である。確かにそれに近いことをときどき経験したが、その逆 ~ 悪意や邪心がかえって自分に大きな幸いをもたらすことは、数倍も多く身に降ってきたように思われる。
だからさ、全てを与えられるままに受けるのだ。本当に自分の為になることを正しく選べるほど、僕は人生に通じていない。