散日拾遺

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頚の痛みが伝えること / 人気作家の不可思議 / 1995年の全力疾走

2015-06-28 16:26:05 | 日記

2015年6月28日(日)

 自然という根から切り離されれば、種としてのヒトは早晩滅びる。

 必ず滅びる。

 

 そのことを分かっているつもりでも、自然から切り離された生活に ~ ということは、とりもなおさず人工的で奇形的な快楽に満ちた都市生活に ~ 順応するにつれ、次第に実感が薄れていくものである。ヒトはよくせき自分にとって良くないものに惹かれるようにできている。パウロ先生の慨嘆は、必ずしも霊的な問題に限ったことではない。あるいは、霊的な問題とはこのことなのだと論をひっくり返しても良いか。

 左の頚から肩にかけて、ただの凝りとは違ったひどく不快で鋭い痛みがあったが、半日の労働であらかた消えた。

 

***

 

 金曜日の夕に生じたこの痛みの理由が当座は分からなかったが、土曜の朝の移動中にふと思いあたった。

 君だよ、青年。僕は君に対してものすごく腹を立てていたのだ。

 君が先週来られなかったのは仕方がないし、それは理解すべきことであって腹を立てることではない。ただ、君はその理由として自分に都合の良いことしか言わなかったよね。君のパートナーが悔しげに語ったことが、そのまま事実であるかどうかは分からない。しかし君はこれまでも、つらい症状と闘う自分のつらさを語ることには熱心だが、パートナーに対する八つ当たりや子供じみた acting out、それに対するパートナーの嘆きなどを自分からうちあけたことは、一度もなかったよね。

 そういう君の怯懦と不誠実、内省の欠如に僕は怒っていたのだ。

 日本の大概の診察室と同じく、僕は自分の左側を君に曝して机に向かっている。椅子を回しながら、君と正対し、またカルテへ向き直る繰り返しがいつもの有り様だ。しかし昨日は、僕はどうしても君に正対する気持ちになれなかった。治療者としての僕の未熟・・・なのだろうね。

 ただ、いつも伝えてきたとおり、診療といえども(あるいは診療であるからこそ)、そこに約束がありマナーがある。そして君が自身の健康度の高さに自負をもち、今の社会的野心をもちつづけるのであるなら、君は君自身の治療の不可欠の主体として約束を守るべきなのだ。

 守っていない。そしてそのことに言及もせずすり抜けようとする君に、僕は猛烈に腹を立てていた。まさしく君の顔など見たくもなかったのだ。むろん、そんなことではいけないという反省があり、葛藤がある。それがこの痛みの原因だったのだね。

 

***

 

 百田という人に大きな不思議がある。

 『海賊と呼ばれた男』は実に傑作だ。『永遠のゼロ』は読んでいないが、『海賊』については文句なく絶賛する。その同じ人物の発言が物議を醸している。その内容たるや、なるほど聞き捨てならないのである。

 もっとも、「沖縄の新聞二社はつぶすほかない」という発言の方は、実はあまり気にもしなかった。そんなことできるわけないし、皆が放っておかないからね。案の定、「憲法の精神を踏みにじる」云々と十字砲火を浴びている。それより僕が聞き逃せなかったのは ~ インターネット情報が正しいとしての話だが ~ 米軍基地がもたらすある種の迷惑に抗議する住民の声に対して、「気持ちは分からないでもないが、基地があると承知でそこに住んだんでしょ」という趣旨の発言をしていることだ。

 これはですね、農村地帯に家を建てて越してきた都会の人間が、「草刈り機がうるさい、農薬が体に悪い、豚が臭い」などと放言する時に、それをたしなめて言うことだ。「農民はずっとそのようにして生きてきたんです。後から越してきたあなたは、先住者の権利を尊重すべきだし、そもそも承知のうえで越してきたんでしょ?イヤならお米は食べないことですね・・・」

 だから沖縄の住民は、そっくり言葉を返すことができる。「琉球人は太古の昔からここに住んできた。明治以降にやってきた日本人、1945年以来我が物顔にそこを使っているアメリカ人こそ、生身の人間がそこに先から住んでいる事情を御承知あるべきではありませんか」と。

 

 僕が分からないというのは、『海賊と呼ばれた男』に描かれた硬骨漢は、まさしくそのように不当に虐げられた者たちの、不撓の反骨精神を代表する人物であることだ。国際秩序の名の下に石油資源を私する英米に公然と挑戦し、虎の子のタンカーをイランへ派遣して見事に原油を積み戻った実在の人物、日本人よりもイラン民衆に深く覚えられた野の英雄が『海賊』である。ところが百田氏自身の一連の発言は、「海賊」と重なるどころか、これに敵対した権力者たちの似姿としか思われないのだ。

 作品と作者とは別もの、そういうことですか。

 

***

 

 1995年の選抜高校野球、香川代表の観音寺中央高校が初出場初優勝を遂げたのだね。僕はアメリカにいたのでその快挙に気づかずにいた。阪神淡路大震災直後の大会で開催すら危ぶまれ、香川のチームだから被災した子も多かったのだ。

 彼らがファンを魅了したのは、「どんなときにも全力疾走」のマナーだったという。20年後に初めて知りました。

 あっぱれ!