2017年3月7日(火)
午後からA君のクリニックへ出かける日、最寄り駅に着いたのがいつもより1時間ほど早い。常はタクシーを使うところ、試しに歩いてみたら20分余りであっけなく到着した。もっと距離があるように感じていたが、2kmほどである。風にかすかに潮が香って海の近さが分かるなど、やはり歩いてみるものだ。旅先でいろんな歩き方をしてみたが、中でも気に入っているのは1982年春にドイツはリュベックの城壁に沿って、街を一周してみたことである。古代ギリシアのポリスなんぞと違い、中世の都市は近隣の農村との相互依存を前提として成立するから、案外小さいのだと何かで読んだ。その小ささを感じてみたかったのが一つ、もう一つの理由はトーマス・マンだった。
歩いてもうひとつ得したこと、懐かしい筒型の郵便ポストに出会った。たばこ屋さんの前にあるのも良く、たばこ屋さんにはジュンペイ君が大好きなホーロー看板が出ている。
遠くから・・・ 近寄って・・・ ごあいさつ!
だいぶくたびれている?などと言ったら「なにをっ!」と睨まれそうな存在感があるでしょう。嬉しいのはどうやら現に使われているらしいことで、集配時刻がちゃんと書かれている。ハガキがあったら出してみたかった。次回のお楽しみか。
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マラソン好きのA君は2月26日に東京マラソンを走ったところで、夕食はずっとその話になった。第一回大会の頃は僕もちょいちょいハーフなんぞを走っていたが、東京マラソンに応募する気になれなかったのは、石原都知事(当時)のやり方が腹に据えかねたからである。長い歴史のある青梅マラソンが例年この日と決めていた二月の日曜日に、東京マラソンをかまわずぶつけ、青梅マラソンのほうが日程を変更せねばならなくなった。あの御仁らしい傍若無人ではある。先の記者会見でも健在だった。
「でも、死ぬまでに一回は走ってみたら」とA君。東京マラソンは制限時間が7時間だから、大半歩いて一部走るだけでも十分間に合う。現に完走率は96%とフルマラソンでは異例の高さ。東京の目抜き通りの車道の真ん中を、堂々闊歩する気分が最高だというのである。なるほどいいかもしれない。青梅の30kmは制限時間が3時間20分で僕は3時間10分ほどもかかり、ゴール直前では沿道から「そこ、止まるな、止まったら間に合わないぞ!」と声援をもらった。ジョグウォークと初めから決めれば、別の楽しみ方があるかもしれない。
2017年3月8日(水)
会議前にうちあわせあり、事務担当者来訪。ついまたクセが出て・・・
「つかぬことを伺いますが、群馬県の御出身ではありませんか?」
「私は千葉ですが、父方の先祖が群馬と聞いています。」
やっぱりそうか。これまでこの姓の人に3人出会ったが、すべて群馬県の出身者だった。ただ、かねがね分からないことがあると思っていたところへ、
「家の伝説では、真田氏の家来だったとか申します」
「あ!」
なぜ気がつかなかったんだろう、それでつながった。分からなかったことというのは、『日暮硯』の著者・恩田木工(おんだ・もく)の存在で、彼は松代藩の家老つまり信州人である。松代藩は酒井氏・松平氏に続いて1622(元和8)年に真田信之(幸村の兄)が入り、真田氏が領して幕末に至った。もともと上州沼田に本拠のあった真田氏だから、家臣の恩田姓が群馬と長野にまたがって存在して何の不思議もない。
おかげで朝からすっきりした気分である。
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