散日拾遺

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『日本語』上下弐百円也

2017-03-23 20:55:11 | 日記

2017年3月23日(木)

 いつもより仕事が早く終わり、まだ明るいうちに神保町の通りを歩く楽しさ。古本屋の店先の「どれでも100円」コーナーに金田一春彦の『日本語』(岩波新書)、上下2冊が輪ゴム止めで出ている。この200円は価値がある!10分前に駅前の文房具屋で、プラスチック付箋290円、紙の付箋セット350円というので、買うのを止めたところだった。古本屋のあるのが神保町の良さ、神保町のあるのが東京の良さである。

 電車の中でさっそくページをめくると、M.ペイなる言語学者の説として「母音の多い言葉ほど美しく聞こえる」というのがあり、それが本当ならペイ自身が言うとおり、日本語は世界諸言語の中で一二を争う美しい響きがあるはずだという。ただ、実際に日本人が話しているのを聞いてもあまり美しい感じを受けない、雑音が多くて澄んだ感じがないが、これは日本人の発声が悪いのだろうと金田一説。それでかな、TVの囲碁番組でマイケル・レドモンド九段の解説を聞いていると、明晰であると同時に非常に美しいのである。相撲解説で旭天鵬(現・大島親方)の語り口を聞くのもこれに近い楽しみがある。彼らのように美しく日本語を話せたらいいだろうな。

 そういえば今日は診察の合間に、M保健師が「神(じん)」と書いたメモをそっと示した。「どこの姓だかわかります?」と、お株を奪って訊いてくる。「わからない、どこ?」「青森だそうですよ」と教えてくれた。「神(こう)という人に、大分で会ったことがあるよ」「日本の北と南って、意外に似てません?」等々、この種の話はタネの尽きることがない。

 そこへやってきた患者のSさん、「自分、仕事は速いんです」と自慢する。5時半に帰ろうとすると「おまえ仕事速いな」と課長が言うので、「私が普通で皆さんが遅いんです、牛のヨダレみたいにダラダラやってたってしょうがないでしょ」と言ってやったんですよと。「牛のヨダレ」には笑った。なるほどこれぐらい典型的にダラダラ垂れるものもなく、言い得て妙であるけれど、牛というものを知らない人には面白くもおかしくもないだろう。とはいえSさんは東京育ちの40代で、牛の実物を見たことあるかどうか怪しいものなのだ。

 「親父がよく言ってたんです」とSさん。すると「私もよく聞きましたよ」とM保健師、こちら北海道育ちだから牛はよく御存じか。僕は聞いたことがあるようなないような、しかし幸い「牛のヨダレ」と聞いた途端に爆笑するほどの近さを、少なくともイメージの内にもっている。どの地方というより、牛を身近に感じる地域/人々には通有の表現かもしれない。

 それで思い出したが昔父が帰宅して笑うのに、ある上長が部下の説明のノロノロブツブツ要領を得ないのに癇癪を起こし、「田舎のばあさんがマメ食うみたいな説明しかできんのか!」と怒鳴ったのだそうだ。叱られた若者は「田舎のばあさんがマメを食べる」風景を思い描きもできず、ひたすら当惑している。田舎育ちの父は雰囲気を理解するものの、こんな表現は初めてでもありおかしくもありで、実に困ったというような話だった。

 「田舎」「ばあさん」「豆」のいずれも明晰かつ具体的であるのに組み合わせがひどくユニークで、どこの地方の表現だったのだろうかと今に至る謎である。

  

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