散日拾遺

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ぜひもなし あはれあっぱれ ありがとう(桃蛙)

2017-08-03 08:21:27 | 日記

2017年8月2日(水)

 1日の朝、グッピーの稚魚は確かに6匹いるが母魚の姿がないと家人。よく探すと、隅っこの水の底に静かに横たわっていた。小さな弱い動物だが健康度はあらまし分かるもので、昨日は元気に泳いでいるように見えたのだけれど。そういえば、お尻のあたりから白い糸状のものを引いていたっけな、それに雄ほどは餌を食べなかったようだ。稚魚は見るたびに大きくなっている。是非もなし、あわれあっぱれありがとう。

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 勝沼さんからのコメントに従い、「バニラエア車椅子搭乗拒否騒動」当事者木島さんのブログを拝見(http://www.kijikiji.com/self/vanilla.htm)、なるほどびっくり驚いた。

 勝沼さんの驚きのポイントは「実名で罵詈雑言を送っていた人が何十人もいた」ことである。確かにそれもそうで、「名前」とか「恥」とかに関わる感じ方が変化している徴候だろうかと思う。(「自分だって実名でブログに私的なことを曝してるだろう」って?それはちょっと違うんですよ、内田樹センセにならって言えば、ここに示すのは決してナマの僕自身ではないんですから。人一倍恥ずかしがりです、はい。)

 同時に僕が素朴に驚くのは、批判的なメッセージの多さ(応援メッセージ35 vs 批判的メッセージ128)、そしてその口汚さである。まさに「罵詈雑言」、批判などというものではない。「いいね!」の裏というのは、このあたりのことだろうか。「これからネットの世界はどうなっていくのか。。。」それ、それな。

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 別のところで質問されたので念のため、「される」敬語がすべていけないなどと言ってるのではない。ちょうど先週末の外出時、電車を降りようとした女性のスカーフがはらりと肩から落ちた。座っていた別の女性が素早く拾いながら「落とされましたよ!」と声をかけ、持ち主の手に戻るまでものの2秒、愚鈍な僕には眩しいようなファインプレイである。こういう時の「される」表現は的確簡便で実用性が高い。

 そういうハンディな表現なればこそ、重々しく構えたいときにはかえって不適ということがある。かしこきあたりの方々が被災地を訪問され(ここは「され」でもまあ良いとして)、避難所の人々に「直接質問されていました」では美しからず、「直接質問していらっしゃいました」が良いでしょうと言ってる、それだけのことである。

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 電車の話が出たついでに、「韓国語Ⅰ」の単位認定試験のこと。発音と基本語彙でつまらない間違いをしてパラパラと失点、その昔の英語のテストでも失点するのは発音・語彙・文法などのトリビアと決まっていて、結局何語をやっても同じなのねと苦笑した。昨今は駅名表示に日本語・ローマ字とあわせて中国語・ハングルを示すところが多いから、ちょい勉の材料には苦労しない。それは分かっていたが、ある駅で「あ!」と額を叩いた。

 롯폰기잇초메 六本木一丁目である。1字めと4字目のㅅが終声(パッチム)として働き、「っぽ」「っち」という促音便(韓国語では濃音化)を表している。ㅅは独立子音としては s だが、パッチムでは ㄷと同じく t の音価、しかも表記する場合には 롣 とは書かず 롯 になる。失点の一つはこのことに関わっていたんだから、試験に行く道でもう少しマジメに駅名を眺めていればよかった。

 次の駅は 아자부주반 麻布十番、この表記だと「アヂャブジュバン」になってしまうが、これより近い表記法はないのだろう。某女子大のフランス語授業で、はるばるフランスからやってきた講師の発音が「アザブジュボン」としか聞こえないのを学生らがおかしがっていたっけ。そういえば韓国語には鼻音やリエゾンが多くあり、フランス語に似ているといえなくもない(「東洋のフランス語」と誇らしげに語った韓国人がいた)。ただ、2ヶ月余りもさんざん教材付録のCDを聞いた印象では、韓国語の身上は歯切れの良さとリズムにある。「オットンケ?(どのように?)」などという言葉は発音するだけで何やら楽しい。翻って日本語の和やかな開放性とか流麗とかいったものが、あらためて愛おしくなるのである。

 この美しい言葉を、罵詈雑言で汚したくはない。

Ω