散日拾遺

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8月6日の小樽訪問

2017-08-06 10:31:42 | 日記

2017年8月6日(日)

 I 先生、T先生の合同ゼミに加えてもらい、6時間しっかり脳に汗をかいた。読みでのある本を総がかり分担で通読するという毎夏のお祭り企画で、今年は懐かしくもイリッチの『脱病院化社会』である。原著が1976年、日本語訳は1979年の刊行、1981年に購入したものが手許にあったのも御縁、学生時代に戻る気分を半日楽しんだ。

  

 夜は夜とて、条理明快な(!)札幌の街を13丁歩いて懇親会に加わり、宿に戻った時は 14,000歩に達した。3月下旬に東京都内を15,000歩あるいた日も両先生との神楽坂で、この顔ぶれは歩かされることに決まっているらしい。心地よい12時間、参加者一同の相互の信頼感が最大の勝因に違いない。

 明くれば8月6日、今年この日の8時15分は札幌の宿で手を合わせた。広島市の松井市長が「絶対悪」という言葉を繰り返し、日本国憲法の精神に則って核廃絶を推進すべきことを訴えると、ここぞとばかり安倍首相の表情が長映しに映された。市長の言葉を聞き終えて朝食に降りる。食堂のTVは首相のスピーチを伝えるところ。いちばん遠い隅に座って、ゆで卵の殻を剥いた。

 市長も言及した通り、今年のこの日は核兵器禁止条約が国連で可決承認後、初のヒロシマである。歴史的とも言える一里塚に影を落とすのは、他ならぬ日本政府がこの条約に反対票を投じた事実だ。中国のように棄権に逃げることすらせず、はっきりと反対した。これは世界をまずは驚愕させたことだろう。驚愕の後に続くのは、核廃絶を望む人々の失望と憤り、立場を問わず大方のウォッチャーの苦笑と軽侮、そして日本の外交姿勢に対する辛辣な評価ではあるまいか。

 チャンネルを変えると、日曜朝の関口さんが額に大きなへの字をつくっている。「このことについては、誰に対しても、何の遠慮も要らないと思うんですが…誰に遠慮してるんだか。」

 もちろん、遠慮の相手は天下周知。被爆者の切なる願いと憲法の要請、国際社会の期待と日本国民の矜恃、歴史の教訓と法理法論、それらすべて擲(なげう)ってもアメリカの歓心を買うことが何より大事と、世界に表明したに等しい。こんな卑屈な政府をどこの誰が尊敬するか、他ならぬアメリカに完全にナメられているだろう。道義ばかりを言うのではない、自らの価値を自ら下げ国益を損なうこと甚大だというのである。

 同時に知った一つの光明は、国連事務次長の中満泉(なかみつ・いずみ)氏が核兵器禁止条約の締結に向けて尽力したとの報。一人の女性の国連での働きが一億人の勲章となること、緒方貞子さんの例が思い出される。いっそうの活躍を心から願う。

 ところで wiki の核兵器禁止条約の記事を見ると、記事(の一部)に関する削除の経緯が載っている。そのこととも関連するが、この重要な条約には外務省など官公庁による公式の翻訳が存在しないのだそうだ。それがどの程度異常なことなのか僕には判断できない。ただ、条約の存在を無視ないし否認したがる人なりグループなりの意向をそこに読むのは、さほど的外れではないように思われる。

***

 北九州の帰りには小倉に寄ったが、札幌の帰りはどうしようかと思っていたら、昨夜懇親の面々から小樽を勧められ、ありがたく従うことにした。10時ちょうど札幌発、敢えて各駅停車に乗ってみる。博多から50km余の小倉は、新幹線で20分弱だった。札幌・小樽間は30kmばかりだが、鈍行で40分以上かかる!「国土を広く使いたいなら、交通機関の速度を抑えよ」という例の理屈を思い出し、広い北海道をなおさら広く感じたものだ。

 札幌を出て、桑園、琴似、発寒中央、発寒、稲積公園、手稲、稲穂、星置、星見、銭函 、朝里、小樽築港、南小樽、そして小樽。北海道の地名は実に面白く、多くはアイヌ語に由来するのだろう。それに漢字を当てる際の工夫や思い入れも偲ばれる。琴似は雅、発寒(はっさむ)の確信犯的な重箱読みが痛快。ネットで検索するに琴似は「コッ・ネ・イ」(窪地)、発寒は「ハチャ・ペッ」(桜鳥/ムクドリの川)とある。そもそも札幌は「サッ・ポロ・ペッ」(乾いた大きな川)、小樽は「オタ・オル・ナイ」(砂浜の中の川)だと。朝里や星置もアイヌ語由来だが、具体的には諸説あって定まらないそうだ。促音(ッ)で終わる単語が多いことは、韓国語のパッチムを連想させる。

 銭函(ぜにばこ)はこれらと違い、「ニシン漁で栄えた時代には各家庭に銭箱があったという伝説があり、そこに由来する」ことに一応なっている。ただ、これは眉唾と睨んでいる人が少なからずあるらしい。昨夜の懇親会後半の店の名(銭函の風)にも使われ、訊けばオーナーが銭函という土地を殊の外お気に入りなのだそうだ。その銭函でランナー姿の人々などが大勢下車して車内が空いた。このあたりから線路が海岸線に沿い、窓から見える海の色が深く澄んでいる。

 

 札幌市内でも感じたことだが、車中に外国人が非常に多い。白人も混じっており、空港の表示にはロシア語が併記されているからロシア人も来るのだろうけれど、断然多いのはアジア人である。それも出身の多彩なこと、アジアの広がりと奥行きを感じるようだ。

 中国語で話す両親の横で、幼い姉妹が訛りのない英語で喧嘩している。中国出身アメリカ在住というところか。父親が百円玉を一枚取り出し、もったいぶった仕草よろしく、コインがどちらの手にあるか当てさせるゲームを始めた。それでめでたく喧嘩はお預けである。不安げな表情でスマホをいじっていた長身の白人青年が、琴似で乗り込んできた日本人の若者と落ち合うや、別人のような笑顔になった。これら車内風景を見守る笑顔の紳士あり、サンダル履きのラフな出で立ちだが、結構な地位にある人が休暇で緩んでいる風情で、表情に渋みがある。断言できないけれど、この御仁も日本人ではない感じ。

 小樽は気もちよい街で、運河沿いの道や広々とした港湾、ガラス工房などを2時間あまり散策した。スケジュールに余裕のある T先生は、今頃アイヌ資料館だろうか。以前から行きたいのだが、札幌から遠くて一日がかりになるのである。羽田へ戻る機内で出された飲み物の紙コップが可愛らしい。写真を撮っていたら同じぐらい可愛らしいCAさんが、「よろしければ、お持ちになりますか?」と未使用のを一つ分けてくれた。強い陽射しで、いつになく暑い窓際席だったが、差し引き得した気分である。

      

 

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