散日拾遺

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檀那(旦那)の語源

2019-05-07 08:12:16 | 日記
2019年5月7日(火)
 まるっと転記:

 檀那(旦那) ・・・ 仏教後由来のことば
 古代インドからやがて西洋に、東は日本にまで伝わった言葉の一つ。サンスクリット語のダーナが源。それがラテン語の donum(贈り物)になり、英語の donor, donation などに至る。
 檀那もドナーも、その人にとって最も大切なものを人に施す。人によりそれは金銭であり、自身の臓器である。「与える」ことは、民族を超えて、普遍的な行為とみなされてきた。
鷲田清一『折々のことば』1454 より
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 「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」(使徒言行録 20:35)

 Omnia ostendi vobis quoniam sic laborantes oportet suscipere infirmos, ac meminisse verborum Domini Iesu, quoniam ipse dixit: "Beatius est magis dare quam accipere!" (Actus Apostolorum 20:35)

 πάντα υπεδειξα υμιν ότι ούτως κοπιωντας δει αντιλαμβανεσθαι των ασθενουντων, μνημονευειν τε των λογων του κυρίου Ιησού ότι αυτός ειπεν: μακαριον έστιν μάλλον διδοναι η' λαμβανειν. (ΠΡΑΞΕΙΣ ΑΠΟΣΤΟΛΩΝ 20:35)

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 日本語の「あたえる」にはどんな由来があるかと、愛用の古語辞典(小学館)をめくって目を疑った。「あたふ」の項には自動詞「能ふ」があるだけで、他動詞「与ふ」が載っていない。「与ゆ」の見出しも見あたらない。そんなことがあるかと目をこすって見直すが、やっぱりない。ちょっとした怪奇である。
 同じ小学館のデジタル大辞泉に下記の説明があり、それはそうに違いないが、知りたいのはそのまた古い源のことである。「能ふ」と「与ふ」が同じ音であるのも偶然のはずがなく、何事かを為す能ふのは、そのような力を与ふものの恩寵によるといった、原初の淵源があるに違いない。

 「底知れぬ井戸を降りていく」 (T. Mann) ような目眩の感覚。

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 あた・ふ[ハ下二]
 1 自分の所有物を他の人に渡して、その人の物とする。現在ではやや改まった言い方で、恩恵的な意味で目下の者に授ける場合に多く用いる。「子供におやつを―・える」「賞を―・える」
 2 相手のためになるものを提供する。「援助を―・える」「注意を―・える」
 3 ある人の判断で人に何かをさせる。
 4 影響を及ぼす。
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