散日拾遺

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一夜明けて

2019-05-25 10:52:00 | 日記
2019年5月25日(土)

> 相撲協会に抗議電話殺到
 それはそうだろう。

> 湊親方は「ビデオでは蛇の目とかかとの隙間は見えない・・・」
 いんや、よく見えてましたよ。ビデオ映像を御自分で確認なさいました?

> 湊親方「目の前が正しい」物言い付けた放駒親方の目を重視
> 勝負審判の湊親方(元幕内湊富士)は「ビデオ室は足がついていないような話を
> していた」と明かし、ビデオ室は軍配通りを“支持”したという。ただ最終的に決め
> るのは審判員の目だ。
 こういうことは約束事なので、相撲の判定に関しては「目の前の肉眼」を重視するというのであれば、それはそれで結構。ただ、それならビデオ判定など止めにすることだ。
 
***

 気になるのは、「ビデオ判定」というものがAIまがいの「機械による判定」と混同されていないかという点だ。「ビデオ判定」は「ビデオ映像を用いたビデオ室スタッフの判定」であって、判定するのはあくまで人間である。つまり「ビデオという眼鏡をかけてよく見よう」ということにほかならない。
 それが導入されたきっかけに、あの偉大な大鵬の連勝を止めた歴史的な誤審があったことを、よもやお忘れではあるまいに。あの時も、「目の前で見ていた」千賀ノ浦審判の物言いが通り、行事の正しい軍配が愚かしくも覆された。1969年春場所、今からちょうど50年前の悲劇である。
https://www.news-postseven.com/archives/20150612_327988.html 

 人間は間違いを犯すものであり、そのリスクを最小化するため、機械の力を借りて慎重に判定しようとするのがビデオ判定。これを他のスポーツに先駆けて導入したのは、相撲史を飾る英断だったはずだ。謙虚かつ賢明なこの行き方を肉体信仰で吹き飛ばすことが、果たして相撲道にふさわしいかどうか。
 くどいようだが、「ビデオより肉眼を信用する」というのは「機械(道具)より人間を信用する」ことではなく、「機械の助けを借りた(人間の)慎重な判断より、いっさいの道具を排した(人間の)生身の直観を信じる」ことに他ならない。「老眼鏡をかけて見た世界より、老眼鏡を外した目に映るものを信じる」のと同じである。
 そうしたければ、止めはしませんけれどね。

 栃ノ心、負けるな!

Ω