散日拾遺

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万葉秀歌 007 かぐやまと・みみなしやまと/わたつみの・とよはたぐもに

2019-05-19 07:36:16 | 日記

2019年5月18日(土)

  香具山と耳成山と会ひしとき立ちて見に来し印南国原 (巻1・14)天智天皇

 中大兄皇子の「三山歌」の反歌。長歌は下記:

  香具山は畝傍を愛(を)しと 耳成と相争ひき、
  神代より斯くなるらし 古も然なれこそ
  現身も妻を 争ふらしき

 香具山・耳成山・畝傍山の三角関係、この争いを出雲の阿菩大神(あほのおおかみ!)が諫止しようとして出立したが、播磨まで来たところで争いが止んだと聞き、大和行きをやめて引き返したという伝説(播磨風土記)を踏まえているという。反歌の「会ひしとき」は「相争ったとき」の意だそうな。「会う」に「戦う」の意あり、「会戦」ともいうわけだが、一般に人が相対することの二義性を思わされる。

 そういうわけだから「立ちて見に来し」の主語は阿菩大神で、印南国原は主語ではなく大神が至り、また引き返した場所の名である。

 「一首に主格も省略し、結句に「印南国原」とだけ云って、その結句に助詞も助動詞も無いものだが、それだけ散文的な通俗を脱却して、蒼古とも謂うべき形態と響きとを持っているものである。」(上、P.18)

 そのあとが少々剣呑で、

 「この一首の単純にしてきびしい形態とその響きとは、おそらくは婦女子等の鑑賞に堪えざるものであろう。」(同上)

 とある。何の何の。

***

  渡津海の豊旗雲に入日さし今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(あきら)けくこそ (巻1・15)天智天皇

 結句の原文「清明己曾」の読みが古来議論の中心である。旧訓スミアカクコソは、ずいぶん長く行われたが、賀茂真淵がこれをアキラケクコソと読んだ。古義(?)では「アキラケクコソといふは古言にあらず」としてキヨクテリコソと読み、明は照の誤写だろうとした。

 他の訓としてスミアカリコソ、サヤケシトコソ、サヤケクモコソ、マサヤケクコソ、サヤニテリコソ、キヨクアカリコソ、マサヤケミコソ、サヤケカリコソ、キヨラケクコソ、マサヤカニコソ等があるという。

 高校の古文はS先生に教わったが、この訓についてはずいぶん詳しく解説された記憶があり、「サヤニテリコソ」は確かに聞いた。他に上にないものとして「サヤケカリコソ」も教わった気がする。S先生には親愛の念を込めて「ねずみ男」という渾名が奉られており、これは言うまでもなく『ゲゲゲの鬼太郎』に由来するもので、申し訳ないがどこからどう見てもぴったりだった。

 茂吉は訓読の精密な講釈に紙幅をほぼすべて費やしているが、この歌を忘れ得ないのは、海・雲・夕陽のおおらかですがすがしい叙景が素直に好ましいからである。私的な趣味としては断然アキラケクコソを推したい。

 ・・・茂吉先生、サヤケカリコソもちゃんと挙げておられましたね。たいへん失礼いたしました。


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