2019年8月1日(木)
「若干」という言葉は、『今昔物語』でも『太平記』でも「そこばく」と読ませ、もっぱら「たくさん」の意味で用いられる。現代語と正反対で、中世語の特徴かと思ったらそうでもないらしい。
そこばく[副詞]
① (数量を明示しない)いくらか、いくつか、多少、じゃっかん
「そこばくの捧げ物を木の枝につけて」(伊勢 77)
② 多数、はなはだ、たいへん・・・この意では「そこば」「そこら」「そこらく」とも
「今年、この山にそこばくの神々集まりて」(更級・駿河の旅)
ー 小学館の古語辞典から。
ー 小学館の古語辞典から。
どちらも平安朝の用例で、その頃から両義あったのである。複数ではあるがそのサイズは明示しないという原義から、「少し」方向と「たくさん」方向へ分化したものか。「いみじ」などと似た経緯かしらん。
「若干」は今の韓国朝鮮語では약간 (やっかん)と発音し、「やや、少し」の意で頻用されるから、現代語に関しては日本語と同義である。TVアジア囲碁選手権で優勝した韓国棋士のインタビューで繰り返し耳に入ってきたのは、謙遜しつつのコメントだったか。古い半島語では如何、途中で相互に影響し合うことがあっただろうか。
何しろ由来は中国語に違いなく、引けば「若干 Ruògān」は「いくつか」の意とある。つまり、「いくつか」という中立的ないし多義的な意味の「若干」が中国語から半島語と日本語に入り、年月を経た現代ではどちらにおいても「少し」の意味で使われるに至ったと。
もっとも、「若干」は外来語でも「そこばく」は在来語に違いなく、「若干」は字をあてたものであろう。「そこばく」は現代口語でこそ使われないが、「そこばくの」という連体詞は古めの小説などには出てきたし、その場合は「いくらかの」という原義を留めていたように記憶する。現代日本語の「若干」は「そこばく」から離脱して、「やや、少し」という小サイズの意味の固定されたものか。ならばあらためて、「そこばく」という言葉を原義で使ってみたい気がする。うん、使ってみよう。
漢字で書かれる「若干」は中国語から意味が離れ、もともとある「そこばく」の方は中国語の「若干」と似た意味を保持する。ありがちのねじれが面白い。「そこばく」には「若干」と並んで「幾許」という当て方もあり、これは雰囲気の出た文字のように感じられる。
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