散日拾遺

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我らが祖先 ~ 『クアトロ・ラガッツィ』抜き書き 1

2022-02-02 07:56:10 | 読書メモ
2022年2月2日(水)

…役人はリストにある12人を集めなければならなかったので、マティアスを探してあちこちを歩き大声で「マティアス、どこにいる、マティアス出て来い」と叫んだ。ところが修道院の近くにマティアスという名の信者が住んでいて、すでにリストに印鑑を押して覚悟を決めていた。彼は役人が料理番のマティアスを探しているのを聞いて、役人のところへ行き、「わたしはあなたがたが探しているマティアスではないが、同じ名前でフランシスコ会士の信者です」と言った。すると役人はそれでじゅうぶんだ、ほかのマティアスを探す必要はないと言った。こうしてマティアスは連行された。
 こうした役人のずさんさは最初から目立っている。それは最初に三成が代官にフランシスコ会に出入りする信者の名簿を作成せよと命じたときに起こっている。代官は自分で修道院に行ったのではなく、修道院に使いをやって自己申告をさせたのである。そのとき「それほど知識がなく信仰にも精通していない」一信者が名簿を作った。そこでイエズス会の信者もそこに混じってしまったばかりでなく、この男は「そこに武士を入れなかった」とフロイスは書く。
 最初から私は、世界でもっとも有名な殉教聖人のなかにひとりの武士も入っていないのはなぜだろうか!と思っていた。なぜ料理番や桶職人や刀研ぎや門番の息子や門番などばかりが捕縛されたのか?なぜ下働きの人間ばかりが捕縛されたのか?私は最初三成が自分と同じ身分の同輩を殺すに忍びなくてか、あるいは影響の大きさを思ってリストからはずしたのかと考えた。実際に、前田玄以のふたりの息子、死んだ秀次の養育係であった大身(たいしん)の武士とその妻、小西の妻子、高山右近、細川ガラシャらはこのときみな死を覚悟していたのである。死ぬべきときに死ぬから武士はいばっているのである。しかし庶民には死ぬ義務はないのだ。いばってもいないのだから。
 フランシスコ会に帰依していた信者のなかにひとりも武士がいなかったとは考えられない。これは明らかにだれかの作為によってそうなったのである。そのためのもっとも公式の言いわけは、「専住者逮捕」だろう。まさにその教会や住院に住んでいる人間だけを収監するということにすれば、ふつうの信者はその網からもれ、専住している人間だけが一網打尽にされる。その結果、神父、伝道師、門番、料理人、そしてミサの助けをする子供までが網にかかる。
 三成が最後に名簿を十二人に削ったときの基準はそこにあったのであろう。だから15歳のトマス小崎、12歳のルドビコ茨木、13歳のアントニオ(中国人を父にもつ長崎出身の子供)までが名簿に最後まで残った。

(中略)

 京都を出たときに死刑囚は24人だった。長い道中を長崎まで徒歩で曳かれてゆく死刑囚の世話をするためにオルガンティーノが送った慈善家ペトロ助四郎が、旅中で役人に捕縛された。また神父を慕ってその死を見とどけたいとついていった入信したばかりの大工のフランシスコも途中で役人に捕縛された。このふたりは名簿になかったのだ。しかし、行く先々の領内では、役人が受けとっただけの囚人をそのままつぎに送ることに固執したので、バウチスタやそのほかの神父がいかに抗議し、それが最初の名簿になかったと言っても、役人はけっして彼らを解放しようとはしなかった。
 この話はじつに納得がいかない。ある意味では納得がいく。日本の役人はこれほど昔から、自分たちの過ちを認めない。それが人の命にかかわるようなことであっても。彼らは歴史を動かしている巨大な車輪に加担して、奪うべきではない無辜のふたりの生命を奪った…

若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ(下)』集英社文庫 P.301-304

 われらが国よ、そしてこの著者の筆の力よ!

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