散日拾遺

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朝の付記

2022-02-26 08:51:23 | 日記
2022年2月26日(土)

 先の声明の真価は、実はE君のメール末尾の転載しなかった部分にある。
 Facebook に続々と現れるおびただしい数の署名、その一つ一つが命がけのものだ。今のロシアでプーチンに対して真っ向から No を叫ぶことが、あとあとどんな危険を招くことになるか。わが身大事、家族大事とばかり思えば、一片の署名すらできたものではない。こんな泡沫ブログでも公安は抜かりなくチェックしているよと警告してくれた友人があるが、もとより危険のレベルに雲泥の開きがある。それを思えば「涙が出る」は大げさでもなんでもない。
 声明文の土台には、たとえば「科学者のコミュニティが国境を越えた相互信頼に支えられている」という意味深い歴史認識もまた踏まえられており、現代史の資料として一行ずつ吟味し学ぶ意味がある。
 やや突飛ながら、第一次世界大戦の時期に社会主義者らが彼らの歴史観に則って唱えた「反戦」のことを連想する。そうした主張の中に理想に純たる者もあれば、別の権力と支配への野望もまた潜んでいた。そこからはロシアとウクライナに接続する歴史事情をたどることができる。
 あるいははまた、日頃まったく価値を実感できずにいるSNSが、ここでは硬直した制度の壁を突き崩す可能性があること等々。
 しかし、キリル文字の洪水に圧倒されながら今いちばん身に沁みて痛いのは以下の指摘である。

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 キリシタンの根絶を目ざすために徳川幕府の用いた手段は、きわめて周到かつ陰湿なものであった。それが単にキリシタン問題のみならず、およそ権力者に対する逆心の芽をあらかじめ徹底的に摘んだという意味で、日本人の心性に遺した負の遺産の罪は計り知れない。

 第一:徹底検挙と極刑。幕府の命令の下に全国一斉に徹底した検挙を行い、キリシタンの信仰を捨てぬ者は老若男女の別なく火刑・斬首刑その他残虐なやり方で処刑した。
 第二:寺請制度。本格的な鎖国開始後には寺請制度を設けて宗門改帳を作成し、すべての日本人に某寺の檀家であることを証明する書類の提出を義務づけた。
 第三:婚姻手形。結婚や旅行にあたっては、自分が特定の寺に所属することの証明を求めた。
 第四:密告制度。キリシタンの疑いをかけられた者やキリシタンであった者を密告させ、賞金をもって密告を奨励した。
 第五:五人組の連座制。キリシタンが発見されると、その一家全員と五人組に属する全家の主人を処刑した。

 以上は仏教から宗教エネルギーを殺いで政治の末端組織に組み込むとともに、キリシタン的なものを日本の国土から完全に払拭するのが狙いであった。同時に、三百年間にわたって峻厳に維持されたこのような陰湿な制度が、その後の日本人の行動パターンに深く影響を遺したことは疑い得ない。
 未だに出る杭が打たれ、共同体的なものに明るさと開放性が認められないのは、鎖国の後遺症とはいえないだろうか?

川崎桃太『フロイスの見た戦国日本』より、一部改変

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 ついでにこちら:
 …見るからに聡明で理知的な風貌の女性の館長は、私の話を黙って聞いた後、無条件で承諾してくれた。それだけではない。これは帰国後のことだが、持ち帰ったフィルムに欠番のあることが判明した。手紙を出したところ、欠けた部分はコピーされてただちに送られてきた。私は図書館での閲覧のため一文の金も払っていない。そんなものは全く不要だった。それどころか、この写本を翻訳して日本人に紹介する意向のあることを知ると、満面に笑みを浮かべて私を激励してくれた。
 その頃すでにポルトガルは小さく、あまり豊かな国ではなかったのだが、ポルトガル人は別だった。過去の誇りに生きている民族であることを、あらゆる面で知ることができた。
川崎桃太『続・フロイスの見た戦国日本』

 「その頃」と筆者が記すのは、1974年(昭和49年)から翌年にかけての時期である。それから半世紀、あるいはその期間を後半部とする一世紀の間に、僕らもまた小さからぬ上下動を経験した。
 軍事であれ経済であれ大国の栄光が過去のものになったいま、日本人の誇りと主体性を回復するよりどころを、どこに求めればよいだろう?そして自分もまた署名に加わろうと思い立つ時、「鎖国」に養われたみみっちい心性が残り少ない後ろ髪にねちねちとからんでくる・・・

Ω