2022年2月7日(月)
岩波ホールが7月で閉館を宣言。これは惜しい、何としても続けてほしい。
コロナ禍の影響の甚大なことは想像がつくが、いかに深刻でも一時的なものである。そもそも「金のことは気にするな」と岩波の社長にハッパをかけられて出発したものなら、当座の休館はやむを得ないとして終息後にシレっと再開してくれればよいこと。
セネガル映画の『エミタイ』とか、『ドイツ・青ざめた母』とか、記憶に残る作品は幾つもあるが、中でもある夏休みに母とみたサタジット・レイの三部作『大地の歌』『大河の歌』『大樹の歌』は圧巻だった。
「ここまで行き詰まって宣言もしたので、『やっぱり続けます』とはいかないと思う」と岩波律子さん。
そんなことないです、「やっぱり続けます」はアリです。またせっせと通いますから!
2022年2月8日(火)
「国土交通省の統計不正が明らかになり、漫画「進撃の巨人」を思い出した。時の王が壁の中の住民たちの記憶を書き換えて、壁の外の記憶を全て消し、実際に経験した歴史とは異なる歴史を信じ込ませることで統治していた。それは今の日本みたいだなって。
統計は基本的には「歴史」で、それを変えるということは国民の記憶を変えるということ。その国の歴史をもう追えなくなるというレベルの重罪だと思う。
ペン先と消しゴムひとつで変えるというのは、自分らの雇い主である国民への背信行為だ。信じていた歴史が嘘かもしれないというのは、もっと大きいニュースのはず。でも国家に対する不信感が生まれる契機になるほどではないようだ。
今回は、GDP(国内総生産)の算出に関わる数字が書き換えられていた。政権の評価に関わる数字だ。こんな大事な数字を書き換えられたら、この国の言っていることは一切信用できないということにならないだろうか。日本の人口は現在1億2000万人いることになっているが、本当は9000万人かもしれない。
どうしてこんなことが起きたのか。事実究明はもちろん大事だが、できてしまう体質こそが問題だ。縦割りの役所は全部いったん解体して、ゼロベースで考え直すぐらいの話だと思う…」
どうみる統計不正「「人口1.2億人」も、うそかも」(鈴木涼美氏へのインタビュー)
誰か書かないのかなと思っていた。強く同感、歴史に対する大罪であるばかりか、海外からは「日本の統計はあてにならない」とあらゆる場面で疑問視され値切られるもとになるという意味で、同胞と国家に対する背信でもある。
ただ「国家に対する不信感が生まれる契機になるほどではないようだ」というのはどうだろうか。不信が生まれていないのではなく、はじめから信用していないか、それともおよそ関心をもっていないか、大概どちらかだろう。僕自身はかねがね抱いていた何となくの不信感が、明瞭な形になって定着した。
せっかく歯切れのよい流れなのに、締めくくりが破綻しているのは語り手よりも聞き手(書き手)の責任か。
「全体主義の国と違って、日本は民意を反映して変えるシステムが一応はちゃんと残されている。そんなに絶望しないでほしい。」
何でそうなるんでしょうね、首尾一貫しないこと。「民意を反映して変えるシステムが、一応ちゃんと残されているかのように見える分だけ、全体主義の国以上に始末が悪い」という結びを予測するのは当方だけですか?
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「引っ越しの荷造りをしていると、自分がすっかり忘れていた小物を無数に所有していることに気がつく。たとえば燃えるように立派なトサカのついたニワトリ。渦巻き蚊取り線香が入っている高さ15センチくらいの円柱形の缶だ。わたしはしみじみとニワトリの顔を眺めた。宇宙鶏と呼びたくなるようなサイケなニワトリを取り囲む6個の小さな菊の花。 このニワトリはおそらく明治の生まれなのだろう、誇り高い顔つきをしている。デザインは大正時代のイメージを装っているが、実は昭和の中頃にまたレトロ感覚で生産されたものだと聞いて興味を持って買ったのだった。
ベルリンにはほとんど蚊がいない。しかしどういうわけか、数年に一度、蚊があらわれる年がある。(中略)
できれば蚊がいなくても蚊取り線香をつけたくなるほどわたしはその香りと形が好きだったが、除虫菊の匂いはドイツでは危険や犯罪を連想させることがある。 」
多和田葉子「白鶴亮翅」8
ベルリンの蚊取り線香!伊豫松山の茅屋の縁と、同じ香りを漂わすかや?


「宇宙鶏と呼びたくなるようにサイケ」で「誇り高い」顔つきは箱も缶も同じ。とりまく小菊が箱では計12輪、缶の蓋では6輪なのが斜めに見える。
「危険や犯罪の連想」って何だろう?
Ω