散日拾遺

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「教養」の意味

2022-02-16 08:02:59 | 日記
2022年2月16日(水)
【朝刊紙面から】
 「この国では、これからますます「分断」の深まる「大孤立時代」がやってくるのではないか。」
 「いま、私たちは「教養」の意味を問い直す必要がある。それは知識をどれだけ蓄えたかで測るものではなく、挫折しても窮地に陥っても、豊かに生きていく力をひねり出すことだ。この社会は本当の「教養」を、あまりにも軽視してきたように思える。」
相次ぐ無差別襲撃 作家・ドリアン助川さんに聞く

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 ドイツ語の "Bildungsroman" を「教養小説」と訳すことのおかしさについて、早世したB君はちゃんとわかっていた。Bildung は英語の building に相当するが、できあがった建物のことではなくてそれを建て上げていくプロセスを表している。「成長」とか「人間形成」とかいったものである。知識の蓄えとしての、あるいはひけらかす装いとしての「教養」とは、「ゼンゼン違うよね」「そうそう」というのがB君との共通理解だったが、「教養」というものをドリ助流に受け止めなおすなら、「教養小説」という言葉があらためて意味をもつことになる。
 そもそもはディルタイが、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』およびそれに類似した作品群を指して "Bildungsroman" と呼んだのが始めである由。『魔の山』がよく引き合いに出されるが、その末尾で主人公は第一次世界大戦の戦場に放たれる。何とも悲劇的な "Bildung" の顛末と思ってきたが、時至って別種の戦場に放たれる自分らを見る次第。
 外は晴れ渡った二月の空。

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