散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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年賀状は半ば手書き

2023-01-03 22:40:15 | 日記
2022年1月3日(火)

 箸に12の機能がある、とあるところで読んだ。すなわち…

 つまむ、はさむ、押さえる、すくう、裂く、のせる、はがす、ほぐす、切る、くるむ、運ぶ、混ぜる

 だそうである。「突き刺す」はないのですよ、いいですか。

 年賀状を110枚ほど、今どき多いか少ないか。
 若い人たちが書かないというのは、昨今の通信事情を考えれば不思議もないところだが、この人々が中年期にさしかかった時、効用を見直すこともあろうかと期待する。いわゆる年賀状のつきあい 〜 年に一度(だけ)挨拶する間柄、互いの存在をほのかに意識し、日頃会うことはなくても遠く励ましあう関係には、それなりの価値がある。中には一度も顔を合わせたことがないのに、年賀状のやりとりだけが20年以上続いている人もあり、これも人生の味わいというものだ。
 となれば、どうしても手書きでなければならない。といっても図案とこちらの連絡先、「謹賀新年」の定型句は印刷しているからたいして自慢にはならず、それで「半ば」というのだが、宛先宛名は手書きしたうえでいくらか丁寧に一言添える。これで110枚書くと12時間ぐらいかかるから、1枚あたり6分あまり使っている計算である。ジョギングなら1kmほど走れるか。
 このわずかな時間がたいせつなのだ。
 6分ほどの間は国際情勢も公私の事情も念頭になく、もっぱらその相手のことを考えている。そのことが相手との関係を更新し意味を回復する。これとは逆に毎日顔を合わせながら互いのことを少しも考えないつきあいが、どれほど身のまわりに多いことか。マルチン・ブーバー言うところの「我/彼」の構図に日頃の我らはどっぷり浸っており、そうした世間の中で「我/汝」をとりもどすよすがを与えてくれるのが、年賀状という習慣の功徳である。
 このことに気づいてから、年末の二日間を年賀状の準備にあてる作業が楽しいものになった。名簿に従って表裏すべてを印刷し投函するなら、大いに時間の節約になるだろうが、その時間を節約してしまったらそもそも年賀状を出す意味がなくなるのである。誕生日のプレゼントを選ぶときアイテムの当たり外れもさることながら、相手が何を喜ぶだろうかと想像力を働かせて探し求める、時間と労力が貴重なのと同じ理屈である。
 もとよりこれは当方のようなヒマ人の話。大いに活躍発展中の多忙な人々が労力と時間を節約するのを咎める意図は少しもない。ただ、SNS慣れした若い人々には、年賀状を手書きするのも悪くないよと勧めてみたい。試してみれば世界の見え方が少しだけ違ってくるはずだ。

Ω

天と地のアルベド/ロウバイの枝の配置など

2023-01-03 14:07:33 | 日記
やむなくスマートフォンで再挑戦:


 マンリョウの実はセンリョウと対照的に葉の下に付く。多くの実を結びながら、それを葉で隠すような姿であるため、古来「謙遜」の象徴として尊ばれてきたとある。株自体も樹木の陰に控えめに佇み、さほど大きくも育たず、なるほど捨てがたい名脇役である。


 同じく赤い実でもピラカンサはいかにも騒々しく、樹は遠慮なく枝を伸ばすうえ、鋭い棘があって始末に終えない。ずいぶん風情が違うものだ。こういう人がどこの職場にもいますね。


 これはブンタン(文旦)。東南アジア・中国南部・台湾などが原産地で、日本には江戸時代の元禄〜安永年間に伝来したという。さっぱりした美味が南国風でもあり、微妙に西方っぽくもある。Wikipedia の紹介する名前の由来が面白い。
 「一説では広東と長崎を行き来する貿易船が難破して阿久根に漂着し、船長の謝文旦から救助のお礼に贈られたという。」
https://www.pref.ehime.jp/h35118/1707/siteas/11_chishiki/documents/kankiturekisibuntan.pdf
 それで「文旦」だというのである。
 ともかく伝来地は鹿児島の阿久根あたり。その後、各地で品種改良され、わが家のは土佐文旦と称するものだ。
 アルベドと呼ばれる果肉周囲のスポンジ状組織が分厚く、ソラマメと並んで「神様の過剰包装」などと言いならわしているが、上記サイトにも解説されるとおりこのアルベドからザボン漬けをつくるから実は立派な有用成分。

 疑問は次々広がるもので、「アルベド」とは何語の何かとググってみたら、「天体の外部からの入射光に対する、反射光の比」と出てきて面食らった。どうやらラテン語の albedo、つまり「白さ」の謂らしく、真っ白なスポンジ状組織と天文学用語がこれで結びつく。


 こちらは甘夏柑、この金色が毎度嬉しい。収獲はもう少し先か、今はハッサク(八朔)から楽しんでいる。
 最後に…


 ロウバイ(蠟梅)の枝を見あげて撮ってみた。名高い芳香はまだほんの微かである。香り同様に微かで品の良い花弁の黄色と空の青さが、写真ではすっかりくすんでしまったが、撮ってみて驚いたのが側枝の芳香、ではない方向である。南北、東西、また南北、一段ごとに正確に直交しているではないか!
 自然はまことに飽きないものだ。

Ω