散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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触れてはならない/ホセ・リサール

2023-01-04 19:38:27 | 日記
2022年1月5日(水)

 イエスが「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
 イエスは言われた。
 「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから…」
ヨハネによる福音書 20章16-17節

 星空に酔って寝支度をしていて、ふと「すがりつくのはよしなさい」というこの言葉が浮かんだ。
 後にカトリックに転じたH.Y.姉は美術に造詣の深い人で、ある出版物でコレッジョの絵を解説するにあたり、この場面を「最高のメロドラマ」と評した。その意味が長らくわからなかったのである。
 ひょっとしてそういうことだったのだろうか。

 「わたしにすがりつくのはよしなさい」(新共同訳)
 「わたしにさわってはいけない」(口語訳)

 ラテン語の「ノリ・メ・タンゲレ Noli me tangere」が画題にも採用されている。ギリシア語では "Μή μου ἅπτου" であり、Wikipedia の現代ギリシア語サイトでは "μη με εγγίζεις" と言い換えられているが、何語でつついてもとりたてて秘密などはありそうにない。要するに「さわるな!」というのである。なぜ?
 ある外国映画で主人公の男が、これまで実の妹と思い込んでいた女性が実は他人とわかった瞬間、相手の手を振り払って飛び退くシーンがあった。適切な連想かどうかは置くとして。

Correggio "Noli me tangere" (1525年頃、プラド美術館蔵)

 『Noli me tangere』という小説を書いた人物がある。通称ホセ・リサール(Jose Protacio Mercado Rizal Alonzo y Realonda,1861-1896)、フィリピンの革命家である。
 フィリピン先住民のほか、父方に中国人とマレー人、母方にスペイン人と日本人が混じっているという見事なハイブリッド。小説の内容は事情から推しておよそ護教的なものとは思われないが、できれば読んでみたいものだ。
 早熟の天才の趣あり、二十数カ国語を習得する一方、動植物の研究まであるそうな。20代の頃にはロンドンで植民地化以前のフィリピンの歴史を研究し、1889年に日本の『さるかに合戦』とフィリピンの『さるかめ合戦』を比較した論考を著したとある。
 その前年、サンフランシスコへ向かう船の中で末広鉄腸(1849-1896)と出会って意気投合し、米国を経てロンドンまで数週間行動を共にした。鉄腸はこのとき英語が話せず「親切なフィリピン人青年が助けてくれた」と書き残しているそうで、リサールの方はこれに先立つ二ヶ月足らずの日本滞在の間、臼井勢似子なる女性との交流もあって、通訳できるようになっていたらしい。
 惜しいかな好漢、35歳で刑場の露と消え、今ではフィリピンの国民的英雄である。雑司ヶ谷の臼井勢似子の墓所には、毎年リサールの誕生日にフィリピン大使館により花が供えられているとのこと。


この項の資料・写真はすべて Wkipedia による。以下も同じ。

※ さるかめ合戦(一例)
 むかしむかし。サルとカメが川沿いを歩いているとバナナの木が流れてきた。サルとカメは協力してバナナの木を川から拾い上げ、サルはバナナの木の上半分、カメは下半分(根のほう)に山分けすることになった。サルは実っていたバナナを食べ、カメは木を植え育てた。
 時が流れ、サルがもらったバナナの木の上半分は枯れてしまったが、カメがもらった下半分は育って、新たなバナナを実らせた。バナナの木に登れないカメに、サルは自分がバナナを取ってくると告げ木に登ったが、カメには渡さずに自分だけバナナを食べた。怒ったカメは策略を用いてサルを木から落とし、大けがをさせた。
 怒ったサルはカメを捕らえるが、カメは「自分は泳げないから、川には投げ込まないで」とサルに頼む。それを聞いたサルはカメを川に投げ入れ、カメは悠々と逃げ去った。

Ω


火星と月と

2023-01-04 19:38:27 | 日記
2023年1月4日(火)

 12月に入った頃からえらく明るいのに気づいていたが、やはり接近していたのだ。

〈2022年12月1日、約2年2か月ぶりに火星と地球が最接近します。約8100万kmまで近づきます。2022年9月から2023年3月ごろまで明るく見えます。冬の星々と競うように赤く輝く光景は見ものです。おうし座の中を動きまわる様子も楽しめます。〉

 両惑星間の距離にどのくらいの振れ幅があるかと調べて驚いた。6千万km弱から3億km近くまで振れるのだ。もっとも、これは驚く方が少々まぬけである。太陽との平均距離は地球が約1億5千万km、火星が2億3千万km、太陽の同じ側にあるか反対側にあるかだけでも、そのぐらいの振れは生じるだろう。古代人にはさぞや大きな謎だったろうが、太陽系の構造を教わってしまえばあたりまえのことである。
 2018年の下記のサイトがわかりやすい。地心における火星の視直径/惑星間距離は、同年1月1日に4.8"/2億9,307万kmだったが、8月1日には24.3"/5,759万kmまで拡大/接近した。8,100万kmなら16"台だろうか、明るいのも道理である。あたりまえなどと書いたが、7つの惑星(降格された冥王星は除き)の中で火星だけが目に見えて大きさを変えるのは、外惑星であってしかも地球に近いという条件を備えているからである。そのことに想到するのにしばらく時間がかかった。

 冬の星空は美しいが、何しろ寒い。東京では地上の照明に妨げられて興も劣り、じっと見あげることが最近は減った。火星の大きさに気づいたのは、日没後に帰宅して東向きに歩く道で、昇ってくる満月の近くに見えたおかげである。
 月を見るのはいつでも楽しい。日ごとに形と大きさを変え、形とともに太陽との相対的な位置がずれていってはぐるりと戻る、それを見あげて日を数え、満ち欠けを楽しむうちに人生はあっけなく過ぎていきそうだ。
 月は太陽の光を反射して光る、そのことが多くを考えさせる。月が太陽の近くにある限り、その姿はまことに細く頼りない。光源から離れるほどに反射は強まり空に見える時間が伸びていき、ついには地球をはさんで真向かいに対面する。このとき日没と入れ違いに昇ってくる十五日の月は、女王のように煌々と地を隈なく照らす。人もまた、力を授かる源から十分離れることによってこそ、はじめて充分に輝くことができるのではないか。裏切りではない、真の応答として。
 しかし満月は続かない。再び光源に近づくにつれ逆の側から細っていき、光源の中に姿を消す。姿を消してはまた現れる。その様を人工の建物と照明に妨げられることなく、晴れた空に昼も夜も追うことができるのが、田舎の暮らしの楽しさである。

 ふと思い立ってブランケットを肩に巻き、夜の庭に出てみた。高く昇った十二日の月のすぐ隣で、火星が冬の大三角と肩をぶつけている。ベテルギウスの赤は大きくなった火星の前に顔色ないが、シリウスの煌めきはひるむことなく青く美しい。それより明るい木星が、西の空で火星に挑み返すようだ。土星はどこにと探そうとして、早くも体の芯が震えはじめた。
 またあした。

Ω




タチアワユキセンダングサ

2023-01-04 14:28:41 | 日記
2023年1月4日(水)

 「ひっつき虫」の抜け目なく執拗なことには毎年手を焼いていたが、昨夏あたりからいちだんと勢いが強い。流行り廃りは野の花にもあることとのんびり構えていたところ、ふと調べてみれば…

 

タチアワユキセンダングサ(立泡雪栴檀草、Bidens pilosa var. radiata

 キク科センダングサ属の一年草もしくは多年草。そして
 「繁殖力は非常に旺盛で、在来種を駆逐する侵略的外来種 」!
 「外来生物法によって要注意外来生物に指定されている」!!
 「日本生態学会が選定した日本の侵略的外来種ワースト100に含まれる」!!!

 眺める視線が一時に厳しくなった。
 「1963年に高知県で野生化が初めて確認された。現在では、九州南部、沖縄諸島、先島諸島、小笠原諸島に定着している」などと Wiki の記載は暢気に過ぎる。2023年一月時点で四国中予地方に定着しまくってますよ!
 「野草として食用にもなり、栄養価が高く抗酸化作用などが認められることから健康食品としての利用も試みられている」というからいずれは食卓に上すとして、まずは在来種が駆逐されぬようせっせと刈らなければ。

Ω