2023年9月14日(木)
白露の記事を読み直して、家持の歌の「なづさふ」という言葉に注意を引かれた。
「なづさひ上る」は「難渋して上っていく」と訳されているが、どうなのだろうか。少し語感が違うような気がして引いてみると…
なずさ・う〔なづさふ〕[動ハ四]
1 水に浮いて漂う。または、水につかる。
1 水に浮いて漂う。または、水につかる。
「はしけやし家を離れて波の上ゆ―・ひ来にて」〈万・三六九一〉
2 なれ親しむ。なつく。
「いときなきより―・ひし者の」〈源・夕顔〉
出典:デジタル大辞泉(小学館)
これならしっくりくるが、先の歌の趣旨がこれではわからない。手許の古語辞典(同じく小学館)にさらに詳しい解説があり。
なづさふ(物にひたり着いて離れにくくするという意味で「なづむ」と同根)
1:水中、または水上に浸り着く
「八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ」(万葉集 430・柿本人麻呂)
2:海上や水上をはるばると苦しい旅を続ける
「海原の遠き渡りをみやびをの 遊びを見むとなづさひぞ来し」(万葉集 1016・作者不詳)
3:人に慣れ親しみ、まつわり着く
「いときなきより なづさひしもの(幼い時から親しくまつわってきた人、ここでは乳母)」(源氏・夕顔)
(中田祝夫編・古語辞典)
これでストンと合点がいった。先のは第二の語義である。「遊びを見む」なら暢気な話だが、むしろ海上難民の絶望的な旅が今は思いやられる。第一の用例はなまめかしいもののように読んだが、実は人麻呂特有のルサンチマンの表現らしく、そう知ると黒髪の印象が一時に変わった。
第三の語義は、ベランダの亀そのものだ。
なづむ、なづさふ、セキレイのように親しみ深い言葉である。
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