2017年8月7日(月)
二人で歩いた塩谷の浜辺/偲べば懐かし古代の文字よ
・・・昭和の名曲、『小樽のひとよ』の一節。前から気になっていたんだけれど、小樽あたりで「古代の文字」と歌えばどうしてもアイヌ語を連想する。しかし、アイヌ語は固有の文字を持たなかったとも聞いている。作詞者はここにどんなイメージを重ねたんだろう?
つらつらネットを見流していたら、実際にはアイヌ文字(北海道異体文字)の存在を主張する説があるのに気づいた。これとは別に(あるいは関連して?)、漢字渡来以前の「日本」に独自の文字があったとする説もある。ヲシテ文字などと呼ばれるもので大いにロマンをかき立てるが、それが実在のものか、江戸時代に創作されたものかについて、相当の議論があるようだ。
お、あった!
「1866年(慶応2年)に発見された手宮洞窟の岩絵を文字とする説もある。この彫刻は小樽市にある続縄文時代の遺跡であり、1921年(大正10年)には国の史跡に指定されている。1878年(明治11年)に榎本武揚や開拓使大書記官の山内堤雲、考古学者のジョン・ミルンによる調査が行われて以降、広く知られるようになった。」
「この手宮の彫刻は古く「ジンダイモジ」(ジンダイ文字)、「アイヌ文字」、「アイヌ古代文字」、「奇形文字」のように称されていたが、後述の中目の説が広まって以降は主に「古代文字」と呼ばれるようになった。吾郷清彦は「手宮古字」と称している。宮沢賢治の詩「雲とはんのき」(詩集『春と修羅』に掲載)の中には「手宮文字」として登場するほか、鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」や北原ミレイの「石狩挽歌」(小樽市出身のなかにし礼が作詞)、三波春夫の「おたる潮音頭」といったいわゆるご当地ソングにもそれぞれ「古代の文字」、「古代文字」、「手宮の文字」として歌われている。」
(https://ja.wikipedia.org/wiki/北海道異体文字)
探れば深し 古代の学び・・・
手宮の岩絵 (同上のサイトから)
Ω