2023年8月28日(月)
「違うよ」を「ちげえよ」と発音するのは平成生まれの子どもたちが始めたことで、それ以前にはなかったものである。一見(一聞?)、東京下町言葉のように聞こえるとすれば、「違いない」を「ちげえねえ」などと発音することからの連想なのだろうが、これは ai(あ‐い) が eh (え-え)に変わるという古い通則に従った現象である。「たいしたもんだ」が「てえしたもんだ」、「大丈夫か?」が「でえじょうぶか?」になる要領。結果的に中国語や韓国朝鮮語の読みに近づくのが面白い。大門 → でえもん → damonというのは、某局の面白い工夫でしたね。
似たれども非なり、au(あ‐う)の方は決して eh (え-え)にはならない。au(あ-う)が変化する先は、 eh (え-え)ではなくて ou(お-う)であり、これなら古来いくらも例がある。
逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし
中納言朝忠
『拾遺集』から百人一首に選ばれた有名な歌だが、カルタ取りの詠み人は冒頭を「おうことの」と発音するはずだ。「逢瀬」を「おうせ」と読むのと同じである。
「違うよ」についても「ちごうよ」と発音される例を実際に読んだり見たりした記憶がある。しかし「ちげえよ」は知られていなかったし、口がそのように動こうとはしなかっただろう。
ちなみに、昭和の耳に「ちげえねえ」は威勢良く快活に聞こえるが、「ちげえよ」は下卑た響きしか残さない。このあたりは習慣の影響力ということか。
毎朝なにかしら、考えたり確認したりする材料をもらっている。
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