散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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赦す・・・

2014-11-06 09:31:30 | 日記

2014年11月6日(木)

 赦す、ということについて、何か根本的に考え違いをしているような気がする。たとえば、「赦すことは、ソンすることである」と思っているというような。

 理屈ではない、現に「赦す」ことによって自由になっている人は、決して「ソン」を忍んで我慢して赦しているようには見えない。

 赦せない相手がある。その相手に、今でも貸しがあると思っている。むろん自分を赦せない相手が、自分に対する貸しを勘定して利息を計算していることも、思わないではない。しかしそもそも、そんなチンケな話ではないというのだ。キミの十字架はどこへ行ったの?

 あ~もう、つくづく小物なんだから・・・


達人の筆致/手談は成立するか

2014-11-06 07:08:16 | 日記

2014年11月6日(木)

 三四郎はこの表情のうちに嬾(ものう)い憂鬱と、隠さざる快活との統一を見出した。その統一の感じは三四郎に取って、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である。三四郎は握りを把ったまま、 - 顔を戸の影から半分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自己を放下し去った。

 「御這入りなさい」

 女は三四郎を待設けたようにいう。その調子には初対面の女には見出す事の出来ない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、こうは出られない。馴々しいのとは違う、初から旧い相識(しりあい)なのである。同時に女は肉の豊でない頬を動かしてにこりと笑った。なつかしい暖味が出来た。三四郎の足は自然と部屋の内へ這入った。その時青年の頭の裡には遠い故郷にある母の影が閃いた。

 (第26回、三の十二)

***

 少し前に『13デイズ』を観た。キューバ危機の際の米大統領周辺を描いたもので、あらまし分かっていたつもりだったが、ソ連の船団が引き返してから後にこれだけの厳しい緊迫があったことを忘れていた。

 作戦本部では、国務長官と軍司令官の間にしばしば激しいやりとりが起きる。

 「戦争だって?あなたは分かっていない。これは全く新しい事態だ。このようにして(と国務長官が巨大な作戦地図を示す)大統領と第一書記が会話しているのだ。これはコミュニケーションだ!」

 不正確だがだいたいそんなふうだ。僕はまたしても碁のことを考えた。碁の別名に、中国語で「手談」というものがある。着手を通して対局者が語り合うというものである。確かにそうなのだが、この側面を識って楽しめる者は別して少ない。また一方がそのつもりでも、相手が耳を貸さなければ「手段」を楽しむことはできない。碁敵を貴重とする所以である。

 現在の米国とイスラム国の間に、果たしてKK(ケネディ/フルシチョフ)間のようなコミュニケーションの成立する余地があるかどうか。オバマ民主党が両院で敗北したと朝刊一面、これはむしろ内政面での失望の表れだろうけれど、代わって登場する共和党政権は外交面でもオバマの慎重姿勢を崩すに違いなく、そのことが相手側には端的に「米国民の総意」として伝わることになる。手談のねじれ?ねじれなら良いのだけれど。

 冷戦終結以来、これほど不気味な日々はあまり記憶にないように思われる。コミュニケーションの空白がもたらす不気味さだ。

 

 碁敵は憎さも憎し懐かしき


見る力と見ない力

2014-11-04 12:05:20 | 日記

2014年11月4日(火)

 10月19日のS教会、こどもたちへのメッセージは「見えない神様の見える力」という題にした。

 酸素、風、電波、磁力、思いやり、感謝、憎しみ、聖霊・・・本当に力をもつのは「目に見えないもの」だ。星の王子様にキツネが与えた教訓そのもの ~ L'essentiel est invisible pour les eux ~ である。だから、見えないけれども確かに存在するこれらのものを見る力が、僕らの強さを決めることになる。

 ところが・・・

 「見えているものを見ない力もありますか?」

 「人間はその方が得意よ」

 朝刊の社会面、福岡市の劇団が「沖縄の問題を、本土で『我がこと』として考える舞台」を目ざして上演する自作劇の一場面である。現に存在する基地を「見ない」力のことなのだろう。沖縄の人々は、この力を動員しなければ日々が送れない側面があるはずだ。いっぽう本土の人間は、この力をいわば贅沢として用いることができる。ここでも関係がねじれている。それが得意なのは人間一般か、それとも日本人いやさ本土人か。

 どうも参った。

 「見えない大切なものを見る力」を失うとき、「見えているものを見ない」という『魂の障害』が病識欠如の重症段階に進む。さしあたりそんなふうに言っておこう。

 


齢を重ねる

2014-11-01 07:27:40 | 日記

2014年11月1日(土)

 年は取らない、重ねるものだ。

 「齢を重ねる」という表現の含蓄、昨日患者さんから教わった。

 種明かしは後で。今日明日は東京都内の学習センターで面接授業。出て行く身には、雨天が少々恨めしい。