散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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雑餉隈

2016-05-20 07:39:05 | 日記

2016年5月21日(土)

 読めますか?

 教わらなければムリというものだ。

 1 ざっしょのくま、2 ぞうがすみ、3 ざんげわら、4 ざっこうわい

 さあどれだと家族にラインで投げかけて、みごと全員ハズレ、正解は1「ざっしょのくま」である。地名の由来は何だろうと安直に Wiki へ振ってみても、今ひとつはっきりしない。

「雑餉隈(ざっしょのくま)は、福岡県の地名のひとつで、概ね福岡市博多区南部と大野城市西部にまたがる地域を通称として指す。全国随一の難読地名としてたびたび話題に挙げられる。西鉄雑餉隈駅とJR南福岡駅に挟まれる地域は、飲食店や風俗店が多数建ち並んでいる。」

 風俗店?見当たらなかったけどな・・・飲食店は酒を飲ませるところばかりで、フロントのお兄さんも「夕飯食べるところあるかな」という当方の質問に、「ちょっと厳しいかもですね、鉄道で博多に出ちゃった方が・・・」と正直なところを答えてくれた。

「名そのものの由来は、貝原益軒編纂の『筑前国続風土記』によると、その昔大宰府へ向かう人々を主な対象とした多くの店が連なっていた場所であったこと、または大宰府の官人の雑掌居があったことによる可能性がある。また同書によれば、同書の編纂期における雑餉隈は、那珂郡井相田村(現福岡市博多区井相田)に属する村と山田村(現大野城市山田)に属する村とで、西と東の二村に分かれていた。」

 今ひとつ釈然としないが、何しろ太宰府が西の押えとして重要な役割を担っていた時代に遡ることは間違いないようで、それだけでも心揺れるものがある。で・・・

「行政区名としての使用は大野城市の雑餉隈町(大野城市域北部、博多区との境界付近、1丁目から5丁目まで)に限られているが、広義には西鉄天神大牟田線雑餉隈駅の南側、JR九州鹿児島本線南福岡駅の東側に広がる街一帯(東雲町・春町・西春町・寿町・元町・相生町・銀天町・麦野)を指す通称として用いられることが多い。」

「この地には、銀天町商店街という商店街がある。また、かつては歓楽街であったが、営業地区が通学路などに重なっており、保護者からの苦情が多数あったことなどから、風営法の改正を機とした警察の取り締まり強化により、違法店舗が多く摘発され閉店し、ほぼ壊滅状態となった。」

 ははあそれでと納得し、項目の末尾を見てびっくりぽん。

【関連事項】

 千葉真一 - 当地が生誕地。

 ソフトバンク - 創業者の孫正義が1980年に前身の「ユニソン・ワールド」を当地に設立。

 武田鉄矢 - 当地出身であり、今も実家の「武田たばこ店」がある。

 エイケン (漫画) - 作品の舞台として当地をもじった「ザッショノ市」や「ザッショノ学園」が設定されている。

 スケッチブック (漫画) - アニメの舞台のひとつとしてこの界隈が描かれた。

 

・・・恐れ入りました。3日ほど御厄介になりますが、どうぞよろしくお見知りおき願います。


シャバーニ

2016-05-12 09:35:49 | 日記

2016年5月12日(木)

 完全に虚脱していた日曜の晩、名古屋在住の院生さんからメールと写真が届いた。GW明け前夜の深い憂鬱を払拭しようと、自慢の画像を発信してくれたようだ。

 なるほど、こんなに凜々しく男前のゴリラは記憶にない。ありがたく転載させていただく。

 

 東山動物園の人気者「シャバーニ」というんだそうだ。2児の父であり、雄ゴリラには珍しいイクメンだという。「オーラがあり、一日見ていても見飽きない」と院生さん。

 イケメンでイクメンかぁ、偉いなあ・・・

Ω


「腐敗卵臭」の誤解と正解 ~ 国試問題から

2016-05-11 07:32:49 | 日記

2016年5月11日(水)

 医師国家試験の過去の出題から(一部改変):

 当直中に病院職員から電話があった。「帰宅したら,自宅の浴室に目張りがされており,浴室から卵が腐ったような臭いが漏れ出している。浴室では弟が倒れているようである。119番には既に通報した」という。

 適切な指示はどれか。

A: 弟を浴室から連れ出す。

B: 浴室の換気扇を回す。

C: 弟の心肺蘇生を始める。

D: すぐ現場を離れる。

E: 臭いの発生源を確認する。

***

 正解は分かっている。ただ、その通りにできるかどうか・・・

***

 医学評論社「国試109─109回医師国家試験問題解説書」から転載する(一部改変)。

 正解は「すぐ現場を離れる」

 弟が硫化水素を発生させ自殺を図ったものと考えられる。一般人の自殺に用いられるガス状毒物は限られており,硫化水素と一酸化炭素しかない。一酸化炭素ガスは無色無臭,無刺激性であり,腐敗卵臭を呈するのは硫化水素である。

【すぐ現場を離れる:○】 消防署へは通報済みであり,発見者自身が中毒患者にならないよう,すぐに現場を離れる。可能ならば発見者の携帯電話番号メモを,現場に残しておくとよい。

【浴室の換気扇を回す:×】 浴室内の有毒ガスが浴室外に排出され,換気口周囲に汚染が拡大し,中毒患者発生を招く危険がある。

【その他選択肢:×】 発見者自身の生命が危険にさらされるため,禁忌である。

***

 念のために付記するなら、硫化水素は一般に思われている以上に毒性が強い。40年近く前にこれを教えてくれたのは予備校の化学の教師で、「青酸ガスと硫化水素とどっちが毒性が強い?」という形で問を投げかけたのだ。青酸ガスとはシアン化水素のこと、アウシュヴィッツで常用された例の殺人ガスである。アメリカでも死刑に用いられていたが、使用後の清掃・洗浄にコストがかかる(!)などの理由で今は使われていないらしい。この「凄惨」ガスに引き比べ、硫化水素のほうは温泉でもしばしば臭いを嗅ぐほどの親しみがあり、そうしたイメージが事実を誤認させる。

 シアン化水素は 5,000 ppm (0.5%)をやや下回るレベルで致死的となるのに対し、硫化水素は 1,000-2,000 ppm (0.1-0.2%)で人をほぼ即死させるという。さらに低い濃度で例の腐敗臭を発するため人が近づかずに済むのだが、シアン化水素のように無臭であったら温泉大好きの我ら日本人にはよほど深刻な脅威になったに違いない。現実にも、スキー客が臭いを感じる前に高濃度の硫化水素中に突っ込んだケースなどが過去にあったと記憶する。このように、硫化水素はきわめて強力な毒ガスなのである。

 都市部での事故の場合、救助しようとした人間が巻き込まれたり、階下の住民が巻き添えとなったりした事例が現に報告され、上記の出題もそれを踏まえている。近年の事故の増加はこの種の情報のインターネットへの露出が一因と指摘されるから、当ブログがそれに加担することのないよう少々書き方を工夫した。

 それはさておき「正解」について。「直ちにその場を離れなさい」「弟が、すぐそこで倒れてるんです!」というやりとりが容易に浮かぶ。20代の頃はプールで2分間潜水することができた。2分あれば息を止めて硫化水素を吸うことなく、弟を引っ張り出せるかもしれない。僕だって ~ 一人っ子で弟はいないが ~ そう考える。人情というものである。しかし正解は正解、人情に殉じるなら正解を知ったうえでのことでなければならない。

 硫化水素ほど明確ではない形で、この選択は案外日常的に僕らに突きつけられている。

Ω

 

 


抜け殻のつぶやき ~ 冨田勲さん/悪役を描く作法

2016-05-10 10:07:04 | 日記

2016年5月10日(水)

 8日(日)帰宅後に呆然とテレビ画面を眺めていたら、冨田勲さんの訃報が伝わった。「月の光」というアルバムは僕も買って、それこそすり切れるぐらい聞いた。単純に音楽として魅力的だったからだが、同時に印象派ドビュッシーとデジタル・シンセサイザーとの思いもかけないマッチングの良さに驚いた。それに着目した冨田さんは慧眼なのだが、これってどういうことなのだろう。絵画の方面で、モネらが風景を光のモザイクとして捉えたのは、やはり基本的にデジタルな発想である。先日の「若冲」もこれに類する ~ 時間の先後から言えば彼こそが嚆矢である。

 あ、思い出した。30年ほど前、ある女性声楽家と話す機会があった時、彼女は不思議そうにもせず、「ええ、よく合うんです。もしもシンセサイザーがその時代にあったら、ドビュッシーなどは使っていたと思いますよ」と事もなげに言った。事情を知る人には、当然のことなのだ。

 翌日の朝刊でやや詳しく事情を読んで二度びっくりしたのは、その日の冨田さんの行動である。亡くなる1時間ほど前には自宅で好物のウナギを食べ、レコード会社の担当者と11月の仕事の打ち合わせをしたのだそうだ。実にかくありたいものだが、もちろん人は「生きてきたとおりに死んでいく」のであって、僕などには望むべくもない。

 感嘆し、敬服する。

*****

 回収した答案の整理だけは何とかその日のうちに終え、今度は大河ドラマをこれまた呆然と見流していて、最後の場面でふと何かが不愉快を囁いた。大坂からの帰途、秀吉の指示で浜松に回った真田親子の平伏する姿を見て、徳川家康がさも愉快げに高笑い(ほとんどバカ笑い)し、傍らの本多正信らまでも哄笑に合するという場面である。上田城ではさんざん痛めつけられたが、様(ざま)を見よ、さぞ悔しかろうということだろうか。

 史実は知らないが、僕はこれはあり得ないと思う。こんな場面でこんな風に笑える小物だったら、家康に天下なんか取れっこない。だいいち人の心理というものをあまりに薄っぺらく見ていないか。

***

 徳川家康は「老獪・狡猾な狸オヤジ」というのが通り相場で、ただ忍耐と策略によって織田・豊臣の成果を略取したかのように言われているが、それはまるで事実と違うというのは、いつも引用する『二流の人』なんかを読めばよく分かる。若い時に到底勝てっこない武田信玄の軍団に家臣の制止も聞かずつっかかり、命からがら落ち延びた三方原の一幕、このときの家康の台詞というのが「寝ている枕を蹴飛ばされて、黙って引っ込んでいられるか」というのであった。匹夫の勇ではない、というのも、家康麾下の三河衆は野戦では戦国屈指の精強を誇り、たとえば姉川では崩れかかる尾張勢をよく支えて朝倉・浅井連合軍を粉砕している。三方原では武田が強すぎた上に、台地の上で待ち構える敵に坂を駆け上って攻撃を仕掛ける愚を冒した。実力もあれば闘争心も旺盛だったのが三河衆で、その大将として武門の棟梁を目ざしていたのが家康である。

 その勇将の軍団が、第一次上田城攻防戦では数的に劣勢の真田勢にコテンパンに負かされた。以来、リベンジの機会到来を待つ家康に、秀吉はいったんは開戦の許可を与えながら次には出動延期を命じ、さらに真田を徳川の与力に配して浜松へ向かわせたのである。この場で明らかにされているのは、徳川も真田も秀吉の許可なくして何一つできず、唯々として秀吉の命に従うほかないという事実、秀吉の絶対的優位に他ならない。

 だから家康には二重の敗北感があったはずだ。真田に負けた事実は動かず、その恥をそそぐ機会は失われた。真田が勝者、自分が敗者である。にもかかわらずその相手が、他ならぬ秀吉の命によって自分の前に平伏している。戦の勝敗までも覆す力を秀吉がもち、その力を自分の上に存分に振るっているのだ。家康は真田に負け、秀吉に負けた。それをイヤと言うほど思い知らされるこの場面で、憎い真田が自分の前に平伏しているからといって、嬉しそうに高笑いするおバカな主従がいたもんだろうか。少なくとも徳川がそんなおめでたい了見だったら、その後の歴史は到底あんなふうには動かなかっただろうというのだ。

 秀吉という巨大な勝者を意識するとき、むしろ家康の中に真田に対するアンビヴァレンスが胚胎しても不思議はなかった。敵意と憎悪の反面で、彼も我もともに秀吉に負けた、軍事においてでなく政治において負けたという、ある種の共感の構図がある。実際この時の真田の姿は、小牧長久手で数的劣勢にも関わらず軍事的優勢を維持しながら、政治に負けて屈服を余儀なくされが徳川の姿によく重なる。「お宅もわしらも、猿めに負かされたよね」といった苦い共感を、もちろん言葉になどすまいけれども、特に家康の側が意識していて不思議はない。そしてともに敗者だとするなら、直接対決で負かされている分だけ家康の側に武将としての苦い思いが強く働く。秀吉の差配で与力に従えることになったからといって、高らかに笑える理由を家康はおよそもちあわせていない。

 だからこそ、ではないかしら。家康麾下の諸将の中でも特に勇猛精強をもって知られ、武田方まで歌に詠んで褒め称えたという本多平八郎忠勝(「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」)、その娘を真田の惣領・信之が娶ることになる。この不思議な縁組みは真田の歴史の中でもとりわけ注目すべきもので、ここから生まれた家系は徳川の歴史を長く生き延びて明治にまで至る。大河では次回あたりその話になるのだろうが、これがまたドロドロの政略結婚としてばかり扱われないと良いのだけれど。

 自分を負かした憎く恐ろしい敵だからこそ、よしみを通じたい気持ちが人にはある。「攻撃者との同一化」という機制については、当ブログでも何度も触れた。そのように真田を逆説的に買う気持が家康と忠勝になかったら、いかに政略とはいえ秘蔵の娘を嫁に与えたりはしない。このあたり、真に実力あるもの同士がお互いを認める不思議な機微が動いて、途方もなく面白いのである。これに関しては井上靖『真田軍記』所収の『本多忠勝の女(むすめ)』が出色だ。一カ所だけ引用しておく。

 「(月姫は)真田へも加担しなかったし、実家の本多へも加担しなかった。彼女は自分のただ一つの生き方として今や夫信之に加担したのであった。

 『やはり、本多の娘だな』

 昌幸はまた唸るように言った。」

(角川文庫版 47頁)

***

 いつ頃から始まったか分からないが、「悪役を薄っぺらく描く」という悪弊が大河ドラマに定着してしまっている。『天地人』の家康なんかその典型だったが、今回も基本的に変わらない。真田家にとって最大の敵であり、やがて敵とも味方ともいえない巨大な壁として立ちはだかることになるのが徳川である。ならば、その徳川をそれなりに価値あるものに描かなければ、真田の生き方もまた価値下げされることになる。人は何と闘うかで、自分の価値を量られる。

 これじゃダメでしょ。

Ω